BASKETBALL | [連載] 篠山竜青が今、考えていること

篠山竜青が今、考えていること(2025/02/19)

interview |

photo by Kazuki Okamoto / text by Miho Awokie

Bリーグでは2月初旬から末にかけて、代表活動のためのブレイクが設けられた。界隈では「バイウィーク」という呼び方でおなじみのこの期間の出来事について尋ねると、篠山は「ハチハチで忙しかったですね」と答えた。

ハチハチ。篠山が昨年に、橋本竜馬(ベルテックス静岡)、湊谷安玲久司朱(元横浜ビー・コルセアーズなど)と共に立ち上げた「88 BASKETBALL CAMP」と称したバスケットボールクリニックのことで、これまでに5度実施している。

篠山、橋本、湊谷は「88」という名のとおり全員が1988年生まれで、中学時代から全国の舞台で活躍してきたトップエリート。どのような経緯で交友を深め、共に事業を行うようになったのかを聞いた。

──みなさんが知り合われたのはいつまで遡るんですか?

まず竜馬を認識したのは中2かな。『竜馬のために』っていう有名な記事があったんです。月バス(月刊バスケットボール)に。あいつ多分2年のときに全中(全国中学校大会)に出て、確か大会期間中に怪我しちゃったんですよ。で、竜馬が怪我をした次の日だかにすごく白熱した試合を展開したっていう記事。たしか、1ページまるまる使ってたんじゃないかな。そこで初めて橋本竜馬っていう存在を知りました。福岡の同い年にすごいポイントガードがいるんだって。自分は当時全然全中とかに引っかからないレベルでバスケをしてたので、同い年の同じポジションのやつがこんだけ注目されてるって知って、めちゃくちゃ刺激を受けましたね。なんか名前もかぶってるし。

で、初めて見たのは多分ジュニアオールスター(都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会)かな。予選リーグが同じ会場だったんすよ。竜馬のいる福岡はどこかとめちゃくちゃ競ってて、オーバータイムとかだったんですけど、竜馬が1人でボール運んできて、1人で3ポイントバンバン決めて…みたいな試合をやってて、「わっ、本物だな」って思ったのをすごい覚えてます。

──湊谷さんも全中での活躍が月バスに華々しく紹介されていましたよね。

そうそう。僕、月バスめちゃめちゃ読んでましたよ。だから今になって昔の月バスの話とかで盛り上がれる人を見つけると、すごい嬉しいですよね。

──「笑登くん(4コマ漫画)」とか。

そう。あと昔の選手の名前とか。留学生の名前、どこまでマニアックなとこまで言えるかみたいなところ。アジィ・ラマトゥレイ・ニャイとか覚えてます?

──…うーん、男子の選手ですか……?

いや、女子じゃないかな……あ、慶誠だ!!!

(同世代の川崎広報)湊谷さんは高校時代、1人だけバラをくわえた個人写真で月バスに載っていて衝撃的でした。

うわ、懐かしいな。

──篠山さんも変なポーズをとってちょけていましたよね。

北陸はちょけなきゃいけないみたいな雰囲気もあったし…痛い高校生です。黒歴史ですね。プロフィールとかも必死にボケてたしね。「ライバル=福原愛」とか書いて。

──高校では篠山さんが北陸、橋本さんが福岡大学附属大濠、湊谷さんが洛南とそれぞれ超強豪校に進学されます。接点は増えましたか?

洛南とは公式戦でも交歓大会でもめちゃくちゃやりましたけど、大濠とは公式戦では実はあんまりやってなくて。やっても竜馬にはだいたい朝飛(多嶋朝飛=茨城ロボッツ)がついてた。あ、でも2年の時のインターハイで試合しましたね。千葉インターハイの準々決勝。

──お二人とは当時から仲が良かったんですか?

アレク(湊谷)とはU18日本代表のセレクションで一緒になったんで、けっこう喋ってます。洛南の後輩には本当に怯えられてましたけど、根っこはめちゃくちゃ真面目だし、すげえストイック。相部屋になったときに「こういう筋トレがいいらしいよ」みたいな話とかしてましたね。

──橋本さんはそうでもない。

はい。あんまり一緒になることがなかったですね。

──対戦してるし、お互い知ってるけれど。

会話はないです。もうバチバチだったんで。

写真提供: 篠山竜青

──ということは、三者の距離が近くなったのは大学に入ってですか?

アレクと竜馬は大学(青山学院大)が一緒だったので仲良かったと思いますけど、僕は全然です。そもそも他の大学の選手とつるむとか全くなく、日大だけで完結してたので。

──大学に入ると、高校時代の同級生とかのツテで他校の選手と仲良くなるイメージがありますけどね。

ありますよね。でも僕的にはちょっと…みんなで一緒にいる人とそれが苦手なタイプがいると思うんですけど、僕は「みんな仲良く」「みんな大きい輪で」っていうのが得意か苦手かで言ったら苦手なので。対戦相手なのにイチャイチャイチャイチャしやがって……。

──では当然、橋本さんとの距離も縮まらず。

全然ですよ。それこそ、李相佰(大学バスケの日韓戦)とかU24の候補の段階で同じ空間にはいましたけど、馴れ合ったりはしなかったですね。

──お互いライバルってこともあって線を引いていた。

無意識に。挨拶とかするし、軽く話したりはするんですけど、がっつり2人で飯行くとかそういうのはもう全然です。

──U18で仲良くなった湊谷さんも同様ですか?ご飯を食べに行ったりとかはあまりなく?

そこまで行かなかったっすねえ。アレクはすぐクラブとか行っちゃうんで。

──(笑)当時は大学バスケ=クラブみたいな風潮がありましたけど、篠山さんはあまり行かれなかったんですか。

たまに日大のクラブ好きなやつについていったりしてましたけど、通うとかそういう感覚まではいかなかったっす。そこまでいい思いもできたことないし……。

──モテないんですか。

モテない。女の子に声かけられない。

──以前のインタビューで、「大学でクールを気取ってたら友達がいなくなった」みたいな話をされてましたけど、大学の外でもあまり交友関係が広がらない大学時代だったんですね。

後悔。失われた4年間。

──月バスであんなにちょけてたのに……。

本当ですよ。何があったんだよって(笑)。基本ちょっと情緒がアレなところがあると思うんですよ。扱いづらい人間です。

同じ首都圏で生活し、生活の自由度が上がり、リーグ戦で毎週顔を突き合わせる大学になっても、篠山と橋本・湊谷との交友は深まった様子がない。一体どういうことなのかと訝しがりながら話を進めていくと、我々は思わぬ事実に突き当たった。

──なんでそんな三人がつながったんですか。

それこそファーガスなんすよ。きっかけは。そうだ!!!つながったここが。今思い出した。ファーガスなんすよ。

──どういうことですか?

それこそ第1回で来ていただいた時に、僕がセカンドキャリアのこととかで悩んでてっていう話を記事にしてもらったじゃないですか。それをアルバルク東京に移籍した竜馬が読んでくれたみたいで、連絡が来たんですよ。「飯行こうよ」って。

──へえ!

学生の時からバチバチやり合ってきて、30も超えて、チームでの役割も変わってきて。34〜5ぐらいからなんか…なんというか、もしかしたらいけないことなのかもしれないですけど、同年代の選手とやり合うっていうよりも「俺ら長いこと頑張ってるよな」っていう感覚にちょうど変わってきたんです。多分、竜馬と僕のそういう時期がちょうど重なって、だから僕も人見知りながらすんなり「行ってみたいな」って思って、2人でご飯を食べに行ったんですよ。川崎の焼肉屋に。

──これまでほぼからみのなかった2人が、いきなりサシで。

「初めて喋るね」「ほぼ初めましてですね」「乾杯」みたいな感じで。今言ったような心境の変化とかを話したら「いや本当にそうだよな」みたいな。セカンドキャリアのこととかを話していく中で、「でも、バスケット界の中には多分いるでしょ?」「Bリーグでヘッドコーチっていうよりは、子供たちに還元したりとかっていうほうが向いてるのかな」みたいなことを話しているうちに「今度機会があったらクリニックとかやってみる?」となったところから88が始まったんですよ。

で、竜馬は数日後にアレクと飯に行って、そこでもそういう話をしたらアレクも「やってみたい」と。アレクも引退して、バスケットから離れた世界で生きている中で、やっぱりバスケットで自分ができることをやりたいってけっこう悶々としたものがあったらしくて。それで改めて「3人で飯食おう」ってなって、「クリニックを1回やってみよう」っていうところから始まりました。ファーガスから始まりました。合同会社はちはち。自分の記事を見てくれて、竜馬が何かを感じて連絡くれたところから始まったんすよ。


(編集部岡元)ありがとうございます。


──人生、何があるかわからないですね。

そう。だからね、去年、一昨年ぐらいから他のチームの同年代の選手と話すことがすごい増えたんですよ。急に。今まで喋ったことなかった選手とかでも、なんか自然に会話ができるというか。「頑張ってますね」「怪我ないですか」みたいな話とかがすごく増えました。でもそれって僕だけじゃないと思う。竜馬も同じようなこと言ってましたし、多分みんな、ちょっとずつ、一定のラインを超えると「お互い頑張ろうな」みたいな意識がちょっとずつ出てくるんですよね。

──尖っていたものが少し丸くなったというか。表現が正しくないかもしれませんが。

役割が少しずつ変わっていって、ちょっとずつベンチから出ていくようになって、若い選手もいてっていう環境になってきて、共感し合えることがすごく増えるというか。それこそ自分のチームの若い選手たちに言ってもわからないことが、対戦相手のベテランにだったら伝わるみたいなことも多分すごいあるんだろうなっていうのって。それはすごい感じますね。

この間も石井さん(石井講祐=シーホース三河)と5分ぐらいしゃべったんですよ。自然と声かけちゃいました。「元気っすね〜、相変わらず」「いやいや、いっぱいいっぱいだよ」みたいな。そういうのがなんか増えてきました。本当に。

──長く競技の第一線を走り続けてるという、そういうことがあるんですね。

うん。最近はすごく、そういった意味でもなんか楽しいですよね。

橋本が目を留めたという(ありがとうございます)当連載の記念すべき第一回で、篠山は「バスケットボール選手でなくなったときにやりたいことが思いつかず、恐怖を感じている」と話していた。連載開始から1年以上を経て、その状況は明らかに変わっていると感じさせられる取材になった。

当時と同様、おそるおそる尋ねた。

──先のことがちょっと見えてきた感じですか?

そうっすね。バスケットおじさんになりたいですね。

──なんですか。バスケットおじさんって。

わかんないす。

篠山のバスケットボールジャーニーはこれからも続いていく。

PROFILE

篠山 竜青(Ryusei Shinoyama)
篠山 竜青(Ryusei Shinoyama)
1988年生まれ、神奈川県横浜市出身。178センチ(ウイングスパンは約190センチ)。小学生のときに兄姉の影響でバスケを始め、北陸高校、日本大学時代には日本一を達成。2011年にクラブの前身にあたる東芝バスケ部に加入。主力のポイントガードとして長きに渡ってチームを牽引してきた。好きな漫画は松本大洋の「ピンポン」。

PROFILE

青木 美帆(Miho Awokie)
青木 美帆(Miho Awokie)
フリーライター。高校3年時にたまたまインターハイを観戦したことをきっかけにバスケに取り憑かれ、早稲田大学入学後に取材・執筆活動を開始。小3の息子に口喧嘩で負ける。 X:@awokie Instagram:@miho.awokie

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