BASEBALL

「花巻東は人生」と語る佐々木麟太郎が、アメリカの大学で見つけた次の舞台 Powered by BEN GENERAL

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photo by Kazuki Okamoto / text by Reiya Kaji

※取材日:2025年8月5日

高校通算140本塁打という圧倒的な数字を残し、2024年9月にアメリカへ進学した佐々木麟太郎。花巻東高校では監督である父・佐々木洋の指導を受け、菊池雄星・大谷翔平といった偉大な先輩たちに憧れながら育ったスラッガーは、異国の地で野球と学業の両立に挑んでいる。

1年目のシーズン序盤は本塁打がなかなか出ずに悩まされた時期もあったが、最終的にはリーグ戦の全試合に出場しシーズンを無事に完走。所属リーグからは「学業優秀者」として表彰を受けるなど、充実した1年を過ごした。

2025年8月、夏の甲子園が佳境を迎える頃。一時帰国中の佐々木に、これまでの歩みを振り返ってもらった。

迷いのなかった花巻東進学

野球を始めたきっかけを教えてください。

父が監督を務める花巻東のグラウンドに幼い頃から出入りしていました。3歳の頃にはもうバットを握っていたと思います。野球をやっていない自分を思い出せないくらい、物心つく前から野球が生活の一部でした。

花巻東進学のときは、お父様に反対されたそうですね。

父からは、別の高校の進路についての話を何度もされていました。 でも、私の中では迷いがなかったです。小さい頃から花巻東のユニフォームに憧れて、花巻東で野球をやるのが自分の人生だと思っていたので。「花巻東でできないなら野球をやめるかな」と父にぼそっと言ったりしていました。

最終的には、どう説得したのでしょうか。

ずっとお世話になってきた、コーチ陣や部長が父に話をしてくれました。「麟太郎がここで野球をやることに意味がある」と。あの時の支えがなければ、花巻東でプレーしていなかったですし、本当に感謝しています。

偉大な先輩たちの背中

花巻東高校は、大谷翔平や菊池雄星といった名選手を輩出してきた。彼らの存在は、幼い佐々木にとって絶対的な憧れだった。

2人とも本当に偉大な先輩ですし、練習を頑張る大きな理由になっています。まだまだ遠い存在ですが、少しでも追いつきたいという気持ちは小さい頃から変わらないですね。

プロやメジャーを意識したのはいつ頃ですか。

いつなんですかね……もちろん翔平さんや雄星さんの影響は大きいんですが、明確にメジャーを意識し始めたのは小学校高学年です。YouTubeでバリー・ボンズの動画を見たときですね。あのスイングは衝撃でした。すぐにバリー・ボンズのものまねをしたくて素振りに行きましたし、ホームランの映像ばっかり見ていましたね。

小さい頃からホームランバッターへの憧れがあったんですね。現在の理想の打者はいますか?

うーん……難しいですね、(目標にする選手は)いっぱいいます。

例えば、大谷選手のように打率を残しながらホームランも量産できる選手と、フィリーズのカイル・シュワーバー選手のようにホームランを打つことに突出した選手もいます。どんな状態になるのが理想ですか?

翔平さんは究極論だと思います。あれだけ全方向にいい弾道でホームランが打てて、OPSも高くて、ましてや54盗塁もして……私は正直54盗塁は厳しいと思ってしまうので(笑)。シュワーバー選手のようなスタイルには魅力を感じますね。何かに突出したものがある選手には憧れますし、シュワーバー選手も参考に勉強させてもらっています。

アメリカの大学での挑戦と、トレーニング方法の改善

アメリカに渡って1年、ひとまわり体がまた大きくなったように感じます。高校時代からのトレーニングとは、どう変わりましたか。

たしかにトレーニングの違いはあると思います。でも、花巻東でのトレーニングも凄かったですよ。トレーニングコーチが重量挙げで日本一になった方で、その方の下で学べたことは大きな財産です。高校時代は人より抜けてパワーはあったので、それを発揮するための瞬発力を鍛えて、あとは大会で成果を出すことを1番に考えて取り組んでいました。

いまは何を意識してトレーニングしていますか?

今は「怪我をしない体をつくる」ことが第一です。メジャーに行ったら年間160試合あるので、耐えられる体を作らないと生き残れません。18歳の自分の体がピークになってしまったら、野球人生の終わりはすぐ来てしまうな、という感覚がありました。アメリカでは一から体を大きくしつつ、パワーとスピードを兼ね備えることを目指しています。確かにひとまわり大きくなったと思いますし、現地でのプログラムも自分に合っていたと思います。1年目を怪我なく戦えた(※リーグ戦の全52試合に出場)のは大きな成果でした。

学業との両立

彼が在籍する大学は、アメリカ西海岸に位置する世界でも屈指の名門校だ。野球だけではなく学業の成果も求められる。

しかし、佐々木の入学と同時に、同校が所属していたリーグが解体。その結果、東海岸の大学を中心に構成される「ACC(アトランティック・コースト・カンファレンス)」へと加入することになった。

これにより、西海岸⇨東海岸というほぼアメリカ大陸横断をする遠征が日常となってしまった。

シーズンの間は2週間に1回は遠征で東海岸まで行っていました。片道6時間のフライトで、体力的にもメンタル的にも大変でした。しかも、その間に宿題をやらなきゃいけなくて……勉強する時間もそこしかなかったですし、飛行機の中で寝た記憶はほぼないですね。

それでも、ACCから「学業優秀選手」(GPA(※評定平均)3.0以上、シーズンの試合の50%以上に出場が条件)として表彰されました。

学業との両立は価値として求めていた部分だったので、表彰は素直に嬉しかったです。学業成績が落ちると試合に出られなくなったり、野球にも影響するので……

2年生の終わりには専攻を選ぶことになります。現時点での希望はありますか。

迷っていますが、引退後のことを考えると経済学やマネジメントがいいな、と思っています。これはアメリカの大学のメリットだと思います。例えば、一度メジャーにドラフト指名されるとそこで休学ができます。そして、リタイア後にまた復学して勉強する……ということができます。野球はどんな人でも必ず肉体的なリミットがあるけれど、学びは脳が働いていれば一生続けられる。 だからこそ、今は野球を優先として取り組んでいますが、勉強もしっかりしておきたいです。

悲観的に準備し、楽観的に挑む

本人の耳にどれくらい届いているかわからないですが、アメリカへ進学を決めたとき、ファンの方からは「大丈夫か」心配する声も合ったと思います。ご自身の思いとしてはいかがでしたか。

言われていましたね。「英語話せるのかよ」「アメリカの大学で勉強なんてできるのかよ」と思っていらっしゃる方は多分たくさんいると思います。自分でも自信はなかったですし、不安もありました。リスクは大きいと思っていました。

それでも挑戦を選んだ理由は?

リスクと同時に、得られるリターンも大きいと思ったからです。私は物事に対して「悲観的に準備し、楽観的に挑む」ようにしています。これは父から教わった考え方で、自分の支えになっています。監督だった父は、試合前は最悪の事態を想定して徹底的に準備をしていました。でも、試合では楽観的に攻めの姿勢で挑む。

自分も、アメリカに行くと決めたらあとは覚悟を持ってやり切る、挑戦するだけ。怖さもありましたが、学生としても野球選手としても縁があって素晴らしい環境でプレーさせてもらえることになったので、乗り越えた先にあるものを信じて選びました。これが絶対的に正しい考え方かどうかはわからないですし、一見ネガティブにも映るかもしれませんが、今の私は「最初は悲観的に考える」ことをすごく大事にしています。

技術的な課題と反省

日本の高校野球からアメリカの大学野球に移って、投手のスタイルやレベルも変わったと思います。対応するために工夫したことを教えてください。

まず、ストレートの平均球速が150キロを越えてきます。日本にいたときよりも、速球への対応が必要になりました。以前、高橋由伸さんに取材していただいた時、速球に対応するためのバットの出し方についてアドバイスをいただき、スイングを修正していました。

シーズンを通しての手応えは?

序盤はホームランが一本も出なかったんですが、自分の中では「一番内容が良かった」と思っています。打球の質や角度、広がり方は序盤がベストでした。逆にホームランが出始めた終盤は、スイングの安定性を欠いてしまっていた。数字だけでは見えない感覚の部分があるんです。

課題をどう捉えていますか。

シーズンを通して「安定したスイングを続けられるか」が一番の課題です。打者が一番大事なのは、どんな投手が相手でも、自分のスイングを崩さず出せることだと思っています。そこが今年の終盤に崩れたのは、大きな反省点だと思っています。シーズンを通して毎試合、自分が納得できるプレーを続けたいです。

目標はありますか。

もしかすると、自分の成績次第で今後の日本人選手の評価が変わるかもしれない。その責任とプライドを背負って、怪我なく、後悔なくシーズンを送りたいですね。

編集後記

今回の取材は、佐々木が使用するブランド「BEN GENERAL」の撮影後に行われた。取材後にBEN GENERALの印象について尋ねると「BEN GENERALを着てプレーしたくなる、関わる人も大好きな素敵なブランド。日本人選手の評価と同時に、BEN GENERALの評価も背負っている。結果を出して喜んでもらいたい」と笑顔で語り、大学1年生とは思えない視座の高さとユーモアを見せた。

父の反対を押し切って進んだ花巻東。大谷翔平や菊池雄星、バリー・ボンズへの憧れ。そして「悲観的に準備し、楽観的に挑む」という姿勢。すべての経験が、いまの佐々木麟太郎を形づくっている。

佐々木麟太郎の挑戦は、まだまだ始まったばかりだ。

著者

梶 礼哉(Reiya Kaji)
梶 礼哉(Reiya Kaji)
北海道江別市出身のフォトグラファー / ビデオグラファー / ライター。小樽商科大学在学中の2017年、ドイツ野球ブンデスリーガ傘下(地域リーグ)バイロイト・ブレーブスでプレー。MAX100km/hの直球と70km/hのカーブを武器に投手としてそこそこの活躍を見せる。卒業後、紆余曲折を経て株式会社ワンライフに所属。FERGUSでは撮影とインタビュー・執筆を担当。

PROFILE

BEN GENERAL
BEN GENERAL
「デザインの力でスポーツ産業を進化させる」株式会社aseが展開する野球ブランド。 プロ野球の世界でも数多くの名プレーヤーが使用してきたBEN GENERAL。「URBAN STYLE BASEBALL」をコンセプトに、伝統を受け継ぎながら、トッププロからライフスタイルまで新しい野球文化をデザインするベースボールカルチャーブランド。 国内外の野球メーカーでプロからアマチュアまで対応してきたクリエイターやデザイナーが結集し、プロを支える技術と街中でも対応するセンスを併せ持った商品を展開。

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