因髄分解とは、各業界のプロフェッショナルな方々が考えるこだわりを【因数分解】し、そのこだわりを産む【骨の髄】にある要素を探し、「日本サッカーのこれからについて」を考える上でのヒントを探る旅である。
2023年の春から日本を離れて北米で暮らしているんですけど、その日本を離れる少し前に渋谷の居酒屋でご飯をたべていまして。そしたら隣の席に南さんとお友だちが座ってきたことがあったんです。そのときからYouTubeを拝見していたのですが、お声がけしたら痛いファンすぎるかなと思ってやめちゃったことがあったんです。
え、恵ですか?たばこ吸えるところですよね?
そうかもしれないです。かわいい女の子じゃないからよくないかなって
なめやがって(笑)
ってことでいつかお仕事としてお話しできるときがくるといいなと渇望しておりました。
今度いきましょうよ。
12月に少し帰るのでそのときに。
そうなんだよなぁこの人基本カナダなんだよなぁ
僕らの世代にとって面白いとはなんなんだ
南さんと最も話したかったことが「我々世代のおもしろいとはなにか」についてなんです。とんねるず、ダウンタウンなどがつくってきた番組で育ったぼくにとって、ここの数年でお笑いの雰囲気は変わってきているのかなと思っています。公立高校っぽい、若干の暴力性、内輪ネタ的なものがどんどんなくなってきた印象です。そもそも南さんってそういう番組をみて育ってきたのでしょうか。
地デジに移行するタイミングがあったじゃないですか。そのタイミングでテレビが砂嵐になってみられなくなったんですよ、なにも。僕も親も機械に弱くて、地デジカが頻繁に出てきたあたりから「そろそろ見られなくなるからいまのうちにテレビ見ときや」って育てられました。
やばい。じゃ「いいとも」のあのタイミングでテレビみれなくなってるんだ。いいとも青年隊の曲きいてないんだ。
忘れもしないです。いいともでしたよね。友達の家で録画をみたらカウントダウンしながら「3、2、1、地デジ移行!」って盛り上がってたんですけど、僕の家では「3、2、1…」を最後に放送が止まりました。だからそこから全然見れてないんです。でもおばあちゃん家のパソコンでネタとかは見てました。あとあまりよくないですけどバラエティも違法アップロードでしかみてなかったです。
違法アップロードをみて育ちましたよね、我々世代って正直。もちろんダメですよ、違法アップロード。でも確かにその違法アップロードに囲まれて生きてきた。
そんなこと言ってカナダの法律大丈夫なんですか?
この記事が英語に翻訳されなければ大丈夫です。
そうなんや。僕らは違法アップロード世代ですよ。
スポーツの世界でも違法アップロードの話ってよく出るんです。例えばTikTokでハイライトや印象的なシーンの切り抜きが流れてきて、その競技や団体の知名度向上自体には貢献していることもある。大谷翔平がここまで若年層にも認知を得ているのは確実にTikTokの違法切り抜きが影響していると思うんです。
文化がバグみたいに伸びるときって、モラルのない層が入ってきたときにぐわっと広がるんですよね。それをコントロールするのは限界があるとも思います。どれだけ規制をかけてもそのコンテンツを欲する母数が増えたらどうしようもないですから。ただそれらはコントロールできない代わりに(コンテンツを)広めていくんですよね。だから消費が早いかもしれないですよね、ネタとか漫才とかも。
やはり当事者としてそう思ったりしますか。
短くなっていると思いますね正直。お笑いでいったら、いわゆる賞レース、M-1グランプリ、キングオブコントだけじゃなくてABCお笑いグランプリ、NHK上片漫才コンテスト、ツギクル芸人グランプリとかどんどん新しい大会ができていて1年に勝負ネタが何個も必要な状況があります。いままではM-1だけでよかったのが、大会数と比例して5倍必要となってくると一昔前よりは結構な苦労というか、それだけ数をつくることを要求されているなとは思いますよね。
消費が早いということはその分なにかっぽいものをアレンジすることもあるかと思いますが、新しいネタを作るときはどこから取り入れるんでしょうか。
なにかっぽくなったらやめますね。それだけでなく、他のひとがなにかっぽいネタをしていたらにはしていましたね。映像も残るのがいまの世界なので、安易に人の真似をしたまま世に出すと「パクリのやつや」って思われてしまう。
公立と私立の面白い
ちなみに当時の番組ではなにをみてましたか?
南さんがなにを蓄えていまの感じになっているのだろうと思いまして。
なにみてたんですかね。トリビアとか?
そんな気がしていました、トリビアの泉やばいですよね。あれいままでの全番組の中で1番面白い気がするんですけど。
あれは結構マジで面白いですね。水曜日のダウンタウンとかも面白いんですけど、当時のほうが攻められたじゃないですか。お金もかけられたし。それは面白かったですね。
水ダウも若干トリビアっぽいときありますしね。知的好奇心をくすぐるような作りといいますか。
インタレスティング × ユーモア的なことですよね。
なんとなくずっと思っていることがあって。SNSが普及したタイミングくらいから我々世代の面白いとされているものが私立高校っぽくなったような気がするんですよね。
大学でいいじゃないですか。私立大学でいいでしょ、その例え。
まぁそうなんですけど、私立高校と公立高校の対比でいかせてくださいここは。公立の方がもっとカオスというか、基本的には所属する人間に偏差値で篩をかけますよね。いろんな価値観が一斉に集結する場所での「オモシロ」がときに暴力性があって、ときに内輪っぽいものになるイメージがあるんです。これはヒップホップとラップの単語を取り巻く雰囲気にも同じようなことを感じます。ぼくはゴリゴリに公立の学校に通っていて、偏差値も平均以下のところをずっと生きてきたので、一般的に悪いとされる子も周りに多かったんですね。だからそこで面白かったとされていたもの、当時ぼくの周りでアガっていたものは昨今あまり見ることができなくなったような印象があります。少なくともテレビでは、いやYouTubeでも最近はあまり見ないですね。
僕も公立高校だったんでガッツリ3年間触れてきましたね。
あのノリって当時は面白かったと思っていたんです。もういまだとわかんなくなっちゃってきましたけど。
僕はあのノリを面白くないと思っていたんですけど、上京してこの間ひさしぶりに高校のときの友だちに会いにいったら、当時と違った印象でした。彼らはいい大学に行ったんですけど、気がつけばふたりとも退学してフリーターをしていて「社会は俺たちを受け入れてくれなかった、恥ずかしくてやめてきたわ」みたいなことを言っているわけです。結構それが自分に似ていて、いつまで経ってもモラトリアムでふわふわしているみたいなノリが面白かったです。
公立高校のあの感じってなんなんですかね。ものづくりをしているひとでも本当にぶっ飛んでる思考のひとは公立高校出身者が多いんです。あくまでこの面白さは主観によるものなのですが、私立高校出身者のつくるものって知的で親しみやすさが前提にある気がするんです。お笑いなんてまさにそこのなんともいい表せない ”違和感” がネタや振る舞いの分岐点になっている気もします。いまでも忘れられないのが、数年前に地元の立川の友だちと年末に会ったときに「M-1のネタがよくわからない」って言われたんですよ。
なにその老害みたいなの。
いまのM-1のネタってネットミームとか、固有名詞の引用が結構でてくると思うんですけど、それがわからないっていうんですよ。たしかに昔のお笑いのネタって大げさな動きとともにふざけて頭を叩く、まさになんでやねんみたいなのがメインだったから若干毛色は違うのかもしれないですよね。
確かに知識を前提としたボケとかは多くなっていますよね。それを裏付けるあきらかな流れがあって、すこし前までは高卒でお笑いの養成所に入るひとがほとんどだったんですけど、僕の世代くらいからは高卒で養成所に入っていまだに残っているのは数名しかいなくて、ほとんどが大卒、もしくは社会人経験のあるひとなんですね。俗にいう「大学お笑い」っていう、それこそ令和ロマンとかラランドとか、頭のいい、知識のあってみたいな芸人が増えました。さっきのM-1わからない発言でいうと真空ジェシカさんとかがまさにそうだと思います。大学お笑い出身でいまの大学お笑いのひとが最も憧れるコンビが真空ジェシカさんなんですよ。だからそういうわからないやつは笑わなくていいみたいな、貴族の特権みたいな扱いにいまのお笑いはなりつつあるのかもしれないです。結構 ”上のもの” になっているというか。
それめっちゃ面白いですね。
映像と舞台でのワードチョイスの選定
南さんはYouTubeチャンネルで結構そういう固有名詞をいれてくるような印象があるんですけど、それは視聴者のことも意識して選定しているんでしょうか。このワードならみんなわかるだろうみたいな。それともなにも考えずに好きなことを発言してますか?
YouTubeでは好きなことを言ってますね。舞台、ライブはお客さんがすぐに調べられないからその場で伝わるようにするんですけど、YouTubeは気になったことをすぐに調べられますし、コメント欄に答えが載っていたりするので、言いたいことをいってます。知らないワードに出会ったとして、その瞬間は楽しめなくてもすぐに答え合わせができるので。
ある意味視聴者さんへの信頼もあるってことなんですね。それに発されるワードがやけに響くのはなんでなんだろうって不思議なんです。たとえば「プリキュア」ってワードがテレビ画面に映っているとすこし前だったら若干の違和感があったんですよね。まだその言葉は僕ら(世代)のものだという感があった。でもいまは作っているひとも同世代が増えてきて普通に「僕らの単語」がでてくることも増えました。すこし派生して、最近自分が「センスを感じる」ってどういうことかなって考えてたときに「言葉を引用する量と幅」が多分に影響しているなと思っていて。まさに南さんにはそのセンスを感じるんです、言葉を拾ってくる場所が特に。それについてなにか意識をしていますか?
なんかあるかなぁ。できるだけものごとを例えるときに『赤いものをポストみたいと言わない』みたいなことはしてるかもしれないです。すぐに連想できるものは言わないですよ。お正月にやるタコだと「どんなに距離があっても糸は繋がっている」ってところを他の言葉でいいたんですよね。ギリギリ言ってることわかるなぁってところ。
赤いものでいうとなんですか?
えぇ、赤いもの…。
…。
なんで俺こんなところで追い込まれなあかんねやろ。
近すぎないけどもみたいなところってことですよね。
そう、全くわからないとちょっとわかるの間を「言ってまえ」っていくのが多いですね。でもあんまなんにも考えてないかもしれないです。
あそこまでチャンネルが大きくなるとそれがみたくてみにくるひともいると思うからいいですよね。
たしかに、それは楽ですよね。
ロックとヒップホップの売れたあと
みていて嬉しかったですもん。木島さんのTwitter(現:X)での登録者カウンターがどんどんあがっていくの。動画もいつも恋人とみてますから、リビングのテレビで。
たまにYouTubeのアナリティクスでカナダから見てるひとの項目でてくるんだよな。
あ、あのカナダ?
ひとつのデバイスしかないから絶対そんな影響力ない(笑)
舞台とYouTubeでワードを選ぶって話があったと思うんですけど、いまはみなさんテレビで知識前提のお笑いをする傾向があるじゃないですか。テレビって舞台とYouTubeの間にあるような感覚もあるんですけど、あれは視聴者がついてこれると信じてやってるんですかね。
あれは自分が面白いと思うことをやっているんだと思うんですよね。舞台で伝わらなくてウケなかったところを濾して残った面白いところを使ってるんだと思います。でもいまは審査員もベテランのひとが多いので、ウケきらないことも多い。でもそこはいいんじゃないですかね、自分のやりたいことをやっていて。少なくとも若いひとはみんなネットネイティブなので視聴者はわかっていることも多いんじゃないですかね。だいたいミームとかもわかるし。
それはテレビがキングな時代でもないって証な気もしますね。
南さん的にはテレビはもうないんですか?
いや、忙しくなければ全然って感じですかね。正直。スケジュールが大変になっちゃってからやめちゃったので。解散とかも。
それなんなんですか。ロックすぎませんか。
ヒップホップじゃないですか。
いやわかんないけど。
ロックとヒップホップで僕が最近思っていること話してもいいですか。ロックとヒップホップって売れてないときの歌詞は似ていると思っていて。俺は売れてねぇとか金がねぇとか。でも売れた後が少し違うんです。ヒップホップは俺は成り上がったぜって歌うけど、ロックはずっと弱者っぽいこといってるんですよね。母数的にその傾向強くて。そう考えたときに、ヒップホップのほうがロックじゃないかって思うんです。
あぁ…。これは太字赤字斜めフォントの明朝体ですね。
赤紙やん。
ちなみに南さん、いまなにを飲まれているんですか?
これは友だちの家にある名前とか全くないお茶なんですよ。なんなんですかねこれ。シンガポールのコップですけど。
もうロックの話に興味ないじゃん。
なぜ私たちは格闘技に夢中になるのか
最後の質問です。おふたりは格闘技がお好きだと思うのですが、いったいなぜ格闘技に夢中になるのかをお話いただきます。魅力的なコンテンツに共通するなにかがみえてくるかもしれません。
テレビが衰退しているとよく言われる昨今、たしかに昔よりも国民が共通して持っている話題が少なくなった気もしています。「毎週あの時間にやっているテレビ」の話をすることも少なくなりましたよね。サッカーももれなくそれを狙っていて、みんなの話題の中心にできるだけ迫りたい。でもいま改めて考えると、それだけの器があるコンテンツは格闘技なのかなという気がしていて。
僕が好きになったのはめっちゃ最近なんです。コロナ禍で暇だったときにYouTubeで動画をみてハマりました。元々親が好きなのも影響しているんですけど、僕は特に煽りが好きですね。
佐藤大輔さんですよね。最高。
そうなんですけど、ニッチやな。
いまでいったら平本蓮とかが結構エグい煽りするじゃないですか。子どものころは「なんなのこれ」と思っていたんですけど、興行を成り立たせるための行動と理解し始めてからどこまでガチでどこまでが作られたものかを見るのは面白いです。
平本蓮のなにがすごいかって全部を背負っているところですよね。SNSでああいった過激なコミュニケーションをとるって柔いというか、めくられやすいと思うんです。でもそれをやり切って会場を集客しちゃうってのは相当すごいことです。
彼に関しては基本的な行動は感情の揺らぎベースで、あとからそれを流れに載せるのがうまいですよね。理由付けがうまい。それは僕もよくやるのでわかります。
この流れっていまのポリコレ蔓延る空気の反動が少なからずあるんでしょうかね。っていうのもサッカー界もこの議論によくなるんです。僕はファンの振る舞いが最も面白いと思っているんですけど、一方で運営サイドとしては過激な角を一掃するトレンドにあると思っていて。そんなどこか息苦しいなかで格闘技だけが唯一そういうことを表でやれるってところにみんな最後の希望的な感情を抱いている。あとはRIZINは日本で最も大きい格闘技の舞台なので、みんな目指しているところだからこそ団体の態度は結構重要なんだろうなって思います。
なにがオモロイんやろうな格闘技。
ってか単純に男がテカってますよね。デカい男がテカってる。そんでテカってる男のうちのどっちかが倒れたりする。でも最終的にテカってる男の両方とも倒れないこともある。テカりの揺らぎ。角度によってテカりが揺らいでる感じ。テカる箇所が光の角度とともに変わって、倒れるテカりもあるし、倒れないテカりもあって、立ち続けるテカりもあるし。テカり合いというかね。光沢ですね。
そうですよね、同じ方向むけていると思っていた僕が浅はかでした。
価値観が違いますよね。
終わった冷笑時代
最後にも面白いとはなにかについて伺います。
最近面白かったものってなんですか。
えぇなんやろうなぁ。難しい質問です。
でも作られたもの、それこそ漫才やコントよりかは天然とか事故が面白いですよね。格闘技の話でもあった、ガチか ”やりにいっている” かわからないものは面白いですよね。どんどん世間の関心もそっちに移動しているイメージはあります。作ってた側としては、年々スベりたくないが強くなっていくんですよ、笑かしたいより。そこでスベりたくないより笑かしたいが勝った結果、スベッているのを見ると面白いですよね。しかもそれがある程度インテリジェンスから離れているアウトプットだと面白い。
結局なにを見てもそうですけど、スカしているものって面白くないですからね。その時代は終わった気がします。
そうですね。冷笑的なお笑いは古いかも。
あぁ、それが公立高校っぽくないのかもしれない。若干のいじめっ子アングルといいますか。笑いというものが他者をいじることができるひとのもとにしかなかった感覚があったのかもしれないです。
そうかもしれないですね。んじゃこの話の続きは年末ケイで。RIZINもやってるやろうし。
そしたら大晦日ですね。日本でお会いしましょう。