TRAIL RUNNING

北海道の、広大な山を駆け抜ける。「地球に生きていること」を実感する。 安ヶ平萌子

interview |

photo by Reiya Kaji / text by Reiya Kaji

 高校のクラスメイトに、やたらタフな陸上部の女子がいた。

 体育の長距離走ではぶっちぎりの一位。「雪深い森の中をスキーで10km歩く」という北海道ならではの恐ろしい大会も、彼女は涼しい顔で優勝していた。当時放送部の僕は、どう乗り切ったかあまり記憶がない。

 安ヶ平萌子。一度聞いたら忘れがたい名前のインパクトもあり、本人の明るい性格もあり、インスタで繋がっていたこともあり、卒業後も気になる存在だった。

 大学進学後の彼女は「トレイルラン」「スカイランニング」と呼ばれる山や自然の中を走る競技において、国内外の大会で着実に結果を出していた。そして、大学院で低酸素トレーニングの研究をした後、北海道三笠市の地域おこし協力隊として就職。情報量が多い。

 きっとやりたいことをやっているのだろう、しかしキャリア選択や今後の競技についてどうするのだろう?とインスタを見ながら思っていた矢先、本人から「横浜に行くよ!」と連絡をもらった。

 かくして、北海道の高校のクラスメイトに、横浜のスタジオでインタビューする機会を得た。

相手は変えられないけど、自分を変えることはできる

 安ヶ平選手が陸上競技を始めたのは、中学2年生になってからだった。

「あまり治安がいいとは言えない地域で、授業崩壊が普通の学校でした。いじめられてもいました。じゃあどうしようか、と思った時に『相手を変える』のは無理。でも『自分を変える』ことはできるなと。陸上部には友達もたくさんいたので、まずは走ることで自信をつけたいと思いました」

 最初はタイムもなかなか伸びず、札幌市内でも最下位の方だった。しかし、努力をすると面白いように結果に繋がった。いじめる周囲から暴言を吐かれても、「私にはこれがある」と強くなれた。顧問の先生の指導や、当時の自分の状況を見た上での接し方にも救われたという。

「先生が本当に素晴らしい方で、こういう先生になって誰かの人生に影響を与えられたら素敵だな、という気持ちを持ち始めました。」

努力を隠さなくてもいいんだ

 あまり人に影響をされず、自分で物事を決めて進む安ヶ平選手。「環境を変えたい、過去の自分のことを誰も知らないところへ行きたい」という思いから、家からはかなり遠い北海道北広島高等学校へ進学。このとき、初めて周囲から刺激を受けた。

「努力をすることは恥ずかしいこと、という雰囲気が中学まではありました。でも、高校に入るとみんな隙間時間に必死に勉強しているし、部活では記録を出すためにしっかり練習する。努力を隠さなくてもいいんだ、とすごく刺激になりました」

 競技成績も飛躍的に伸びたが、インターハイを目前で逃した。大学は、北海道教育大学岩見沢校へ進学。「中学時代の顧問の先生のような、立派な教員になりたい」という夢と、競技の両立のためだった。

「インカレに行かないと価値がない」?

 大学の陸上部では、3000メートル障害の選手として上を目指した。しかし、途中で退部した。

「上を目指さない人に対して厳しい部でした。インカレに行かないと、価値がないみたいな空気感があって、結果を出せないと離脱していく感じがありました。記録が出ないと、陸上をやってはいけないのか?と思っていたら、高校時代から競い合っていて心の支えになっていた友人が、部をやめてしまいました」

 部活内での人間関係に悩まされるのは、初めてのことではなかった。中学も高校も、いろいろな問題があり、その度にぶつかり合ってきた。しかし、根本的な陸上競技への疑問を持ったことで、初めて退部という決断をした。

 しかし、この時期にその後の人生を左右する、小さな決断があった。

目的が違う人がいるのは、当たり前のこと

「3000メートル障害は、3000メートルを走る間にハードルや水濠を越えていく競技です。もし山の中を自在に走ることができたら、3000メートル障害を走るのなんて余裕かも?と思って、トレイルランを練習に取り入れました」

 もともと、トレイルランは高校陸上部の引退後に「ダイエットのために」大会に参加したのが最初だったという。当時はあまりの厳しさに「2度とやらない」と固く決意したそうだ。しかし、3000メートル障害のために練習を重ねていくと、山や自然の中を駆けていく心地よさに魅了された。

※写真:本人提供

「トレイルランは、走る目的が本当に人それぞれ。一定の距離を完走することだったり、景色を見にいくことだったり、もちろん良いタイムを出すことだったり……。個々によって何を大事にするかが多彩なスポーツです。目的が違う人がいるのは、当たり前のこと。舞台が大きな自然だからこそ、自由度が高い。そこが魅力です。広い山と大地を駆け回ることの気持ちよさは、地球に生きていることを実感できます」

 山で走ることに魅了され、国内外のさまざまな大会に出場した。2018年には、スカイランニング(=山を走る競技の中でも、距離に対して獲得標高が細かく設定されている山岳競技)のユース日本選手権で優勝。翌年には日本代表として、イタリアで行われた世界大会に出場した。



 この頃からインスタグラムでの発信を強化し、ギアや栄養食品などの面で複数の企業から支援を受けられるようになった。

「トレイルランをサポートしてくれるような会社は、道外資本が基本です。道外の大会に出て上位に入って、見てくれるようにしようと。成績を出す、SNSを頑張って見てくれるようにする……というブランディングも、正解がない中で自分でやるしかなかった。ちょっとでも見てくれた人を、大事にし続けた結果だと思います」

 卒業後は大学院に進学し、低酸素トレーニングについての研究を重ねた。文武両道でアスリートとしても結果が出てきたが、大学院卒業後に選んだのは、意外にも「地域おこし協力隊」になることだった。協力隊として移り住んだのは、北海道三笠市。人口の7割が高齢者の地域だった。

やりたいことをやったぞ!と言って死ぬのが、一番幸せだよ

 社会人として競技を続けていくには、練習時間が確保できないといけない。残業が基本的にはない地域おこし協力隊として働くのは、ある意味で現実的な選択だったという。しかし、そこで得た人々との繋がりは想像以上のものだった。

「ほかのアスリートのインタビューを読んでいて「走ることで元気を与えたい」といった言葉に触れるたび「なにそれ?」と思っていたけど、三笠市のおじいさんおばあさんたちは、自分の大会の結果をすごく気にしてくれました。そこから、少し考え方が変わりました」

 都市部に比べて娯楽の少ない地域において、身近にいる「安ヶ平選手」の大会での躍動を期待し、応援する市民は徐々に増えて行った。それに応えるように、自身も成績を残した。さらに、ランニング教室の講師を引き受けたり、イベントの主催も経験した。

「講師やイベントの仕事を通して、人に影響を与えることの楽しさに改めて気づきました。イベントや講義が始まる前は緊張していた人々が、終える頃には打ち解けて話しているようなことが、すごく嬉しかったです。本来教員としてやりたかったことだけど、根本的には一緒かなと」

 活躍の場を広げていく安ヶ平選手。三笠の市民たちは、全力で彼女の背中を押した。

「一生ここにいるわけじゃないでしょう、やりたいことがあるならやったほうがいい。やりたいことをやったぞ!と言って死ぬのが、一番幸せだよ。ダメだったらまた三笠に戻ってくればいい」

 言葉はさまざまだったが、口々にそう伝えられた。まさか、今後の自分の行先を応援してくれるとは思っていなかったという。

 地域おこし協力隊の任期は、3年。しかし、2年目を終えた段階で次の挑戦に移ることにした。

だけど、やっぱり上に行きたい

 2023年4月から、低酸素トレーニングの施設を構える札幌市内のジムでの勤務がスタートした。元々ジムの存在は知っていたものの募集があるとは思わず、知り合いの紹介で入社が決まったという。

「大学院でやっていた研究も続けられるし、会社も競技を応援してくれている。最高の環境です。学生のときだったら勉強と部活、社会人になってからは仕事と競技。私にとっては、どちらかが煮詰まった時に没頭できるもう一つがあることがすごく重要です」

 目を輝かせる安ヶ平選手に、今後の目標を聞いてみた。

「トレイルランはいろんな人を受け入れてくれる自由度が魅力ですが、私はやっぱり競技者として上を目指したいです。ひとまず30歳まで、あと3年は頑張ってみようかなと思います」

 意外と近い目標ですね、と応えると、彼女は続けた。

「でも、山の中で走ること自体はやめない気がします。別の楽しみ方を見つけて、結局走っていると思います。努力をして、その結果新しいことができるようになる、ということが好きなんです。それが人生から無くなるのは想像できません」

あとがき

 不思議なことに、「在学中よりも卒業後の方が仲がいい」みたいな友人が何人かいる。安ヶ平選手はまさにそれである。実は彼女が「誰も自分が知らないところに行きたい」という全く同じ理由で進路選択をしていたことや、黒木渚というニッチな(しかし最高にクールな)アーティストを好きでいることや、共感できる部分が卒業後にたくさん出てきた。

 しかし、彼女の競技生活や社会人生活を通して聞くエピソードからは学ぶことだらけで、襟を正される思いだ。30歳まで、あと3年。自分は、カメラマンやライターとして、どれくらいの結果を出せるだろうか。

 3年後、またFERGUSで安ヶ平選手と答え合わせができたらいいなと考えている。

PROFILE

安ヶ平 萌子(Moeko Yasugahira)
安ヶ平 萌子(Moeko Yasugahira)
北海道札幌市出身。山駆ける道産子女子。中学2年から陸上競技を始め、高校3年の時にトレイルランの大会に初めて出場。2018年には、スカイランニングユース日本選手権で優勝。翌年のユース世界選手権に、日本代表として出場。以降、国内外のトレイルラン / スカイランニングの大会で活躍。

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