BASEBALL

地域リーグからB1、そして優勝へ。井上諒汰の足跡と目的地 powered by Athdemy

interview |

text by Asami Sato

何度も挫折した学生時代

昨シーズン、Bリーグ発足以降の新規参入クラブとして初となるB1昇格を果たした佐賀バルーナーズ。そのチームを名実ともに引っ張る一人の選手がいる。チーム在籍年数が最も長く、今季からバイスキャプテンにも任命されたSF、“ミスターバルーナーズ”こと井上諒汰だ。

©B.LEAGUE

入団後、地域リーグからB3、B2、ついにはB1と、チームと共に着実にステップアップしてきた。佐賀バルーナーズの歴史を象徴する選手と言っても過言ではないだろう。彼はどのような過程を経てここまで辿り着いたのか。チームを牽引する好調ぶりの要因は何なのか。そしてこの先どこを目指していくのか。彼自身の言葉で語ってもらった。


「兄と姉が2人ともバスケットをしていたので、それがきっかけでバスケットを始めて。小学生の時は全国大会に出てみたいなっていう思いでプレーして、結果的には神奈川県で8位くらい。同じようなメンバーで一緒に中学校に上がって、それも県のベスト8くらいで。そこからバスケットをより本格的に、全国で戦ってプロになっていくっていうところを思い描いて、親元を離れて長野県の高校に進んだんですけど、そこでも同級生の選手たちがメンバーに入っている中、自分はスタンドで応援していたり、10年以上連続で全国大会に出ていた歴史を自分の代で途切れさせてしまったりと、厳しい思いをして」

写真提供:ご本人

お世辞にもエリートとは言えない小中高のバスケ遍歴を、井上は冷静に振り返る。高校卒業までに残した成績に着目すれば、本人や周囲の人間がプロにはなれないと判断したとしても不思議ではなかったのかもしれない。しかし井上は諦めずに、自身の立ち位置を客観視した上で次の進路を決めた。


「大学バスケは関東が1番レベルの高いリーグだと思うんですけど、高校での挫折とかを考えて、関東でできるっていう自信がなかったので関東よりは試合に絡みやすいんじゃないかというのと、教員になることも考えていたので国語の教員免許が取れるように、関西大学の文学部に入学しました。『残り4年間でバスケットは終わりかもしれないけど、まあ全力で最後やってみよう』と」

背中を押してくれた母の言葉

結果としてはその決断が、のちにターニングポイントだったと振り返る“インカレ出場”に繋がった。井上が2年生の時のことで、当時のキャプテンは井上の母校の東海大三高(現:東海大諏訪)の先輩でもある福澤晃平(アルバルク東京)だった。


「福澤晃平さんの代でインカレに出ることができたんですけど、その頃から僕もやっぱりプロを目指したいっていう気持ちが芽生えてきて。具体的な行動としてはそんなに起こせなかったんですけど、どこかに声をかけてもらえるんじゃないかと思いながらプレーしていました」

写真提供:ご本人

しかしその翌年、関西大学は2部降格という憂き目にあう。井上としても「よりプロが難しくなるような状況」だと感じていたという。4年生になった井上はキャプテンに任命され、2部からインカレ出場を目指す唯一の方法である“全勝優勝”という目標に向け、チームを引っ張っていった。


「1回でも負けたらインカレのチャンスはない厳しい条件だったんですけど、結果的には全勝優勝できて挑戦権を得ることができました。ただ、1部で5位だったチームと 2部で全勝優勝した僕たちが戦う、チャレンジマッチというインカレ出場の切符を賭けた試合で、いま同じチームの岸田篤生選手がいる大阪体育大学に負けてしまって。最後にまた全国大会を逃してしまった」


つまり結果的には、小学生時代から思い描いていた“自らの代で全国大会出場”というハードルは、最後まで超えることができなかった。プロへの道を断たれるような状況の中、ある人の言葉が井上を突き動かしたという。


「そこで母親に『まだバスケットやめないでほしいな』って言われたのが、今でも自分の中に残っていて。それでやっぱりプロに挑戦できるだけしてみようっていう思いがより強くなって。就職活動もしていて内定ももらっていたんですけど、プロを目指さないと後悔が残るんじゃないかと思って、いろんなトライアウトを受けて。受けては落ちての繰り返しだったんですけど、新しく発足する佐賀バルーナーズというチームのトライアウトがあると最後に知って。Bリーグではなく地域リーグのチームだったんですが、挑戦してみようと思ってトライアウトを受けて、入団しました」

写真提供:ご本人

紆余曲折を経て掴み取った佐賀バルーナーズへの入団。地域リーグで戦っていたチームは、今やトップカテゴリーのB1の舞台で戦っている。佐賀バルーナーズとの出会いを含め、チームへの想いを聞いてみた。


「トライアウトでどこにも拾ってもらえなかった中で、当初は僕が見つけた希望の光みたいなもので。その時に父親に言われたのは、『今までたくさんの挫折をしてきて、それでも1歩1歩前に進んでいくっていうのは、諒汰の持ち味でもある』と。“地域リーグからB3、B2、B1を最短で目指す”というのがバルーナーズの当初の目標だったので、すごく僕に合っているんじゃないかと。僕としても、たとえばいきなり大学からB2のチームに拾ってもらうよりは、地域リーグから1歩ずつ上がっていった方がより成長できるんじゃないかなと、ポジティブに捉えて入団しました。本当に一緒に登ってきたので、僕にとっては“佐賀バルーナーズは僕自身”みたいな感覚もちょっとあって。できれば生涯いたいなと思いますし、『バルーナーズがB1で優勝する時に、自分がファイナルMVPを取ってトロフィーを掲げる』というのがいまの目標なので、自分のキャリアは佐賀バルーナーズと共にあれればいいなと思っています」

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Bリーグはすごく夢のあるところ

井上と佐賀バルーナーズが凄まじい勢いでステップアップを果たしてきたのと同様に、日本のプロバスケ界を取り巻く環境もまた、ここ十数年で目まぐるしく変化してきた。Bリーグの開幕は2016年。それ以前にはセミプロのJBL(日本バスケットボールリーグ)や、そのJBLが中心となり完全なプロ化を目指したNBL(ナショナル・バスケットボール・リーグ)と、それとは別に2005年から2016年まで開催されたBJリーグ(日本プロバスケットボールリーグ)が存在していた。簡単に言えば、運営団体が全く異なり、かつ、どちらも国内トップリーグを標榜する2つのリーグが同時に存在していたということ。この状態を危惧したFIBA(国際バスケットボール連盟)が日本代表の国際試合への出場を一時的に禁止するなど、日本のプロバスケ界はいわば混乱状況に陥っていたわけだが、これらの問題を解消するべく、NBLとBJリーグを統合する形で2016年に誕生したのが、現在のBリーグである。

1995年生まれの井上が小学1年生でミニバスを始めた時は、JBLの前身であるJBLスーパーリーグという社会人リーグのみが存在した時代で、まだNBLもBJリーグも始まっていない。それでもプロを目指していたという井上は、実際にはどのような尺度で日本のバスケ界を捉えていたのだろう。


「地元が神奈川県なので、ミニバスの頃は東芝ブレイブサンダース(現・川崎ブレイブサンダース)さんの試合を見に行ったりしていて。でも正直なところ、本当に生意気なんですけど、そこが目標の場所っていう感覚はなくて…目標や夢としてはNBAに行きたいなと思っていた。『NBAに行って、日本代表の時だけ日本に帰ってこよう』くらい生意気なことを考えていたんですけど、周りもそういう人は多かったんじゃないかな。『あの実業団に入りたい』って言っている子を周りで見たことはなかったです。BJリーグもテレビで見ていたんですけど、どう表現しても失礼になっちゃいますけど、小学生から見て“すごく派手で夢のある場所”という感覚ではなかったですね」


野球やサッカーと違い、自他ともに認める真のプロリーグが存在しなかったバスケにおいて、 “国内でプロになる”という目標を一昔前のバスケ少年たちが持てなかったのは、井上以外にとっても偽らざる事実だろう。そしてそれは関西大学に進んだ頃の井上にとっても同様だった。


「高校の時に将来は教師になりたいとか、大学の時に就職しようかなと思ったのも、やっぱりバスケ界でご飯を食べていくことはすごく難しいことなんだろうな、と感じていたからこそで。関東一部で活躍している学生が入るのがNBLやJBLで、そうではない人が頑張って夢を追いかけるのがBJリーグ、みたいなのが、失礼な表現ですけど僕の勝手な感覚でした。だから現実的には『社会人バスケをやりながら働くのかな』と大学時代は思っていたんですけど、2年生の途中くらいに突然Bリーグっていうのができて」


大学2年生、つまり井上がインカレに出場した年だ。そしてここで再度、先ほどエピソードに登場した“先輩”の存在が井上の背中を押すことになる。

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「福澤晃平さんは一度就職をしたんですけど、その3ヶ月後ぐらいにBリーグが誕生して。就職活動では『バスケットは上手いかもしれないけど、会社としてはいらないよ』みたいな、すごく厳しいことを言われたという話も聞いていて。ただBリーグができて、3ヶ月で仕事を辞めてBリーグに挑戦した姿を見て、『これでプロに挑戦しなかったら、僕も確実に同じ道を行くことになるな』と。たとえば就職した後、仕事に対するモチベーションを途中で失って『やっぱりバスケットがやりたい』と後悔するとか、同期と飲みに行った時に『Bリーグで活躍してるあの選手、俺は高校時代に試合したけどそんな大したことねえよ』みたいな、カッコ悪い酒の飲み方をする社会人になるんじゃないかなと想像して。Bリーグができた大学2年生あたりから、『これからバスケ界が明るくなっていくんじゃないか』と、夢を見られるようになった感覚はありました」


時折笑顔を見せながら当時の心境を振り返る井上。わずか7~8年前のことだが、現在と当時を比較すれば、プロを目指す環境としては雲泥の差があったと言わざるを得ない。Bリーグ誕生以降、そして昨年沖縄で開催されたバスケW杯以降、日本のバスケ熱が右肩上がりに成長していることを井上自身も感じ取っているという。


「実際にBリーグに入ってみて、やっぱりレベルも高いですし、注目度も毎年上がっていて。僕らのチームにもSAGAアリーナという8400人が入る大きなアリーナがあって。W杯で活躍した河村勇輝選手(横浜ビー・コルセアーズ)が来た時は8500人以上の人が入るという、僕が小学校の頃に見ていたバスケットとは全く違う、ちょっと想像し得ないような状況で。ブースターを楽しませる非日常的な演出もありますし、小学生とかから見てもいまのBリーグはすごく夢のあるところになってきているんじゃないかなと思います」

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手応えと向上心に挟まれるB1の舞台

バスケットボールを愛する全ての日本人にとって喜ばしい状況に変化してきている現状。昨年のW杯で好成績を収めてパリ五輪の出場権を勝ち取ったように、Bリーグの存在が日本バスケのレベルを向上させているのも間違いない。そのトップカテゴリーであるB1に初挑戦している今季、井上は自分自身のプレーをどのように分析しているのだろう。


「いま自分の武器の一つになっているのはスリーポイントシュートかなと思っていて。その要因としては、地域リーグでプレーしていた時も、B3、B2でやっている時も、チームがB1 に上がった際に『井上はもういらないよ。B1では通用しないから、お疲れ様でした』という風にはならないようにしよう、『B1で活躍できるようにしよう』ということを常に基準に置いて練習してきたので、自分の中で目標としている確率だったり打ち方はできているのかなと」


地道かつ先を見据えたこれまでの取り組みの成果が、今季のプレーに現れていると分析する。また、課題として感じている部分についてもしっかりと言葉にしていく。


「チームメイトの狩野祐介選手もそうですし、実際にB1で自分と同じようなポジションの選手とマッチアップする中で、たとえば金丸晃輔選手(三遠ネオフェニックス)のような日本を代表するスリーポイントシューターは、より動き回ってシュートを決めてくるので、ディフェンスをしていても脅威に感じます。またスクリーン使って動き、釣られたディフェンダーの裏をついてゴール下の外国籍のスコアラーへアシストすることもできる。いいシューターにはシュート決める以外にもそういう脅威がある。僕はいま、味方が作り出してくれたオープンで決め切る部分はできている手応えがあるんですけど、これからB1でより上に行くには、そういった“味方を生かせるぐらいの脅威”を持たなきゃいけない。そういう手応えと向上心の間にずっと挟まれているんですけど、だからこそ自分が1番成長できる環境だなと」

『調子を上げるんじゃなくてレベルを上げる』という目線に変わった

トライアウトを経て地域リーグに挑戦し、そこからB1まで登り詰め、B1の舞台でも自分のプレーを出して活躍する。言葉にすれば簡単だが、バスケに関わる人であれば、それがどれだけ困難な道のりなのか自明だろう。

それを成し遂げられたのは、並大抵ではない努力を重ねてきたからに違いないが、それ以外の要因を探るならば、その言語化能力の高さに注目しないわけにはいかない。B1に至るまでの過程をインタビューする中でも、質問であえて誘導せずとも、こちらが聞きたい事柄の“美味しい”部分を丁寧に噛み砕いて話してくれる様子に、いい意味で驚かされた。言語化がなぜそんなに得意なのか聞いていくと、今季から取り入れ始めた新しい試みによる効果が大きい、ということが次第に分かってきた。

佐賀バルーナーズは今季から、選手たちの個性や能力を最大限に活かすため、『Athdemy』という企業とパートナー契約を結んだ。Athdemy が主に提供するのは、“脳医科学に基づいた脳タイプ診断”と、そこで測定した思考特性や脳の活用度から各選手用にカスタマイズしたプログラム『B-navi』。実際に井上も今季開幕前に脳タイプ診断を受講し、Athdemyのサポートをトレーニングや思考法に取り入れ始めていると語る。


「Athdemyさんに伴走してもらってからは、自分の課題や試合内容の振り返りを言語化する機会がより増えて、本当に頭の中が整理されていて。たとえば、いままでは結果にフォーカスすることが多かったんですけど、いまはプロセスにフォーカスすることが増えて、それも好調の要因の1つだなと感じています。練習でも試合でも、シュートの結果にフォーカスするのではなくて“自分が打ちたいように打てたかどうか”とか、“自分が理想とする状態に行くために今日は何にトライできたか”ということにフォーカスする。『自分の調子を上げるんじゃなくて、自分のレベルを上げる』という目線に変わった感覚というか。あとは『失敗という結果は、自分自身の出来を評価する上でそこまで関係はない』と思えたり。『この部分がダメだったら反省しなきゃいけないけど、意図的にトライした結果のミスは別に気にすることではない』というふうに、目標と行動がすごく明確で、成長のために何が必要なのかを考えられるようになったことは、すごく大きいと思います」


企業秘密として断られるかもしれないと思いながら、具体的にはどのような練習方法に落とし込んでいるのか、より踏み込んで質問してみた。


「具体的なところだと、スリーポイントに対してフリースローがすごく課題になっているので、いま取り組んでいるのはフリースローの時の思考の整理です。“フリースローの前にドリブルを何回ついて、何回ボールを手の中で回して、シュートを打つ”という動きのルーティンはどの選手も持っていると思うんですけど、“思考についてもルーティンを作っていい”ということを、伴走してもらってから学んだので、今はフリースローの時に考えることも毎回同じにしていて。サッカーやラグビーなど他競技のトップクラスの選手の思考のルーティンの具体例も教えていただきながら実践できているので、僕にとっても取り入れやすいなと感じていますし、今後フリースローも向上していけるんじゃないかなという実感があります」


試合で見せたファインプレーの時の思考回路を試合後に選手自身が解説する、というのはバスケに限らず他のスポーツでも散見されるが、“プレー中の思考のルーティン”というのは、他人が容易に知り得ることではない。井上の脳内をさらに覗きたくなってくる。


「いま使っているルーティンはまだ試したいので、ちょっと秘密にしたいんですけど…(笑)。少し前は『地域リーグからB1に風穴を開けよう』と毎回考えながらフリースローを打っていました。これは僕とAthdemyのコーチ以外は知らなかったことですね」

「僕とAthdemyのコーチしか知らなかった」という言葉の裏に、Athdemyの伴走がもたらす別の効果が隠れているということも分かってきた。

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「チーム内の選手同士で折り入って相談することって、すごく難しいと思っていて。試合になれば一緒のチームとして戦う仲間ではあるんですけど、同じポジションで争う間柄でもあるし、もちろん先輩後輩もあって、チームメイトにはなかなか言えないこともあると思うんです。でもAthdemyさんという第三者だからこそ、そういうことが自然と相談できたり言えたりして、自分の中でいい形で消化できて、次の日に向かえる。そうすることで、自分がなりたい自分、自分がなりたいアスリートとしてのあるべき姿でいられる、というのはすごくアスリートにとってプラスだし大きいなと思います」

毎日挑戦していった先にいつか見えてくるもの

最先端のスポーツ科学を積極的に取り入れつつ、日々課題と向き合いながら邁進する井上。そんな彼はバスケットボールだけではなく、社会貢献活動にも主体的に参加している。昨年末には、日常的に人工呼吸器やたんの吸引などが必要な医療的ケア児を支援する佐賀市のデイサービス「にこっと」を訪れて子どもたちと触れ合い、自身が監修したオリジナルTシャツの売り上げの一部を施設に寄付した。


「幼少期にNBAを見ている中で、ハリケーンの被害があった地域でNBA選手が地域の方と一緒にペンキ塗っている姿だったり、学校がない地域に学校を作っていたりと、そういう姿も見ていて。僕が小さい頃に『プロ選手になりたい』って思ったのは、バスケットが上手くて、それを子供たちに目標にしてもらうことだけじゃなくて、その人たちの価値を使って社会に貢献したり、アクションを起こしている姿がかっこいいなと思ったから。自分もいま日本で同じような立場になったので、自分の価値を使ってアクションを起こすことで、より多くの人に社会的な課題を知ってもらったり、なにか行動を起こすきっかけを与えられるようになっていけたらなと思います」

写真提供:ご本人

佐賀バルーナーズの本拠地である佐賀の街に対しても前向きな行動を起こしながら、B1優勝とMVP獲得という目標に向かって進んでいく。ひょっとすると一般社会では“絵空事”だと嘲笑されるかもしれないほど大きな夢だとしても、幾度となく挫折を乗り越え、目標を現実にしてきた井上諒汰ならば、決して不可能ではないと感じさせられる。B1優勝とファイナルMVPという目的地に至るまでの道筋は、現在地からどのように見えているのだろう。


「地域リーグからB1に上がりたいと思っていた時も、最初はすごくぼんやりした、なんとなくのイメージだったんですけど、いま毎日B1の選手たちと戦って、多くのことを吸収している。すごく明確なプロセスがあるわけではないんですけど、まずは今シーズンの1つ1つの試合で、理想の自分に対しての目標を1個1個立てて、それがクリアできるのか、できないのかっていうのを毎日挑戦していった先に、いつかそれが見えてくるのかな、というのがいまの正直な想いです。大きな1つの目標として持っておいて、毎日少しずつ、一歩ずつ成長できるように毎日トライしたいなと思います」

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PROFILE

井上 諒汰(Ryota Inoue)
井上 諒汰(Ryota Inoue)
1995年4月19日生まれ。神奈川県出身。東海大学付属第三高等学校(現・東海大学付属諏訪高等学校)、関西大学を経て、2018年に佐賀バルーナーズに入団。

著者

佐藤 麻水(Asami Sato)
佐藤 麻水(Asami Sato)
音楽や映画などのカルチャーとサッカーの記事が得意。趣味はヨガと市民プールで泳ぐこと。

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