「常に“自分主導で積極的に”という姿勢でいたい」ベガルタ仙台をJ1昇格へ導くCB小出悠太、好調の要因は“日々の目標設定” powered by Athdemy
ベガルタ仙台を支えるいぶし銀CB
Jリーグ東北の雄、ベガルタ仙台。最終順位16位と失意のシーズンに終わった昨季から心機一転、チームは新指揮官として森山佳郎を招聘した。ゴリさんの愛称で親しまれ、U-17日本代表を長年率いてきた新監督のチームは、現在5位とJ1昇格プレーオフ圏内に位置している(第17節終了時点)。
そのDFラインの一角である右CBを担うのは、チーム在籍2年目の小出悠太。的確なポジショニングが可能にする積極的なボール奪取や気の利いたカバーリング、細やかなラインコントロールという自身の特徴を出しつつ、声を張り上げ味方を鼓舞しながらチームを牽引している。データスタジアムが提供するFootball LABの“守備”の項目では、現在J2全選手中6位のスタッツを叩き出しており、そのプレーは文字通りJ2トップクラスだ。
小出が好調なプレーを続けている要因は何なのだろうか。新指揮官就任やチーム全体の好調以外の部分にも、鍵となる何かがあるのではないだろうか。プロ8年目を迎えた“いぶし銀CB”の全貌に迫るべく、彼のサッカー遍歴やシーズン中の日々の過ごし方、今後の目標についてインタビューを行った。
ユースに上がれず高体連へ
千葉県出身の小出悠太は、全国でも指折りの強豪校である船橋市立船橋高等学校(以下、市船)出身。いわゆる高体連出身のJリーガーだが、中学時代はJクラブの下部組織でプレーしていた。自身のサッカー遍歴について、小出は次のように語る。
「中学生の時はジェフユナイテッド市原・千葉のジュニアユースでプレーしました。ユースには昇格できず、市立船橋高校に進学し、全国優勝を含めて貴重な経験を積むことができました。その後、明治大学の体育会サッカー部に入り、卒業後はヴァンフォーレ甲府(当時J1)と大分トリニータでそれぞれ3年間プレーし、現在はベガルタ仙台で2年目のシーズンを迎えています」
ジェフユナイテッド千葉・市原(以下、ジェフ)のユースチームに上がれず、市船サッカー部に進んだことは、小出のサッカー人生において「間違いなくターニングポイントだった」という。他の高校ではなく市船を選んだ理由を聞いてみた。
「『ユースに上がれる可能性もある』とは最後の最後までチームから言ってもらえていて、自分自身もユースに上がりたいと思っていたんですけど、最終的には上がれませんでした。でも、当時の自分の様子を親に聞くと、そこまで落ち込むことなく『じゃあ市船に行く』とすぐに切り替えていたそうです。セレクションの話を前々から頂いていましたし、『千葉県と言えば市船』という想いもあったので、迷うことなく決めました」
ジェフの下部組織から名門高校サッカー部へ。サッカーのプレーモデルだけでなく、プレー以外の慣習や人間関係など、そのギャップは小さくないはずだが、いかにして順応したのだろうか。
「市船は上下関係が本当にしっかりしていて、先輩からの要求も高かったですし、下級生の頃は先輩に怯えながらサッカーをしていた部分もあって、『行きたくないな』と感じる日も正直ありました。本当に苦しかったですけど、自分にできることを精一杯やり続けることにフォーカスして、結果的に選手権に出場するチャンスを得られたり、下級生としていい経験をさせてもらったといまは感じています。
2、3年生になってからは、上下関係の部分を後輩に教えたりもしましたし、『チームを引っ張って勝たせなきゃいけない』という自覚も芽生えてきて、試合中はどんな状況でも体を張って、泥臭いプレーでチームを鼓舞していました。立ち振る舞いの部分を監督から求められていたので、毎練習から意識して、声もたくさん出して、徐々に自然にできるようになっていきましたね。
フィジカル的にきつい練習も多かったのですが、そういう環境の中で『こんなに上手い選手がいるんだ』と感じるような、本当にレベルの高い先輩や同級生と出会えたのも大きかったと思います」
当時の小出が『こんなに上手い選手がいるんだ』と最も感じさせられた選手とは、現在もJリーグの第一線で活躍する選手だ。彼との出会いが、小出のサッカー人生を更に前進させるきっかけになったという。
「1番衝撃を受けたのは、自分が明治大学に進むきっかけにもなった和泉竜司さん(名古屋グランパス)です。自分にはないものを持っているというか、あまり多くは語らないですけどプレーで引っ張る選手。勝負際でゴールを決めるシーンも圧倒的に多くて、シンプルに『すごいな』と感じていました。
和泉さんからしたら当たり前のことだったかもしれないですが、僕に対しても常にレベルの高い要求をしてくれましたし、そのおかげで成長して、明治大学に入れたとも感じます。和泉さんの日々の積み重ねや姿勢を間近で見られて良かったです」
プロを目指すために明治大学へ
高校2年の時に全国高等学校サッカー選手権大会で優勝し、3年時は主将に抜擢。市船サッカー部に進んだ自身の決断が間違っていなかったことを、見事な結果で証明した。高校卒業後は明治大学に進学することを決めたが、その選択にも迷いはなかったという。
「本当に単純なんですけど、和泉さんも、もう一つ上の学年の石原幸治さん(横河武蔵野FC)も明治大学に進学していたので、その学年のチームを引っ張っていた1番実力のある人たちが進んだ大学という認識がありました。他の大学やプロ挑戦も全く考えておらず、まず明治大学に入学することがプロへの1番の近道であり、正しい道なのかなと思っていたので迷いはなかったです」
そうして進んだ明治大学は、サッカー以外の面でも多くの学びが得られる場所だったという。当時の環境と心境を、小出は次のように振り返る。
「小谷さん(株式会社Athdemy代表)も含めた先輩方が、しっかり練習をやりながら同時並行で就職活動もしていて、『こうやって3、4年生を過ごしていくんだな』ということを学ばせてもらいました。
明治はプロにいく選手も、企業から内定をもらって人生の選択肢をしっかりと広げた上でキャリアの選択をしていく、ということを大事にしています。早い段階でプロ入りが決まっていたら違うかもしれないですが、自分自身もそれは大事だと思いましたし、みんな本気で両方に取り組んでいたと思いますね」
明治大学の哲学を体現するように、小出も就職内定とプロからのオファーを獲得した。オファーを勝ち取れた要因は何だったのか、小出自身に分析してもらった。
「明治大学体育会サッカー部という、毎年多くのプロ選手を輩出している本当に素晴らしい環境で、最後の4年時にスタメンに定着していたことが大きな要因だと感じます。つまり自分の技術云々よりも、しっかり怪我なくスタメンで多くの試合に出場して、プロのスカウトの人たちから観てもらえる機会を多く作れたことが大きいのかなと思います。
あとは、自分の弱みと強みを理解した上で、強みの部分を出していきました。『対人ディフェンスが強みだ』と周りからずっと言われていましたし、自分自身もそう思っていたので、そこは自信を持って試合に臨んでいました。あとは試合中の立ち振る舞いも含めて積極的に自分を出していくことで、『小出はこういう選手なんだ』ということが観る側からも分かりやすいように、と意識していましたね」
プロ1年目の挫折
目標通りに明治大学からプロになった小出だが、滑り出しは決して順風満帆ではなかったという。試合に絡めない日々が続く中、市船時代の恩師である朝岡隆蔵氏の教えが一つの指針となったと振り返る。
「プロ1年目の最初の頃は、本当に紅白戦にすら絡めない時期が長くて。練習試合を観た親から『全然走れなくなってるな』と心配されるくらい、パフォーマンスも落ちていました。
そんな時、あるベテラン選手から『紅白戦に出れない状態でも、怪我しないでこのチームにいたら絶対チャンスは回ってくるから』という言葉をかけてもらって。その言葉から『このマインドがあるから、プロとして長くプレーできているんだな』と学んだと同時に、朝岡さんの教えである『“謙虚に、まじめに、ひたむきに”、やり続けることが大事なんだな』と改めて感じました。
そこから実際にチャンスを掴んで、シーズン最後の10試合はスタメンで出場できました。そういう成功体験があるので、座右の銘を聞かれたら、自信を持ってこの言葉を言っています」
高校時代に恩師から学んだ姿勢は、いまや小出自身の血肉となり、試合中や練習、その間の日常においても大切にしていると語る。
「たとえばスタメンで試合に出ても、次の試合ではスタメンから外されて控えとして途中出場したり、試合に絡めずに練習試合にしか出られなかったりします。でも、そういう時の立ち振る舞いに1番人間性が出ると思いますし、そこが人から見られている部分だと思いますし、自分自身が大事にしているところでもあります。
だからこそ練習試合だとしても、試合中の立ち振る舞いも含めて、絶対に120%の力でやります。ミスしたり相手に削られたり、いろいろあるかもしれませんが、そこでふてくされることは絶対にしない、というのは意識的にやってきて、いまはほぼ無意識にできるようになっていますね」
プロサッカー選手の歓喜と苦悩と、1年前から始めた“ある取り組み”
プロサッカー選手は常に勝利を求められる。勝てばサポーターやクラブ関係者は喜び、負ければ落胆する。歓喜と苦悩が波のように押し寄せる日々の中で、どのようなプロ人生を小出は送ってきたのだろうか。
「それはもう、苦悩の方が多いですかね。勝てばみんなに喜ばれるし、自分たちも嬉しいですけど、シーズン中には勝つことも負けることも当然あって。いい流れも悪い流れも、これまでにたくさん経験してきました。J1からJ2に降格した時のチーム状況や、J2で昇格プレーオフに行ってギリギリ上がれなかった時の悔しさとか。
最後に勝って終わる、笑って終われるシーズンというのは、ほとんどの選手にとって少ないもの。もちろんリーグ優勝したり、J1昇格やカップ戦優勝ができれば笑って終われますけど、それは本当に難しい。だからこそ、メンタルの保ち方の難しさを感じますし、重要さも感じています」
試合結果に左右されがちなメンタルの浮き沈みを、どうすれば安定させることができるのか。小出だけでなく、全てのプロサッカー選手が遅かれ早かれ向き合うことになる課題だろう。その課題に対して、小出は “あること”に取り組み始めたという。
「ちょうど1年前くらいから、メンタルのトレーニングやコーチングのようなものにトライしています。サッカーのプレーやトレーニング器具ではなく、メンタルや考え方のために自己投資するのは初めてなんですけど、1年間やってみて、すごく効果を感じています」
プロ1年目のエピソードからも、キャプテンシー溢れる試合中の立ち振る舞いからも、メンタル強度の高さが垣間見える小出。それゆえに、メンタルトレーニングの必要性をこれまでは感じてこなかったのかもしれない。新たな取り組みにトライした理由とその効果について、小出は次のように語る。
「正直なところ、メンタルに対して前から興味があったというわけではないんですが、小谷さんから『試しにやってみない?』と声を掛けてもらって。サッカー選手という職業柄、他の社会人よりも空いている時間が多く、どうやって有効活用するべきか、ということも考えていたので、『とりあえずやってみよう』と思い、まずは中山知之さん(Athdemy CCO)とお話しさせてもらいました」
小出が1年前から取り組み始めたのは、明治大学サッカー部の先輩である小谷光毅が立ち上げた株式会社Athdemyが提供する『B-navi』というプログラム。『B-navi』では、“脳医科学に基づいた脳タイプ診断”を行い、測定した思考特性や脳の活用度から、その選手のためにプログラムをカスタマイズする。そのプログラムを、経営者やビジネスパーソン、アスリートへのコーチングに精通する中山知之とのセッションを通じて行っていくという。
「B-naviを1年以上やってきてまず思うのは、自分の考えを客観的に捉えられるようになった、ということです。これまでは“ただ考えていたこと”も、『この問題に対して、自分はこういう思考の癖で、こうやって考えているんだな』という感じで、抽象度高く客観的に捉えられるようになっています。
そのように自分の考え方や思考の癖を客観的に見ることで、気持ちの上下もなくなりますし、『どこに向かって自分はサッカーをしているのか』というところに立ち返って考えられる。それだけでも効果はすごく大きいと感じます。
練習中での小さな悩み一つにしても、中山さんにその内容を投げかけて、それに対して中山さんから問いかけてもらい、会話をしながら改善点や解決策を模索していくことで、頭の中が整理されていくのも感じます。そこも含めて、やってみて良かったなと思っていますね」
常に“自分主導で積極的に”プレーするために必要なこと
『B-navi』がもたらす効果もあり、今季の小出は好調を維持しているが、小出自身はどのような選手像を理想としてプレーしているのだろうか。
「自分主導で積極的にプレーする、という感じです。守備でも自分からアクションを起こして奪いに行き、攻撃でも自分からアクションを起こして、出したいところにパスを出して、自分からボールを運ぶ、というのが理想ですね。
逆に言えば、調子が悪い時や上手くいっていない時は、誰かに指示されてからプレーしたり、周りの反応や様子を考えすぎたり、後手でディフェンスに行ってしまうことが多い、などの傾向が見えてきました。要はリアクションが多いんです。
調子がいい時は、1対1の局面になっても自分から狙いを定めて奪いに行ける。そういう“自分主導で積極的に”という姿勢の時はいいプレーができているので、常にそうありたいですね」
小出の理想とするプレーは、今シーズンすでに顕著になっている。守備の積極性だけでなく、ビルドアップ時のポジショニングやパス経路の指示、対角へのロングフィード、機を見た縦パスと、攻撃でも積極的なプレーに溢れているのだ。小出自身は、試合外でも明らかな変化を感じていると語る。
「“自分主導で積極的に”という姿勢で、試合の日も練習の日も過ごせているとは感じますね。たとえば、練習や練習試合、試合でうまくいかなかったとしても、その次の試合や練習に対してのメンタル的なリカバーがすごくスムーズになっています。その成功体験を通じて、『自分はこうすればいいんだな』という、自分にとっての正解みたいなものが確立されてきていることも感じます。まさに、中山さんと日々会話している“自分流の追求”ということだと思います。
そこも含めて『(B-naviを)始めて良かった』という実感がありますし、その反面、『この感覚を手放したくないな』とも思いますね。でも、この『手放したくない』というのも自分の考え方の癖の一つだと学びました。中山さんと話しているとすぐにこういった癖が炙り出されますね(笑)」
サッカーは“ミスが多い”スポーツだ。一流が集うプロの世界においても、単純なトラップやパスという基本動作ですらミスが発生する。しかし、だからと言ってすべてのミスが許容されるわけではない。その一方で、自らのミスに心を捉えられてしまっては、次のプレーで積極性を失ってしまう。消極的なプレーしか選択できなくなってしまった選手が、チームの勝利に貢献することは難しい。
今季の小出が“自分主導で積極的にアクションを起こすプレー”を安定して続けられるようになったのは、『B-navi』のどのような取り組みの成果なのだろうか。
「中山さんとのセッションで行う“日々の目標設定”が大きいですかね。まず『自分がここからもう一段階いい選手に進化するためには、何ができたらいい?』というところから考えはじめて、『こういうプレーをもっとしたい』ということを中山さんと話していく中で、『じゃあ明日の練習はこういうチャレンジをしよう』とか、試合の日にチャレンジすることを常に決めて実行に移していく、という感じです。これまで長い間サッカーと向き合ってきて、自分としてはやっているつもりでしたが、考える視点や具体性などが全く足りていなかったと感じています。
この方法は本当に自分に合っていると感じますし、意識して練習と試合に取り組んでいます。もしチャレンジがミスになっても、『じゃあ、もう1回チャレンジしよう』というマインドに今はなっていますし、チャレンジする内容を明確にすることで1つ1つの判断が早くなる、というのも感じています」
夢は地元にサッカー場を建てること
今シーズンの小出が目指すのは、もちろんチームのJ2優勝とJ1昇格だ。笑って終われるシーズンになるかどうかは神のみぞ知るが、その目標が現実になったとしても、実現しなかったとしても、サッカー人生は続いていく。今後のサッカー人生をどう思い描いているのだろうか。
「35歳までは現役でプレーしたいです。深い理由はないんですけど、『35歳まではやる』と自分で決めたんです。それプラス、その年齢でもしっかり試合に出ていたい。まずはそこを目指してみたいなと」
そして当然ながら、プロサッカー選手としての時間が終わった後も、人生は続いていく。まだまだ先の話ではあるが、小出の頭の中にある未来像を聞いてみた。
「サッカー選手が終わった後のこともけっこう楽しみにしていて、サッカーから離れた職種で働いてみたい気持ちもあります。それこそB-naviで自分の性格診断もして、自分の強みや特徴が合っている職種の幅や環境設定なども聞かせてもらったので、それも頭の中にありますね。そういう選択肢を増やすために、サッカー以外の時間を有効活用して、語学を含めていろいろと取り組んでいることもあります」
Athdemyは企業ステートメントの中で、「セカンドキャリアのためではなく、アスリートとしての取り組みが、自然とその後の人生につながっていく。そんな仕組みをAthdemyは、つくりたい。」と宣言している。そのビジョンと重なるように、サッカーに真摯に向き合いながら、次の人生に繋がる歩みを小出は進めている。そしてその歩みの先には、自らが育った地元への恩返しも含まれているという。
「地元である千葉県の上総一ノ宮はサーフィンが盛んな町なんですけど、地元出身のサッカー選手はまだ僕しかいないんです。これまでに小中学校や幼稚園、保育園にボールやゴールを寄贈したり、中学校で全校生徒さんの前で話す機会をもらったりしていて、町長さんには『この街にサッカー場を作ります』と伝えたので、今すぐには難しいですが、何かしらの形で地元に貢献していきたいです。
帰る度に『いい町だな』と思いますし、最終的には地元に住みたいんです。自分がサッカー選手になれた過程を振り返っても、『この街から始まったんだな』と感じるので、今後益々いい選手が出てきて欲しいなと。地元のチームを応援したいですし、特に自分が所属した小学校のチームからプロになる選手を輩出したい、という想いがありますね」