「ケアしながらでもいいですか?」
我々にそう断りを入れた後、篠山はキャリーケースのような形状をしているセルフケアの機器をゴロゴロと転がしながら、再び取材場所に現れた。
この日はファーガス編集部の意向を踏まえて、シンプルに「篠山とバスケットボール」をテーマとした。なぜバスケットボールを始めたのか。バスケットボールの何が楽しいのか。これまでに何度も何度も聞かれてきただろうし、実際筆者も過去に聞いたことがあるのだが、今、改めて聞くことで何か違った発見があるかもしれない。
篠山は部品を組み立て、機器のスイッチを入れ、足の裏をストロー状の何かでスパスパ吸いながら、取材に応じてくれた。
──岡元さん(ファーガス編集部)がぜひバスケットボールのことを聞きたいと。
「いいよ。たまには本業の話をしないと忘れちゃうから」
──始められたきっかけは、ご家族の影響ですよね。
「僕、3人兄弟の末っ子なんです。8個上の兄ちゃんと5個上の姉ちゃんがいて。父は転勤族で、僕は実は静岡の清水で生まれたらしいんですけど、横浜に引っ越してきたタイミングで兄貴がサッカーを始めて、キーパーをやってたらしいんですよ。今187か188センチあるんですけど当時からでかかったみたいで。でもあまりにボールが来ないから暇で砂をいじって遊んでたら、それを見たミニバスの先生がバスケに勧誘して、始めたらしいです。
で、兄ちゃんの影響で姉ちゃんがバスケを始めたくらいのときに、うちの母親がお手伝いコーチみたいなことを始めたんです。母は高校までバスケをやっていて、メインでコーチをやっていた女性の先生と意気投合したらしく。僕はその頃多分まだ赤ちゃんだったので、父母会の人にお世話してもらいながら、母は女子の下級生を教えていたみたいです。
だから物心ついた頃には、バスケットっていうものがあって、見てたし、遊んでたんですけど、そこのチームがすごく厳しいチームだったんです。だから僕は(ミニバスに入れる)小学1年生になっても『バスケはやらない』と宣言して公園で遊んでました。
ただ、3年生に上がる時に、1番仲の良かったテツロウくんっていう子に「バスケットをやってみたいから一緒に見学に行かないか」って誘われたんです。そうしたら怖いと思っていた先生がすごい優しく私を迎え入れてくれて、『こんなに優しいんだったらやっても大丈夫かな』と思って入っちゃったのが、まあ、ことの始まりですかね」
──実際は非常に厳しくて怖い方だったんですよね。
「はい。してやられました。これ、今も変わらずなんですけど、人が大きい声で怒られてるのを見るのがすごく苦手なんですよ。自分が怒られてなくても。だから『ミニバスの先生が怖かった』みたいなことを話した記事が出るたびに『お前は全然怒られてないのにそんなことを言うな』って連絡が来ましたね」
──ということは、篠山さんはあまり怒られなかった。
「はい。3年生で入ってすぐにフルメンバーの試合にも出させてもらえましたし。そんなに大活躍はしてなかったけど、一通りのことはできたんじゃないかな」
──お兄さんお姉さんとバスケをされていたからですかね。
「そうですね。NBAを見るのも好きだったので」
──当時はNBAがBSでコンスタントに放送されていました。
「そうそう。生だと朝の8時半から。録画だと夜の7時から9時。家族とも見ていたと思うけど、わりと1人で見てましたね。プレーもそうですけどイントロダクションというか、アリーナが真っ暗になって、選手がかっこよく登場してくるみたいなところがめちゃくちゃ好きで。いろんなチームのイントロダクションを見てました」
──以前NBA関連のインタビューで、遊びに行くときは必ず「入場」をイメージして、自宅の玄関から公園の滑り台まで気持ちを作りながら走って行ったと話されていましたね。
「おもしろいもんで、自分の息子たちも同じようなことをやりますよ。部屋を真っ暗にして(川崎が選手入場の際に使用する)『レッツロックオン』をかけて、『走るスピードはこれくらいだ』とか。男の子はみんな、ああいうの好きなんですね」
──憧れていた選手はどなたでしたか?
「1番最初はやっぱ(マイケル・)ジョーダン。ブルズはやっぱかっこよかったっす。ジョーダン、(スコッティ・)ピッペン、ロン・ハーパー! 対極にいるユタ・ジャズがダサくてねえ。(笑)(ジョン・)ストックトンとか、ジェフ・ホーナセックとか、白人の七三分けのおっさん(当時の篠山比)がめちゃくちゃ短いバスパンでやるわけですよ。じみ~な。今となればストックトンとのうまさとか、ホーナセックのすごさとかわかりますけど。
記憶に残ってるのは97、98年ぐらいからなんですよ。98年が小4だから。だから(バッシュの)エア・ジョーダンシリーズでどれが1番好きかって聞かれたらやっぱり12か13。97年に12を履いてて、98年が13だったかな。この二足が一番子供心にぐさっと刺さりましたね」
──ということは、ご自身のファーストシューズはナイキだったんですか?
「いや、アシックスです。でも小4のときに一回だけ、ナイキを履いたことがあるんです。先生に怒られて拗ねて、おかんに『やめたい』って言ったら、『好きなバッシュ履いていいよ』って言われてエア・ペニー3の真っ黒を買いました」
──当時の小学4年生にしては尖ったチョイスですね。
「そう。小4でこれ(笑)。今になって欲しいんですよ、あれ」
──復刻版は売っているみたいですけど、高価ですね。今見たら6万円でした。
「6万!? マジで? いや、6万はちょっと……。誰か買ってくれる人募集してくれないですか?」(※しません)
──お母様に「バスケをやめたい」と話したときのこと、もう少し詳しくうかがってもいいですか?
「珍しく先生に怒られて、嫌になっちゃったんだと思います。で、おかんにスポーツショップに連れて行かれて、練習着とバッシュを新調してもらったら『やる』と(笑)。でもそのとき僕が『何を怒られてるかわからない』みたいなことを言ったみたいで、それをきっかけにおかんがコーチに再度復帰したんですよ。女子の下級生を見ながら遠目に男子を気にしてくれていて、言われたことを理解していなそうだったら家に帰って噛み砕いてくれて。今思い返すとそんなこともありましたね」
篠山はこれまでの取材で「自分は三男だからほったらかしで育てられました」というようなことを何度も口にしていたが、しっかり母の愛情を受けて育っていたことがわかるエピソードだ。
──少し話が戻りますが、現役で「かっこいい」と思うバスケットボール選手っていますか?
「顔なら(アイザック・)フォトゥと渡邉(裕規)さんと遠藤(祐亮、いずれも宇都宮ブレックス)。男らしい感じが好きです。選手の生き様としてなら…五十嵐圭さん(新潟アルビレックスBB)がやっぱりかっこいいっすね。すごいと思う。あそこまでプレーすることにこだわってやれる人ってのはすごい」
──ルックスも素晴らしい方ですが、44歳になっても現役を続けているという点でしょうか。
「それもありますし……これはただの憶測ですけど、たぶん(故郷の)新潟アルビレックスBBへ移籍した時にそのままいてもよかったはずなのに、そこから群馬に行って、またプレータイムを求めて新潟に戻って、今でも本当にエネルギッシュだし、選手として結果も出している。でも圭さんに対してそんなにだったも時期あったんですよ。イケメンに振り切ってタレントみたいなことをやっていた時とか」
──ドラマに出演されたり、写真集を出されたりしていましたよね。以前お話をうかがったとき、五十嵐選手なりにバスケット界を盛り上げたいという気持ちだったとおっしゃっていました。
「ですよね。今ならあの頃の圭さんの気持ちがわかるんですけど」
機器のタイマーが切れた。周囲には椅子が多量に置かれていたが、篠山は寒々しいショートパンツの上からタオルをミイラのように巻きつけ、地べたに座り込みながら取材に応じた。
──小学3年生からバスケットボールを始めて、日本一を目指したり、実業団に入ったり、プロになったりしてきて、ご自身とバスケットとの関係性もだいぶ変わったんじゃないかなと思うんですが、いかがでしょう。
「……えー。どうなんすかねえ」
──変わってませんかね、それとも。
「うん。やっぱり結局は楽しいから続けられてると思うんで、そこの根っこの部分は変わってない感じはしますかね。色々なことがありましたけど、でも何年やっても楽しいって思えてるから続けられるし。最終的にはそこなのかなって、今改めて思いますね。ミニバスでやめたくなったときも、バスケのことが嫌いになったわけではなかったし、それはすごい感じます。バスケット以外のことでこんなに長く続いていること、僕、1個もないんで。趣味もないですし、飽き性だし。だから、本当に………よかったですよね。こういうのに出会えて」
──出会えない人もいますからね。
「そうですよね。夢がないとか、やりたいことが別にないとか。うん。実際僕もバスケットをやめた後、やりたいことなくて今困ってますしね(笑)」
──バスケットボールスピリッツさんのインタビューで、お話されてましたね。
「結局バスケットに関わることをやるんだろうと思いますけど。ほんと幸せだなと思いますよ。バスケットに出会えて」
──プロアスリートって特殊な職業じゃないですか。とんでもなくたくさんの人から褒めたたえられたり、ワーキャー言われたり。以前、一般企業に就職する関東1部リーグ所属の大学生が「この先、バスケをプレーする以上に楽しいことに出会えるか不安なんです」みたいなことを言っていたんですけど、スポットライトを浴び慣れたプロ選手たちはもっと不安だろうなと。
「そうっすね。でも、ないって言われましたよ。(中村)憲剛さんに。『ないよ』って。『現役終わったらないよこんなの。だからやり切ったほうがいい』って言われました」
──「楽しいから続けている」とおっしゃっていましたが、バスケの何が楽しいんですかね。
「んー。何が楽しいんですかね。んー………(30秒くらい考える)。でもやっぱり誰にも応援されなかったら、こんなに続けられないかなって思いますね。誰かに応援してもらえるとか、認めてもらえるとか、モテるとか。結局、承認欲求でバスケやってるから。ハハハハハハ」
──バスケットを始めた頃は、どうやってその承認欲求が満たされていたんですか?
「先生に褒めてもらえるとか、そういうところから始まった気はしますね。1番喜んでくれたのは、ルーズボールに飛び込むとか、テイクチャージを取るとか。そういうところが原点にある気がしますよ」
──シュートを決めるのがうれしい、ではなく。
「そうっすね。うちの先生はシュートを決めても喜んでくれなかったけど、ルーズボールに飛び込んだら立って拍手してくれました」
篠山は「自分のために」より「誰かのために」という意識が強い人間だ。「自分が楽しい」より「まわりが楽しい」のほうがうれしい。だからゲームメイクやパスが好きだし、他者に強く物を言えないし、モヤモヤした気持ちを抱え込んで眠れなくなったりする。
エゴイスティックな人は幸せなのか。そうでない人は生きづらいのか。最近筆者が方方での取材を通して良く考えることだが、一つ確かなのは、後者の存在に救われる人はたくさんいて、その人たちの思いを受け止めると彼らは自分が思う以上に頑張れる、ということだ。
バスケットボールを始めて27年。尽きぬ「ワーキャー」への欲求について、篠山は「ネバーイナフ」と一言言った。そして、きまりが悪かったのか激しく笑った。