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日本野球は「世界遺産」その活かし方を、世界で学ぶ|ミルウォーキー・ブルワーズ国際スカウト・色川冬馬

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photo by Reiya Kaji / text by Reiya Kaji

 野球界には、目に見えない強固な「境界線」が存在する。プロとアマ、日本と世界、そして選手と経営。そのすべてを軽々と飛び越え、既存のシステムに風穴を開け続けている男がいる。ミルウォーキー・ブルワーズの国際担当スカウト、色川冬馬だ。

色川冬馬

 色川のキャリアは、いわゆる「エリート街道」とは無縁だ。仙台大学の野球部に入部した18歳の冬、120人もの部員がひしめく中で、1年生にはプレー機会すら回ってこない現実に直面する。 「このままでは、残された3年半の貴重な時間が無駄になる」。そう直感した彼は、周囲の反対を押し切り、わずか1年で退部を決意。 19歳で単身渡米し、アリゾナの砂漠からメキシコの街角、プエルトリコまで、チャンスがある場所ならどこへでも飛び込み、泥にまみれてトライアウトを受け続けた。

 その泥臭い経験が、彼を「冷徹な戦略家」でありながら「誰よりも熱い教育者」という唯一無二の存在へと変貌させた。独立リーグ・茨城アストロプラネッツのGM(ゼネラルマネージャー)として、4年間で12名もの選手をNPBやMLBへと送り出した実績は、単なる偶然ではない。

「私は、日本野球を世界遺産だと思っています。でも、その活かし方を我々はまだ知らない」

 現在、ブルワーズのスカウトとして世界を飛び回る色川。彼が今、日本野球を変えるために鳴らす、逆襲の号砲に迫る。

19歳の覚悟|安定を捨て、砂漠のトライアウトへ

 色川の物語は、18歳から19歳にかけての「大きな決断」から始まる。仙台大学という強豪校に入学しながら、彼はわずか数ヶ月で自分の居場所がここではないことを悟った。

「物理的に120人もいたら、なかなかプレーする機会がないじゃないですか。本来であればもっと練習して成長しなければならない時期に、ただ順番を待っているだけなんて耐えられなかった」 

色川冬馬

 いまでこそ大学の編入や海外挑戦はそこまで珍しいことではなくなってきているが、当時の日本球界においては大学を1年で辞めて渡米するなど「ドロップアウト」以外の何物でもなかった。しかし、色川の目にはすでに日本の外の世界が映っていた。2005年1月、彼はわずかな荷物を抱えてアリゾナへ飛ぶ。 そこで待ち受けていたのは、アメリカの厳しい現実。言葉も通じない、身寄りもない。しかし、各地を転々としながらトライアウトを受け続ける中で、彼はある「真理」に気づく。

「野球が上手い奴はいくらでもいる。でも、チャンスを掴み取るために『自分をどう売り込むか』を考えている奴は意外と少ない。僕はそこで、野球の実力以上に『コネクションを作り、交渉する力』の重要性を叩き込まれたんです」 

 アメリカでの挑戦の後、色川の足跡はさらに過酷な地へと向かう。プエルトリコ、メキシコ。そこには日本の「野球道」とは対極にある、凄惨なまでのプロの現実があった。

「アメリカを生き抜くには過酷な競争にも勝ち抜かなければなりません。特に中南米の選手は、野球がダメなら母国で仕事もない状況でした。そこにいる選手たちは、明日家族に食べさせるために、文字通り死に物狂いでプレーしている」

 昨日まで一緒にプレーしていた仲間が、結果が出ないという理由だけでその日のうちに解雇される光景を何度も目にした。そこで生き残るために必要なのは、他人の顔色を窺うことではなく、一瞬のチャンスにすべてを賭ける「強い決断」だった。

「日本人はルールを守ることには長けている。それは素晴らしい美徳です。でも、生きるか死ぬかの瀬戸際で『自分がどうしたいか』を決められない弱さもある。僕はラテンの野球を通して、泥の中でも失われない『個の意志』の尊さを学んだんです」 

「アジアンブリーズ」——砂漠に吹く、再起の風

 色川が2018年に立ち上げた「アジアンブリーズ」は、そんな彼の放浪生活から生まれた「恩返し」の形だ。 毎年春に米国アリゾナ州へ渡り、MLB球団のマイナーチームと直接対戦を繰り返すトラベリングチームである。 20~25名のNPBを戦力外になった選手、独立リーグからメジャーを目指す若者など、「崖っぷち」の男たちでチームを構成し、アリゾナに出向いている。2024年、このチームに激震が走った。サイ・ヤング賞右腕、トレバー・バウアー投手が「アジアンブリーズで投げたい」と志願してきたのだ。

「バウアーがうちのユニフォームを着て投げたことで、現地の人々も我々の存在を知った。それは若手選手たちにとって、何よりの刺激になりました」

 アジアンブリーズは、単なる海外遠征ではない。世界のスカウトがひしめくアリゾナという「市場」に、日本の才能を直接放り込むための、最も純粋なショーケースなのである。  

「なぜ僕に聞くんだ」——NPBも驚愕したビザ交渉の舞台裏

色川の真骨頂は、逆境においてこそ発揮される。2021年、パンデミックが世界を覆っていた時期、茨城アストロプラネッツのGMだった彼は、不可能と思われた外国人選手の入国を行政や関係各所との調整を重ねながら実現させた。

「入国制限下で、外国人選手を呼ぶ意味は何だ?と政府から問われました。そこで私は、独立リーグがいかに地域に根ざし、活気を作ってきたかを具体的な数字に落とし込み、こういう時期にこそ心の栄養が地域には必要だと、政府を説得するための資料を作りました」

色川冬馬

色川は、方々から情報を得て、入国管理局とチーム、ひいてはリーグとの連絡窓口を実質的に一本化させた。 隔離期間中の選手のメンタルケアから、24時間の監視体制まで、すべてをGMである彼が采配した。

「シーズン中、NPBの国際スカウトの方から電話がかかってきて、『ビザ、どうやって通してるんですか?』って聞かれたんです。正直、『日本球界の最先端にいるはずの皆さんが、なぜ僕に聞くんだ』と驚きましたけど(笑)」 

この執念の結果、サンディエゴ・パドレスでのプレー経験も持つセサル・バルガス投手(後にオリックス)らの来日が実現した。外国人選手の獲得はもちろんコストもかかるが、日本人の選手たちにとって「このレベルの選手でもNPBやMLBとの契約を取れていないのだ」と実感させることこそ、選手の自覚を促し、成長につながるという。

若き才能への「劇薬」。茨城時代の徹底指導

 茨城アストロプラネッツのGMとして、色川が若手日本人選手に求めたのは、成長に直結する「自立」だった。

「日本の選手は、自分の人生において、自分で何かを『決めてきた回数』があまりにも少なすぎる。だから、いざという時の決断が驚くほど弱い 。これは選手個人の性格の問題ではなく、日本社会の課題です。決められた枠組みの中で、言われた通りに正解を出す能力。それは確かに、震災の時に整然と並ぶことができるような、日本の素晴らしさや秩序を生んできました。しかし、ひとたび勝負の舞台に立てば、その『従順さ』だけでは戦い抜けない場面もあります。僕が見てきた中南米の選手たちは、明日家族に食べさせるために、文字通り生きるか死ぬかの瀬戸際でプレーしています 。そこで求められるのは、他人の顔色を窺うことではなく、『自分がどうしたいか』を決め切る覚悟です。対して日本のエリートと呼ばれる子たちを見ていて思うのは、あまりに自分で決めてきた回数が少なすぎて、リーダーシップが育っていない。自分の人生のハンドルを、誰か他の人に握らせたままにしているんです 」

色川冬馬

だからこそ彼は、全選手に対して自身の「武器」を明確にすることを強いた。 150キロを投げられるなら、その150キロを中心にパフォーマンスを組み立てる。遠くに飛ばす能力に長けているのなら、ホームランバッターを目指す。弱点の克服に時間を割くより、強みを伸ばしきって弱点を見えなくさせる。 そのために、日々の生活は徹底した自己管理が求められた。

「口に入れる前に、すべての食事をLINEグループに送らせました。卵1個でたんぱく質が何グラムか、自分の体重なら1日に何グラム必要なのか。Googleで調べればわかることを、なぜやらないのか。徹底してやり取りを繰り返しました」 

色川は、選手に媚びない。

 「僕らのやり方が合わない選手がいても当然。そのときは、他の球団へ行くのは全然OKだよと伝えていた。一人のためにモデルチェンジはできないけれど、食らいつく選手にはとことん伴走する」 

この徹底した姿勢が、4シーズンでNPB / MLBへ12名のプレイヤーを輩出という成果を生んだ。

ブルワーズのスカウトとして、日本で見出す「真の嗅覚」

 現在、ブルワーズの国際スカウトとして色川が狙いを定めているのは、決して「160キロを投げる超スーパースター」だけではない 。 彼は、日本の野球が持つ「緻密さ」と、MLBのスモールマーケット戦略をマッチングさせようとしている。

「ブルワーズは、盗塁やヒットエンドランを駆使する『野球らしいベースボール』をやる珍しい球団です 。 だから、いわゆる『二番煎じ』に見える選手、日本では高く評価されるけれど世界ではまだ評価されていない武器を持つ選手にチャンスがある。足が速い、バットに当てるのが上手い、守備が異常に上手い。そういう、日本人が本来得意としている『嗅覚』を持った選手を、僕は探しています」 

 色川が見ているのは、単なる数値だけではない。ピンチの場面で、その選手が何を考え、どう動くか。その一瞬の「決断」に、その選手のキャリアのすべてが凝縮されていると考えるからだ。休日もなく、目当ての選手がいれば地方大会の予選や練習試合にも足を運ぶ色川の言葉には、ブルワーズの日本人スカウトとしての責任感と矜持が滲む。

「高校生、大学生、プロにしても、僕がブルワーズへ送り出す日本人選手は『第1号』になります 。 その第1号が、単にニュースになるだけでなく、ブルワーズという球団の存在感を日本に刻むような、そんなストーリーを持つ選手を僕は獲りに行きたい」 

 過去在籍していた齋藤隆はアトランタ・ブレーブスからの移籍組、青木宣親はポスティングを経ての移籍だったため、ブルワーズが日本でのスカウティングを経て獲得した選手はまだ誰もいない。色川が獲得する「第1号」が誰になるのか、日米のファンからは期待のこもった熱視線が注がれている。

日本野球には、まだまだ伸び代がある

 色川冬馬が見据えるゴールは、スカウトの枠を遥かに超えている。それは、日本野球界の意思決定の仕組みそのものを変える「GM」という役割だ。

「私は役職欲があるわけではありません。ただ、日本野球を次のフェーズへ進めるためには、私のような人間が意思決定の中枢に関わり、日本野球界を世界で対等に戦える組織へ押し上げていかなければなりません。そのためには、日本の各分野・各部署に存在する才能を、横断的に捉え、賢くマネジメントできる人材が野球界には必要だと考えています。組織が利益を生み、選手へ還元され、中長期的に持続可能な運営体制を築くこと。そしてスカウティング、育成、交渉など、日本は世界と比較してもまだ大きな伸び代があります。だからこそ、これだけ多くのMLB球団が日本人選手やスタッフの獲得に動いているのだと思います」 

 元プロのスーパースターではない。しかし、誰よりも泥水をすすり、誰よりも世界を知る男。色川冬馬が鳴らす号砲は、停滞する日本球界に熱い風を吹き込み、やがて巨大なうねりとなって世界へと繋がっていくはずだ。

色川冬馬


参考文献:「たったひとりの独立リーグ野球改革亜紀書房, 色川冬馬 

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PROFILE

色川 冬馬(Toma Irokawa)
色川 冬馬(Toma Irokawa)
MLBミルウォーキー・ブルワーズ国際スカウト。群馬ダイヤモンドペガサス会長付特別補佐。 1990年、仙台生まれ仙台育ちの36歳。 選手としてアメリカ、プエルトリコ、メキシコなど5カ国でプレー。その後2014年からイラン、パキスタン、そして香港で国家代表監督を務め、各国で史上最高成績へ導くと、2020年オフ〜2025年まで茨城アストロプラネッツでGMとして手腕を発揮。4シーズンで12名の選手をNPB・MLBに送り込んだ。 著書・「たったひとりの独立リーグ野球改革」が好評発売中。

インタビュー

Pon | 彭善豪(ポン・シャンハオ)
Pon | 彭善豪(ポン・シャンハオ)
台湾在住のスポーツフォトグラファー。ライターや通訳の仕事も行っている。Instagram: @sportspontaiwan

記事・写真

梶 礼哉(Reiya Kaji)
梶 礼哉(Reiya Kaji)
北海道江別市出身。小樽商科大学在学中の2017年、ドイツ野球ブンデスリーガ傘下(地域リーグ)バイロイト・ブレーブスでプレー。MAX100km/hの直球と70km/hのカーブを武器に投手としてそこそこの活躍を見せる。卒業後、紆余曲折を経て株式会社ワンライフに所属。FERGUSでは撮影とインタビュー・執筆を担当。

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