2〜3年ほど前にサッカー界で大きな話題を呼び、バスケットボール界でも感度と視座の高い指導者を中心に読まれた一冊の本がある。
『競争闘争理論』。
18歳でサッカー選手をやめ、「指導者」という目線で世界各国をめぐり、それぞれの国や地域のサッカー(場所によってはフットボール)を吸収してきた青年がしたためたこの本は、スポーツを「対戦者と分かれて争う『競争』」「対戦者と物理的に争う『闘争』」「ネットやラケット、バットなどにより対戦者と距離が保たれる『間接的闘争』」「個人競技」「団体競技」というタームで分類し、日本はなぜ「団体闘争」に該当する競技で世界と肩を並べられないのだろうか、ということを論じた本だ。
団体闘争に該当する競技とは何か。それはサッカーであり、バスケットボールである(ラグビー、ハンドボール、水球などもここに該当する)。
体格、身体能力、技術。何もかもが圧倒的に異なる欧米諸国の壁に、サッカーとバスケットボールは何度も阻まれているわけだが、著者の河内一馬は、彼らと我々の間には上記のようなものよりもはるかに根源的な違いがあるのではないかと、独自の視点と多数の人文学分野の参考文献をもとに綴っている。
昨年、東海大学バスケットボール部監督の入野貴幸の研究室を初めて訪問した時、棚に並んだ多量の本の中で真っ先に目についたのがこの「競争闘争理論」だった。そして、当メディアの主宰でありフォトグラファーの岡元紀樹は、河内が当時監督を務めていたサッカークラブ・鎌倉インターナショナルFCのクリエイティブに携わっていた。「この縁をいつか繋げたい」とあたため続けていた対談がこの度、1年弱を経てようやく実現した。
サッカーとバスケットボール。同じ団体闘争という区分の中でもがいている我々日本人は、どうすれば強豪国に追いつくことができるのか。そんなテーマを枕に、対話がスタートした。
バスケットボールは選択を正解にしていく競技
U19日本代表のアシスタントコーチをやっていた3年前、JBA(日本バスケットボール協会)の関係者たちの間で「競争闘争理論」が話題になっていて、購読しました。まさか自分の研究室でお会いできるとは思っていなかったですね。
嬉しいです。ありがとうございます。
私が現役だった時代、バスケット界は「練習はやればやるほど良い」という考え方が主流だったので、この本の「団体闘争は『正解を選択する』でなく『選択を正解にしていく』という思考態度が重要だ」という主張は特に印象に残りました。学生や選手、もっと言えばバスケットボールを始めたばかりのお子さんの親やコーチがそういうことを理解できるようになればもっともっと良いのかなと思いました。
もちろん指導の参考にもさせていただきました。バスケットでは練習メニューをSDDL(Shadow=ディフェンスをつけない練習、Dammy=ディフェンスが定型で動く練習、Desision make=ディフェンスが自身の判断で動く練習、Live=実戦形式の練習)と分類するんですが、以前はSやDに分類される、動きの型を身につけるようなメニューが多かったんです。でもバスケットボールは状況が刻一刻と変わっていく中で状況判断をより良くして、正解にしていく競技だという認識がクリアになって以降は、DとLの練習、つまり対人練習が多くなりました。バスケットはバスケットをすることで上手くなるんだろうなということは、高校生を指導していた頃から…それこそ、レイモンド・フェルハイエン(オランダのサッカー指導者)がピリオダイゼーション理論を提唱していた頃から思っていたことではありましたが、それがよりクリアになりました。
入野さんもそうですが、サッカーの事例から学びを得るというバスケットボール指導者は少なくない印象があります。
私の場合は理由がシンプルで、日本の団体闘争競技で最初に世界に飛び出たのがサッカーだと思っているからです。中田英寿さんなどヨーロッパでプレーするサッカー選手がたくさん出てきた頃、バスケットで海外に行くプレーヤーはいなかったじゃないですか。何が違うのかなと思って、村松尚登さんの『テクニックはあるが、サッカーが下手な日本人』という本を読んで、「スペインのサッカーは痛い」というような表現を見た時に「あ、そうか」と。サッカーの本質は「勝つこと」で、うまさに焦点を置きがちな日本とのズレを自分なりに感じていました。激しいですよね。向こうのサッカーは。
全然違いますね。僕は25歳から3年アルゼンチンにいたんですけど、アルゼンチンは特に極端で…今回のワールドカップでもかなり極端でしたけど(笑)。日本で感じていた「『とにかく個人練習をしろ』『プレー中に感情を出すな』みたいなやり方は、そもそもサッカーという競技の前提に合っていないんじゃないか」という感覚は、たぶん間違ってないなって感じましたね。
この本では「団体闘争の競技が向上していくためには、練習内容よりも誰と練習するか、誰と試合をするかのほうが大事だ」みたいなことも書いています。サッカーは海外リーグで活躍している選手が多いし、今も”史上最強の日本代表”みたいな評価を受けていて、競技として間違いなく成長していますが、その理由として競技の裾野の広さが大きいんじゃないかなと。要は、日本で成長した選手が海外に行こうと思った時に、色んな国でプレーする選択肢がある。バスケットボールはどうなんですか?
アメリカ以外にもスペイン、フランス、セルビアなど強い国はいっぱいあるんですけど、日本人が行ってもまだ通用するレベルではないですね。あとは極端な話をすると、ユーロリーグの強豪クラブよりもBリーグのほうがサラリーを含む待遇が良かったりします。サッカー日本代表のように「メンバーのほとんどが海外組」という状況ではないという事実は、バスケットがサッカーのレベルにまだたどり着けていないということを示している一方で、Bリーグが発展を遂げているということを示してもいるとも思います。今はNBAのドラフトにかかった全盛期の選手や強豪国の代表選手が何人もBリーグに来るようになっているので。

同調圧力から生まれた日本のチームワーク
海外のサッカースタジアムが持つ”狂気的な雰囲気”は、ユーロ圏のバスケットボールアリーナでもイコールなようで、ヨーロッパでプレーしていた選手がBリーグに来ると、子どもや女性がたくさん会場にいて、勝っても負けても選手を後押しするアリーナの雰囲気に驚くようです。選手の成長だけを考えたときに、果たしてどちらの環境のほうがいいんだろうか、みたいなことを時々考えます。
どうなんでしょうね。その国のカルチャーに合っていたほうがいいとは思いますが、とりあえず僕はアルゼンチンに行って「日本のサッカーはアルゼンチンを目指すべきだ」とはまったく思いませんでした。ただ、今回のワールドカップで「日本の文化・社会で育った人の強みはチームワークだ」「団結力は世界トップだ」みたいな意見がけっこう出ていたと思うんですけど、「フットボールやサッカーに求められているチームワークは日本人がイメージするチームワークなのか」という疑問はすごくありますね。
日本は海外から見ると異常なくらい同調圧力が強い国です。規則を守って動くとか、監督をリスペクトしてプレーするとか、自分を犠牲にしてでもチームプレーに徹するというような”日本的なチームワーク”って一見すごく良いものだけど、今以上のチームを目指すことを考えた時に本当にそれでいいんだろうかと思うんです。ヨーロッパとか南米とか、サッカーをネイティブする国の人たちは日本のようなチームワークは絶対に作らないんです。納得がいかないことに「納得がいかない」と言った結果、適切なチームワークができていくので、「ワールドカップで勝つ=日本サッカーが強くなった、良くなった」という考え方をすることに疑問を抱いています。トップ・オブ・トップにいる人たちはもしかしたら幸せかもしれないけど、そういったサッカーをすることで不幸せになる子どもを見捨ててまでもワールドカップで一生懸命勝つことが正義なのかどうかは、今の僕にはちょっと分からないです。
予定調和のミーティングといいますか、「右ならえ右」になって議論にならなかったミーティングを何度も経験してきているので、同調性の話はすごく響きました。ただ今年の新人戦チームはそうならなかった。チームが始動して少し経って、考えが違ったり衝突するような時期になっても、彼らはそこから逃げなかった。ちゃんと向き合って、言い合って、お互いに納得し合いながら自分たちで「こういうときはハドルを組む」「こういうときはフロアにタッチする」というような新しい規律を作っていた。たぶん始動期にコーチ主導で「ハドルを組みなさい」というようなことをやっていたら、その後どこかで衝突が起きてしまっていた気がするんですよね。残念ながら新人インカレは関東新人戦に続いて優勝とはなりませんでしたが、彼らはこれから3年ないし2年をかけて成長して行く中でも本音で思うことを言い合えると思うし、本音の世界は温かいものだと思います。そこでチームワークを高めることを主目的にしてしまうと”仲良し集団”になっちゃうんでしょうね。
本当にそう思います。「日本人の強みは団結力だ」と言いすぎると、、団結力を作ることを目的に行動するようになって「試合に勝つ」というゲームの目的からズレてしまう。今回のワールドカップを見ていて難しいなと思いました。
メディアでも、サブの選手たちの一体感ある振る舞いがフォーカスされてましたね。もちろん悪いことではないけれど、ゲームの目的を達成することを考えたら果たして…というクエスチョンは持ったほうがいい。
そうですね。結果的にそうなるのはすごく良いことだと思うんですけど、それを目指してチーム作りをやってしまうと「目的はそれじゃないよね」ってことになってしまうんで。「良いチームを作ったチームが優勝です」だったら別にそれで良いんですけど。
だから、組織としてどうあるべきか、チームとしてどうあるべきか、どういう姿であるべきかは問い続けて行かなきゃいけないなと思っています。ゲームは相手といかに対峙するかであり、誰と共にやるかでもあるので、今、学生たちには「Know Your Personal」、自分のチームの隣の選手の長所・短所、相手の長所・短所を分かった上でゲームを進めないといけないとよく言っています。右にパスを出してほしい選手に何も考えず左に出してしまうといったことが積み上がることで、徐々にボタンの掛け違いが生まれていくのかなという感じがするので。
今年Bリーグで初優勝した長崎ヴェルカは、河内さんの言う”世界基準のチームワーク”を体現するクラブでした。ヘッドコーチを含めチーム全員がお互いの意見を言い合い、時に衝突しながら意見をすり合わせ、納得したらすぐに次のプレーのことに集中する。アメリカ留学の経験をもとにこのようなカルチャーを作った伊藤拓摩社長兼GMが今年から日本代表の強化委員長を務めることになったので、日本代表にも闘争の大切さというものが浸透してきそうだなという印象があります。サッカー界はどうなんでしょうか。
どうなんですかね。「ワールドカップで優勝する」という大きな物語を追いかけて、「史上最強」と言われるチームを作ってきたけれど、クジ運とかケガ人とかすべてを度外視して結果が出なかったので「あれ?」みたいな雰囲気が流れているような気が個人的にはします。ちなみにJBAは「ワールドカップ優勝」を目標にしているんですか?
どちらかというと「世界で戦えるスタンダードを作っていく」というニュアンスだと思います。先日U17のワールドカップがあったんですが(結果は出場16チーム中14位)、大会を視察された伊藤強化委員長は「アンダーカテゴリーの指導者は一回自分の指導を見直したほうがいいんじゃないか」とおっしゃっていましたね。やっぱりインテンシティや戦術理解度がまったく違ったと。私もアンダーカテゴリーのコーチとしてアジアカップやワールドカップに行ったことがありますが、伊藤さんがおっしゃるとおり世界最高峰レベルがやっていることは日本とは全くの別物でした。アンダーカテゴリーから「世界基準を目指す」というところを意識していかないとA代表も強くなっていかないと思うので、我々もそういうところに問題意識や責任感を持ちながら選手育成をしていかなければと思っています。
たぶん、ワールドカップ優勝というのは八村塁レベルの選手が12人いるような世界だと思います。伊藤さんをトップとした体制になって以降、成績も悪くはないんですけども、それでも課題として浮き彫りになるものは以前と似たようなものだったりする。例えば韓国と対戦すれば、ゲームの入りの強度の高さや「絶対負けない」という闘争心に対して受け身になると勢いを持っていかれることが多いですし。
サッカーはヨーロッパ、バスケットボールはアメリカの人たちが作ったゲームなので、それを前提としながら色々なものを組み立てなければいけないんじゃないかとは思っています。例えば、ヨーロッパの人が相撲をやろうと思ったらおそらく日本の文化を勉強するところからスタートするけど、僕らはたぶん、サッカーやバスケットボールというスポーツを自分たちのものだと思っている節がある。向こうの文化を勉強した上で、じゃあ日本人としてどうやって戦うべきか、どうやって楽しむべきかをちゃんと考えないといけないし、この前提をちゃんと頭に入れていないからこそいろんなことを勘違いして、苦しい思いをしたり競技の犠牲になる人が出てくる。それが一番良くないことだなと思っています。
アルゼンチンはサッカーを練習する時間が日本より全然少ないし、何歳になってもサッカーが好きなんですよね。僕は18歳のとき、プレーするのが苦しくなって「自分は本当にサッカーが好きなのかな」という思いにとらわれてプレーヤーをやめましたけど、アルゼンチンの人々は下手なら下手なりに楽しんでサッカーをやっている。そういうのがすごく美しいなって思ったんですよね。
アルゼンチンでは”サッカーの道標”みたいなものが確立されているから嫌いになる人が少ないし、それがファンの熱狂にも繋がっていくんでしょうね。日本はサッカーもバスケも中高生年代はスケジュールが過密で、1年中大会をやってるから、どこかで休む時期を作ってあげてもいいのかもしれません。大学バスケにはオフシーズンがありますし、うちはオンシーズンでも週2は休みにして、体をリカバリーして強度の高い練習をやりましょうという方式をとっています。やりたい子は自分で考えてそれ以上にやりますし。十返翔里は、試合から帰ってきた直後に「試合でシュートが入らなかったから」と言ってシューティングに行っていました。
自分自身で「練習もっとしなきゃ」と思ってするのは良いけれど、毎日ギチギチに練習があることを強制されて、それでも芽が出なかった選手は当然競技のことが嫌いになるだろうし、離れていってしまう。色んな問題に波及していく気がします。