
高円宮牌ホッケー日本リーグ。多くの実業団がひしめき合う、日本ホッケー最高峰のレベルを誇るリーグである。そんなトップリーグの中で、実業団ではなくクラブチームとして活動を続けているのが、東京ヴェルディホッケーチームだ。ホッケーとは別に仕事を持って競技と両立させている選手たちと、スポンサーや運営陣の尽力が光る創設6年目のチームである。
FERGUSでは、東京ヴェルディホッケーチームで中核を担う、4人の選手へインタビューを行った。
第3回は、チームのスポンサー企業・モリトアパレルで働きつつ、東京ヴェルディのMFにして2024年シーズンの副主将を務めた #19 村上冴来選手。
「デュアルキャリア」に正面から取り組む現在
「遠いところ、ありがとうございます」
蔵前駅の近く、大きな自社ビル。そこに、村上の職場はあった。モリトアパレル株式会社。明治41年創業の同社は、洋服の留め具などの服飾専門品の専門商社として成長してきた伝統ある企業である。東京ヴェルディホッケーチームのスポンサー企業であり、チームユニフォームなどの制作も請け負っている。聞けば、ヴェルディ入団後のスポンサー打ち合わせの場で村上が一目惚れしたという。
「ヴェルディの選手として打ち合わせに来たことがあって、その時にお話しさせていただいた担当者の方の仕事の仕方がすごくいいな、という気持ちがありました。その後、転職を検討したときにシニアマネージャーさんが紹介してくれて、今に至ります」
BtoBの専門商社として成長してきたモリトアパレルだが、現在、新規事業としてBtoCのダウンジャケットのブランド事業に取り組んでいる。担当しているのは全3名のチームで、村上はその一員として活躍している。
「今は、ホッケーも仕事も楽しい状態です。ホッケーを理由に仕事をさぼらないですし、同僚と同じ業務量をこなしています。3人で回しているので抜けにくいというのもありますが(笑)やりがいを感じています。試合で土日に遠征に行って、月曜から仕事するのは正直大変ではありますが、それをやらないとデュアルキャリアの意味がないですし、どっちかがサブとかじゃないんです。その中で実業団チームを勝つには?どう差を埋めていくか?が今のチームの課題だと思っています」
今季から副主将に就任し、チーム全体への目の配り方も変わった。そんな彼女のホッケー人生のスタートは、小学校4年生のときに遡る。

「おまけくらいで」続けたものの、ベストイレブンに選出。しかし……
栃木県日光市。村上の出身地は、日本でも有数のホッケーがさかんな地域である。
「幼馴染に誘われて、小学校4年生からホッケーをやっていました。友達もホッケーをやっている人が多かったですし、小学校の部活動としてホッケー部がありました。比較的マイナーな競技だということを知ったのは大学生になってからでした。中学校では違うスポーツ、弓道をやってみようかなと思ったけど、ホッケー部の先輩が集めに来て……(笑)結局続けることになりました」
中学校では最後の大会で敗れたことでもっと強いところに行きたい、と高校でもホッケーを継続。結果、全国高等学校選抜ホッケー大会で準優勝。3年時の2017年にはユース日本代表にも選出された。大学でもホッケーを熱心に続けるかと思いきや、本人としては「おまけくらいで」続けようかな、という心境だったという。
「祖父がわさび農家をやっていたのもあって、農業に興味があって。東京農業大学に進学しました。でも、ホッケー部があったことで結局しっかりとやることになりました」
東京農大のホッケー部は、人数が11人ギリギリで、試合に出るものやっとという状態だった。それでも村上は奮闘し、関東学生リーグのベストイレブンに選ばれるまでになった。コンディションが上向きになり、さあこれからと迎えた3年生のシーズンは2020年。コロナ禍の年と重なってしまった。
「大学3年生ってもっと楽しいと思っていたのに、私の大学生活が……という気持ちでした。ホッケーもちょうど調子がよかったのに、できなくなってしまって。半年間は実家に強制送還されて、オンラインで授業を受けていました。その期間が終わっても、部活で外出を制限されてしまったので、遊ぶこともできませんでした。大学に行って講義で友達に会う時間が癒しでした」
今やるなら、ホッケーだな
そして迎えた大学4年生、就活の年。村上の仕事選びの軸は、自然と定まっていた。
「最初はスーパーで野菜のバイヤーになろうと就活をしていて内定もいただきましたが、ホッケーができる環境ではありませんでした。どっちがやりたいかなと思ったときに、今やるならホッケーだなと考えました。バイヤーになりたければいずれチャンスはあるかもしれないけれど、ホッケー選手としては今だな、と」
そして新卒1年目、2022年に東京ヴェルディホッケーチームに入団。大学4年秋に補強選手として呼ばれたことがきっかけだったという。
「監督同士の繋がりや、日本リーグに出ていない都内の大学で……といった条件で呼んでもらえたのかな、と思っています。設立から日が浅いチームなのにトップリーグに所属していて、オリンピック選手もいるので最初はビビって萎縮しました。でも、コートでは自分を表現できる時間がありました。あまり年齢にとらわれずにコミュニケーションをとってくれるメンバーばかりで、すごく楽しかったんです」
大学のチームでは11人ギリギリだったが、交代メンバーがいることでフレッシュな状態で試合もできる。さらに、レベルの高い環境でスピーディな展開を経験したことで、技術も上がったという。
「新卒の年のメンバーから、30代のベテランまで幅広い世代のメンバーがいることも、ヴェルディのいいところだと思っています。経験のある選手が下の選手を育てているし、下の選手が上の選手に刺激を与えています」

「個性爆発」しているチームを、副主将として導く
その個性豊かなメンバーの中で副主将に指名された時には、驚きがあったという。
「えっ私?と思いました。稲田さん(#8 稲田くるみ、同じく副主将)は経験者なのでわかりますが……でも、先輩とも後輩ともうまくやっている自覚はありましたし、今も色んな人に支えられています。メンバーは本当にひとりひとり違いすぎていて、個性爆発!という感じです。でも、あまり役割にとらわれず、みんながみんなに働きかけてくれるチームです。私や稲田さんだけに負担がかかるということはないです」
チームを前に進めるには、村上自身の成長も重要になる。無論、やりたいことも目標もある。
「実業団じゃないのにスポンサーがついている現状は、すごくありがたいと感じています。同僚もユニフォームの背中に入ったMORITOロゴを見に試合の応援に来てくれますし、遠征のときも付近の支社のメンバーが見にきてくれています。また、同じヴェルディロゴをつけた他競技の選手も結果を残しています。そういう仲間からの刺激や期待に結果で応えたいし、リーグでもっと通用する選手になりたいです」
東京ヴェルディホッケーチームは、村上選手にとってどんな場所ですか?と尋ねると「頼れる場所、ですかね」と迷いながらも力強く言い切ってくれた。チームのメンバーにとってもまた、頼れる副主将・村上の存在感は日に日に増している。
著者
梶 礼哉(Reiya Kaji)
