横浜F・マリノスのアカデミーは、1986年から活動を開始し、サッカーを通じた人間形成とプロ選手の育成に取り組んできた。2026年現在、トップチームには9名、Jリーグ全体では60名以上のアカデミー出身者がプロ選手として登録されている。
その育成組織を統括するのが、アカデミーダイレクターの坪倉進弥氏だ。自身も日産FCジュニアユース、横浜マリノスユースで育ち、指導者としても長年クラブに携わってきた。ベルギーのRSCアンデルレヒトへの指導者派遣や、ガンバ大阪アカデミー部ヘッドオブコーチングでの経験を経て、2023年に古巣へ復帰した。
今回は、株式会社Athdemy CCO・中山知之による対談を実施。選手の主体性を引き出す育成のあり方から、指導者を支える組織づくり、横浜F・マリノスが長年受け継いできた育成文化、そして新たに始まった「マリノス リーダーシップ アカデミー」まで、横浜F・マリノスが考える育成の現在地に迫った。
同じ方向を向く。でも、同じ指導者にはしない
今回は、横浜F・マリノスアカデミーの取り組みや哲学について伺っていきます。まず、坪倉さんご自身の役割から伺わせてください。現在、アカデミーダイレクターとして、どのような仕事をされているのでしょうか?
アカデミーダイレクターとして、長期的な視点を持つことは非常に大事だと思っています。
組織がより良くなっていくための仕組みづくりと、そこに関わる人たちのマインドセットの二つを軸に仕事をしています。
これまではコーチや監督も経験されていますが、アカデミーダイレクターになったことで見ているものは変わりましたか?
そうですね。コーチ時代も、選手の将来を見据えて今何をするべきかということは意識していました。ただ、今は組織全体を考えなければいけないので、気にかける範囲が格段に広がりましたね。
具体的な業務としては、アカデミー全体をどう動かしていくかという計画やプランニングに時間を使っています。それと同じくらい大切なのが、他部署やトップチームのスタッフ、アカデミーのコーチ陣との対話です。もちろん、練習や試合も見に行きます。現場が今どういう状況にあって、コーチたちがどのような考えで日々指導しているのか。それを把握していないと、私自身の考えと現場の思いがずれてしまうので組織として良い方向には進みにくいと思います。
全体の計画を立てる一方で、実際に現場にも足を運ばれているのですね。
できる範囲で練習や試合を見て、コーチと話し、時には選手とも話します。アカデミーダイレクターの仕事の仕方は、クラブによっても違います。
やはり、実際の現場を観ることで気づけることは多いと思います。プライマリー、ジュニアユース、ユース、トップチームと活動拠点が分かれているので移動は大変ですが、そこは苦にならないですね。
組織として方向性を統一する一方で、指導者一人ひとりにも異なる考え方や経験があります。その両立は難しいのではないでしょうか?
そうですね。人によってサッカー観も違えば、育ってきた背景も違います。それぞれが自分なりの考えを持っているのは当然のことですし、それ自体は尊重されるべきことだと思っています。ただ、その人たちがアカデミーとして同じ方向を向いているかどうかが大切になります。私たちが取り組もうとしていることに対して、どのコーチも一定の理解を持っている必要があります。その方向性と理解度を整えていくことが、私の役割の一つだと思います。
そのためのコミュニケーションで、特に意識されていることは何でしょうか?
まずは、相手が何を考えているのかを聞くことから始めています。ただ、これが難しいんですよね。どうしても自分の思いを先に伝えてしまうことや、会話が終わった後に自分の伝えたいことだけで終わってしまったと反省することもあります。
だからこそ、自分の考えをいつ、どのように伝えるかというタイミングも気にしています。今伝えるべきなのかどうかは常に考えていますね。もちろん、それがどれほど効果につながっているのかは分かりませんが。
坪倉さんご自身は、指導者時代から明確な哲学を持っていたのでしょうか?
ある程度、自分の考えは持っていたと思います。ただ、最初から確立されていたわけではありません。年齢を重ね、様々なタイプの選手と出会う中で、少しずつ形になっていきましたね。

育てるのはチームではなく、一人ひとりの選手
ここからは、育成そのものについて伺います。横浜F・マリノスでは、選手にどんな変化が見えたときに「良い育成ができている」と感じますか?
主体的かどうかですね。選手が自らサッカーに取り組んでいるか。その姿勢や表現が前面に出ていて、それが継続しているときは良い成長をしていると感じます。それは、決して物事が順調に進んでいるときだけではありません。選手個人としてうまくいかないときもあれば、チームとして結果が出ないときもあります。そういう状況でも、一人ひとりが自分の課題と向き合い、競技力や人間力を高めようとしている。その主体性が発揮されているときは、良い時間を過ごせていると思います。
選手の主体性を引き出すためには、指導者に何が求められるのでしょうか?
日々の情熱と工夫だと思います。相手は人間ですし、しかも未成年の選手たちです。コーチとの相性もあるでしょう。そうした選手たちを預かる中で、競技力や人間力の向上につながる気づきを、どれだけ与えられるか。それと、どれだけ待てるかですね。時間がかかることも多いので、選手は指導者の思い通りには成長しません。
ただ、こちらの予想をはるかに超えて成長することもあります。「こんなにも伸びたのか」「こんなにプレーが向上したのか」と驚かされることがあるので、それは指導者としての醍醐味だと思いますし、私自身も指導していた頃はそういう瞬間が本当にうれしかったですね。

選手の成長を支えるためには、指導者自身が前向きに取り組める組織であることも重要だと感じます。坪倉さんが考える「良い育成組織」とは、どのような組織でしょうか?
横浜F・マリノスのクラブ・フィロソフィーには、「人々や社会に“夢”と“活力”をもたらす存在になる」というビジョンがあります。将来に向けて情熱や活力を持っている人がどれだけいるか。そして、その状態がどれだけ続くかが重要だと思います。
育成には明確な答えがありません。コーチたちも苦労しますし、思い通りにいかないとどうしてもネガティブな気持ちになることがあります。それでも、そこから何ができるのかを考え、行動しようとする活力が一人ひとりにあるかどうか。そういう姿勢は選手や子どもたちにも伝わると思うんです。前向きに取り組める人がどれだけいて、その力を組織としてどれだけ発揮できるか。それが大きいのではないでしょうか。
指導者が情熱を持ち続けるために、組織として工夫されていることは何ですか?
一人のコーチが担当するのは、対象年齢によりますが、10~18名ほどの選手です。担当チームを持つと、どうしても自分の考え方や見方だけに偏りやすくなります。そのため、学年やカテゴリーをまたいで、様々なスタッフが選手について話せる仕組みを作っています。コーチだけでなく、アナリストやスカウト、私自身も関わります。今この選手はどういう状態なのか、こういう見方もできるのではないか、別のアプローチもあるのではないか。そうやって多角的な視点から選手を捉えられるようにしています。
さらにアカデミーでは、F・マリノスのプレースタイルと年代別のプロファイルを作成しています。その二つを基に、年間を5つのピリオドに分けて指導計画を立てています。各学年の担当コーチが、その期間に取り組む項目を選び、どのようなトレーニングを行うかを計画し、それを私やアナリストと共有します。ピリオドが始まった後も、中間で一度振り返りを行い、終了時にもう一度、期間全体を振り返ります。担当コーチが感じていることと、私たちが外から見て感じたことをすり合わせながら、次の期間に何をするべきかを考えていく形ですね。
そうした仕組みを取り入れたことで、指導者にはどのような変化がありましたか?
自分一人で背負わなくなったことは大きいと思います。メインで担当しているのは自分だけだとしても、他のスタッフも選手たちを気にかけてくれます。実際に話を聞けば、ヒントを得られることもありますし、違う視点に気づくこともあります。そうした環境があることで、指導にやりがいを感じたり、仕事がしやすくなったりしているコーチは増えてきたと思います。
指導者自身も成長していく中で、日々の現場から様々な経験や知見が蓄積されていくと思います。そうした個人の学びを、横浜F・マリノスのアカデミー全体に共有し、組織の財産として残していくために、どのようなことをされていますか?
そこは、まだ十分に具体化できていない部分でもあります。基本的には、コーチ同士の会話から学びが生まれ、それを一人ひとりが主体的に吸収していくものだと思っています。ただ、複数のコーチが共通して大事にしている指導方法やトレーニングの考え方があれば、アカデミーとして正式に残していく必要もあるでしょう。
一方で、私はコーチたちにも自分自身で成長してもらいたいと思っています。こうしなさいと、あまり細かく決めすぎたくはありません。もちろん、好き勝手にやっていいわけでもないのでさじ加減は調整しながら、コーチ一人ひとりの特色を損なわないようにしています。

坪倉さんは、横浜F・マリノスで選手として育ち、指導者としても長く携わってきました。その後、ベルギーやガンバ大阪での経験を経て古巣に戻られました。外から見たことで、改めて気づいたF・マリノス特有の文化は何ですか?
一人ひとりに丁寧だなと思います。私が言うのもおかしいかもしれませんが、本当にフェアに向き合う文化があると感じています。仕事に対しても、子どもたちに対してもそうです。コーチ同士もお互いを尊重していて、考え方を受け止められる。誰か一人に偏るのではなく、それぞれに向き合う文化があると思いますね。
選手に対する丁寧さは、具体的にどのような場面で感じますか?
例えば、競技力を高めようとしたときに、今うまくいっている選手をさらに伸ばすというアプローチがありますよね。一方で、成長が停滞していたり、悩んでいたりする選手にもアプローチする必要があります。F・マリノスには、その両方に向き合う文化があると思います。
同じ学年、同じチームの中でも、順調に成長している選手だけでなく、苦しんでいる選手にも手を差し伸べる。とはいえ、その文化を維持しながらもう少し強化したい部分もあります。それは、競技力の高い選手をさらに引き上げる力です。
F・マリノスのアカデミーは1986年に日産自動車の時代から始まって、長い歴史があります。
これまで継続的にJリーガーを輩出してきましたし、現在もJ1からJ3まで多くのアカデミー出身者がいます。一方で、海外のトップレベルで活躍する選手や、A代表としてワールドカップに出場する選手を近年十分に輩出できていないことには、もどかしさがあります。だからこそ、一人ひとりに丁寧に指導する文化は維持しながら、競技力の高い選手をさらに引き上げる力も高めていきたいと思っています。
そのために、すでに取り組まれていることは何でしょうか?
コーチ同士で話し合いながら、特定の選手に対して特別な機会を設ける取り組みを、少しずつ始めています。ただ、特別な機会を与えるからといって、その選手を甘やかすわけではありません。むしろ、要求するレベルは高くなります。より多くのことに気づける環境を用意する分、そこで求められるものも大きくなります。
その中で、選手自身が何を獲得できるか。自分の力でつかみ取ることができれば、大きく成長する可能性があると思っています。クラブとしても、人手や費用をかけながらそうした選手への投資を進めています。
選手によって異なる成長の機会を用意しているのですね。育成年代では「あの学年は強い」「今年の学年は厳しい」といった、チーム単位での評価を耳にすることもあります。そうした見方について、どのように考えていますか?
それは、私も昔から引っかかっている言葉です。他のチームの監督さんからも、「今年の子たちはね…」といった話を聞くことがあります。でも、そういうチームの中にこそ、後から大きく伸びる選手がいるんですよ。チームとして活動していても、育てるのは一人ひとりの選手です。チーム単位だけで考えてはいけないと思います。
成績が振るわない状況でも、自分が何とかしようと考えている選手はいるはずです。その選手が今すぐ結果を出すとは限りません。数年後に大きく伸びるケースは何度もあります。だからこそ、目先の勝ち負けだけではないと思うんですよね。
それに関連して、数年前にトップチームのスタッフから言われた言葉が印象に残っています。「F・マリノスの選手はみんなうまい、差がない」と。最初は、どういう意味なのか分からなかったのですが、みんなが何でもできてしまうと、一人ひとりが自分の領域以外のことをやらなくても済んでしまうと言われました。
例えば、チームメイトがうまく対応できないぶん、自分がゴール前まで戻ってヘディングでクリアする。そういう状況があれば、その選手のできることは増えますし、もっとやろうという欲も高まるかもしれない。その話を聞いて、確かにそうだなと思いました。

何を受け継ぎ、何を変えるのか
育成には、受け継ぐべきものと、時代に合わせて変えていくべきものがあると思います。
坪倉さんが選手だった頃から、今も変わらず受け継がれているものは何でしょうか?
サッカーはチームスポーツであり、その中で自分がどう力を発揮するかという考え方ですね。加えて、サッカーがうまければそれだけでいいわけではないということです。ユニフォームを脱いだとき、一人の人間としてきちんとした行動ができるのか。私自身、中学1年生のときに日産自動車のジュニアユースに入ってから、ずっとそういうことを言われてきました。今もコーチたちは、サッカー以外のことにも目を向けています。場合によっては、生活面での指導やしつけも必要になります。そうした部分は、変わらず受け継がれていると思います。
一方で、今後変えていきたいことは何でしょうか?
ハード面は変えたいですね。何を望んでも良いというのであれば、グラウンドが欲しいです。今は活動拠点が分かれていて、コーチたちのロッカーも別々です。以前、横浜駅の近くにマリノスタウンがあった頃は、トップチームからプライマリーまで、同じ施設で活動していました。小学生からトップチームの選手まで、様々な年代の選手が一つの場所にいたんです。自然と交流や接点が生まれますし、スタッフ同士も顔を合わせられるので、トップチームの監督も含めて互いの活動を見たり、話したり、気づきを得たりすることができました。人を育てる環境として、そうした施設があることは非常に大きいと思います。
ただ、施設が整ってから育成を始めるわけにはいきません。今の環境で何ができるのかを考えながら、指導者自身が成長していくための取り組みは続けなければいけないと思っています。
プレースタイルについても伺いたいと思います。横浜F・マリノスはこれまで「アタッキングフットボール」を掲げてきましたが、トップチームの監督や戦術が変わる中で、これまで培ってきた考え方やプレー原則をどのようにとらえ、その考え方をアカデミーにどのように接続しているのでしょうか?
アタッキングフットボールという言葉にはアンジェ ポステコグルー監督時代のプレースタイルが大きな影響を与えていると思います。トップチームが攻撃的で、ハイテンポ、そしてゴールに向かって積極的に前進していくサッカーを実践したことで、アカデミーの選手たちも「自分たちもこういうサッカーをしたい」と自然に感じるようになった部分はあったと思います。
一方で、時間の経過とともに、トップチームの監督や戦い方も変化しています。アカデミーとしては、クラブとして大切にしている攻撃的なスタイルを意識しつつも、育成年代の特性や選手の成長段階に合わせてアレンジすることも重要だと考えています。そのうえで、トップチームのスタッフとも継続的に話し合いながらクラブとして共通するプレースタイルや考え方を持つことは大切にしています。
戦術やプレースタイルが変化していく中でも、アカデミーとして変えていないものは何でしょうか?
クラブフィロソフィーにある「CHALLENGING」「TEAM PLAY」「FAIR ACTION」という三つの行動・判断基準です。これはアカデミーだけでなく、トップチームも、他のクラブスタッフも共有するべきものだと思っています。
ただ、それをピッチ上でどう表現するかは、それぞれの立場によって変わります。トップチームは目先の試合で結果を求められるので、監督によって戦術をアレンジして、戦略を練る必要もあるでしょう。一方で、アカデミーは目先の試合も大事にしながら、その過程で選手がどう成長するかを考えなければいけません。そこは時間をかけて取り組むべき部分だと思います。

競技力と人間力は別々のものではない。人間形成を体系化する理由
育成の現場では、「何を教え、どこから選手自身に委ねるのか」という議論があります。どこまで教えて、どこから本人に委ねるのか。そのバランスをどのように考えているのでしょうか?
サッカーにおけるプレーの原則は、きちんと教えるべきだと思っています。どの時代でも、どの監督でも、どの国でも、大きく変わらない普遍的なものですね。そうした基本的な原則は、低年齢の頃からしっかり伝える必要があります。その上で、どうプレーするのかという部分に進んでいきます。
例えば、こういうプレーをすればゴールに近づける、得点につながりやすくなる。あるいは、こうすれば失点を防ぎやすくなる。そうした考え方をある程度提示した上で何ができるのか、どういうふうにチャレンジするのかと問いかけていく。基本的には、そういう順序で考えていますね。
ただ、そこは選手によっても違います。問いかけて、本人が考える時間を与えても、なかなか変化が見られないこともあります。そういうときは、もう少し具体的に教える必要が出てきます。そして、指導者によっても違いがあります。じっくり待てる指導者もいれば、先に進みたくなる指導者もいます。そのため、一概に「ここから先は教えない」と決められるものではないと考えています。ただ、教えるべきことは教え、その先で選手が自分なりに考え、挑戦する余地を残す。その基本的な考え方は共有していると思います。
横浜F・マリノスは長年、サッカーを通じた人間形成に取り組んできました。その中で新たに始まったのが「マリノス リーダーシップ アカデミー」です。人間形成という曖昧で測りにくいものを、あえてプログラムとして体系化しようと考えた背景には、どのような課題意識があったのでしょうか?
もともとは、クラブ全体でキャリアプランをどう考えていくかというところから始まった取り組みです。プロサッカークラブにとって、選手は大切な財産です。その選手に投資し、人を育てることを、クラブ全体でどれだけ大事にできるか。そうした考え方を共有し、クラブとして力を注いでいくことが、今後の発展にもつながるのではないかという話がありました。私自身もその考えを聞いて、すぐにやろうと思ったんです。
これまでも、各年代のコーチが練習の前後や遠征中などに、サッカー以外のことを伝える機会はありました。ただ、その内容は年代や指導者によって異なっていました。そこで、F・マリノスとして何を大切にするのか、それを年間を通してどう伝えていくのか、一度体系化してみることになったんです。
坪倉さんご自身が、その取り組みに必要性を感じた理由は何だったのでしょうか?
結局は、競技力を高めたいんですよ。より高いレベルで、長く活躍できる選手を育てたいからです。そのためには、最終的にその人自身がどうあるかという部分が問われると思っています。技術が高く、目立っていた選手が一時期は大きく伸びても、その後なかなか活躍できなくなるケースもあります。そういうときに、なぜそうなったのかという話を聞くと、プレー以外の部分に原因があったということもあるんです。それは、もったいないですよね。
プロ選手として自分がどう振る舞うのか。そうした部分に、早い段階から継続的にアプローチしていく必要があると思いました。人間形成に取り組むことは、競技力の向上を諦めることではありません。むしろ、これまでF・マリノスが大切にしてきた、一人ひとりに丁寧に向き合う育成を維持しながら、さらに高いレベルの選手を育てることにもつながるのではないかと考えています。競技力と人間力は、別々のものではありません。
一方でこの取り組みは、人手も時間も工夫も必要です。私一人が中心になって進めようとしても、できることには限界があります。だからこそ、クラブ全体で取り組むことに意味があると思っています。普段はアカデミーの選手と接点のない部署のスタッフが、小学生に講義をする機会も予定しています。様々な大人と関わることで、選手たちが普段とは違う視点を持てるかもしれません。もちろん、講義を受けたからといって、すぐに何かが変わるわけではありません。ただ、早い段階で違う考え方に触れ、いろいろと考える中で、サッカーと一緒ではないかと気づくことができればいいと思っています。
クラブの中にある様々な経験や知見を、選手たちの成長に生かしていくのですね。
そうですね。例えば、喜田拓也(横浜F・マリノス)選手や水沼宏太(浦和レッズ)選手のように、アカデミーで育ち、プロ選手としての振る舞いや考え方を自分なりに身につけてきた選手もいます。もちろん、本人が生まれ持ったものや家庭環境も影響していると思います。
ただ、そうした個人の資質や家庭の背景だけに頼るのではなく、アカデミーとして教育的なアプローチをしていきたいんです。より多くの選手が、そうした姿勢を身につけられる環境をつくっていきたいと思っています。
「待つ」ことも育成になる。保護者とクラブの関係
選手の人間形成を考える上では、保護者との連携も欠かせないと思います。保護者とのコミュニケーションについて、クラブとしてどのように考えていますか?
大切である一方、難しい部分もありますね。年齢が上がれば、子ども自身も親から自立していきます。ただ、小学生年代では、保護者の考え方や関わり方が選手に与える影響も大きいと思います。もちろん、それぞれの家庭に人生観や価値観があるのは当然ですし、そこは尊重するべきです。その上で、F・マリノスのアカデミーに所属するということは、私たちが大切にしている考え方を共有する必要があります。説明会や懇親会、個別面談などを通じて伝えていかなければいけないと思っています。
保護者は子どものためを思って接する一方で、その善意が、結果的に子どもの可能性を狭めてしまうこともあるかもしれません。可能性を広げる関わり方との違いは、どこにあると思いますか?
指導者と同じで、本人の成長や変化をどれだけ待てるかだと思います。指導者も愛情や情熱を持って選手と接していますが、親の愛情はまた特別なものですよね。自分の子どもが一番かわいいですし、何とかしてあげたいと思うのは当然です。だからこそ、子どもがうまくいっていないときに、「こうしなさい」と先回りしてしまうこともあると思います。あるいは、うまくいっている状態を長続きさせたいからこそ、先に手を打とうとすることもあるでしょう。
ただ、それが長い目で見たときに本当に本人のためになるのか、そこは考える必要があると思います。過去には、子どもがうまくいっていないときを、むしろ成長の機会だと捉えている保護者もいました。できる限り自分で解決させたいと考えて、あえて見守るんです。愛情があることに変わりはありません。その愛情を、今置かれている状況に対してどう表現するのかが大切なのではないでしょうか。
一方で、保護者だからこそ気づける子どもの変化もあると思います。指導者として、どのような情報を共有してもらえるとありがたいのでしょうか?
一時的な様子を逐一伝えてもらうというよりも、継続的な変化について共有してもらえるとありがたいですね。各学年では、年に2回ほど個別の保護者面談を行っています。そうした場で、家庭での様子などを相談していただくと、コーチがその選手の違う一面に気づくこともあります。先ほどの多角的な視点と同じですね。普段の練習では見えない選手の姿を知ることで、指導者のアプローチが変わることもあります。もちろん、保護者の方にも言いづらいことはあると思います。
一方で、特定の保護者とだけ頻繁に話していると、他の保護者から見て不公平に感じられることもあるでしょう。そのあたりは難しいですが、保護者の意見を閉ざしているわけではありません。継続的に見られる変化や気になることについては、ぜひ共有していただきたいと思っています。

数字に表れる成果と、数字に表れない成長
最後に、思考実験のような質問をさせてください。大会の結果や、プロ輩出人数、代表選出人数といった数字をすべて隠したとします。そうした分かりやすい成果が何も見えない状態で、横浜F・マリノスは何を見て「育成がうまくいっている」と判断しますか?
数字を隠しても堂々とうまくいっていると言えるとしたら、日々のトレーニングの雰囲気ですね。一番最初に話した通り、選手たちが自ら意欲的にサッカーに取り組んでいるかどうか。その姿勢が誇れるレベルにあるなら、仮に現時点で数字が低かったとしても、選手たちはこれから成長していけると言えるのではないでしょうか。もちろん、難しいことではあります。ただ、そうした姿勢がなければ、数字も上がっていかないと思います。
数字としての目標は、何を具体的に設定されているのでしょうか?
例えば、ヨーロッパのチャンピオンズリーグで活躍できる選手を育てること。また、トップチームの年間出場時間に占めるアカデミー出身選手の割合を25〜30%以上にすることや、トップチームの登録選手のうち30%以上をアカデミー出身者にすることなどです。
こうした目標はコーチたちにも共有していますし、説明会でも伝えています。
一方で、サッカーを通じて基礎的な学力を大切にしながら、思考力を高められる選手を育てることも目標に含まれています。そういった意味では、マリノス リーダーシップ アカデミーの取り組みともつながっていると思います。
2010年や2013年頃は、年間の出場時間に占めるアカデミー出身選手の割合が50%程度あった時期もありました。ただ、その後はJ3の創設や外国籍選手の登録枠の変化、移籍の活発化など、チーム編成を取り巻く環境が変わりました。アカデミーから選手を引き上げるだけでなく、J2やJ3でプロとして経験を積んだ選手を獲得するという選択肢も増えています。
そうした影響もあって、割合は下がってきました。
ただ、ここ数年は再び上がってきていると感じています。トップチームで活躍するアカデミー出身選手がいることは、育成を継続していく上でも大切です。子どもたちが自分もあの選手のようになりたいと思える存在がいることで、次の世代にもつながっていくと思います。ただ、数字をすべて隠したときに何を見たいかと聞かれれば、やはり日々のプロセスです。選手たちが、どれだけ主体的に、意欲的に取り組んでいるかを大切にしたいと思います。
今日お話を伺っていて、“一人ひとりに丁寧に向き合う”という言葉がすごく残りました。一方で、その丁寧さを守るだけではなく、さらに高いところまで選手を引き上げようとしている。その両方をどう成立させるかは、これからも答えが更新され続ける問いなんだろうなと思いました。MLAも始まったばかりなので、数年後、選手や組織にどんな変化が生まれたのか、また続きを聞かせてください。本日はありがとうございました。
ありがとうございました。