2024年12月14日、川崎フロンターレのレジェンドである中村憲剛選手の引退試合が行われた。この一日は、彼の功績を称える場であると同時に、クラブスタッフや選手、地域の力を結集させた前例のない大規模なイベントでもあった。この記事では、中村憲剛(以下、中村)、総合プロデューサーの天野春果(以下、天野)、そしてイベント運営を担当した田代楽(以下、田代)による三者対談を通じて、企画の背景や知られざる舞台裏に迫る。
photo(街頭演説): Kazuki Okamoto
photo(引退試合): Gen Enomoto
引退試合を行うきっかけは「中村俊輔引退試合」
今回の引退試合がどのように始まったのか教えてください。
昨年末、ケンゴとイベントで顔を合わせた時は、引退試合の話はまったく出ていませんでした。ところが年明けにケンゴから電話があり、「引退試合をやりたい」と言われたんです。
回りくどく言う必要もないと思ったので、率直に伝えました。
2020年にケンゴの引退セレモニーを行ったのですが、その後もファンの方から「引退試合はないんですか?」と聞かれることがありました。ただ、僕自身は引退試合に対して少し消極的で、セレモニーで完結したと思っていたのでケンゴともそのような話をしたんですよね。
僕もそうでした。あれだけの引退セレモニーを行いましたし、リーグ戦の最後の試合にも90分出場しました。自分のなかでやり切ったという思いがあったので、引退直後は本当に引退試合をやる気はまったくありませんでした。
当時はまだコロナ禍だったからというわけではなく、そもそも引退試合を行う意欲があまりなかった、ということでしょうか?
そうですね。僕の中では、ケンゴの引退って一区切りついたものだと思ってました。だから、それで終わりだと勝手に思い込んでたんですよね。でも、中村俊輔さんの引退試合を見たときに、ケンゴのプレーと俊輔さんのプレーが重なって見えたんです。それで、それまで抱いていた引退試合のイメージがガラッと変わりました。
それまでの引退試合は、どちらかというとお祭りのような賑やかな雰囲気が強かったんです。それが悪いわけではないけれど、「選手生活の最後を締めくくる場として、それで本当にいいのだろうか?」と、どこかしっくりこない部分がありました。そんな中で行われた俊輔さんの引退試合では、あの切れ味鋭いプレーが現役時代そのままで本当に素晴らしかったです。ああいうプレーが見られると、引退試合の印象は大きく変わるものなんだと感じました。
ケンゴの引退試合を考え始めた当初は、正直、漠然としたイメージしかなかったんです。でも、俊輔さんの引退試合を見たことで、そこから具体的なビジョンが描けるようになりました。
あのときは本当に驚きましたね。突然ケンゴから電話がかかってきて、「引退試合をやりたい」って言われて。「えっ!」って思いましたよ(笑)。でも、実は僕も同じことをまったくおなじタイミングで考えてたんです。それを電話で伝えた記憶があります。
なぜこのタイミングで引退試合をやろうって電話をされたんですか?
正確に言うと、引退してから2年後にJリーグで声出し応援が解禁されたのが大きかったですね。引退したときは、コロナ禍でチャントも歌えない状況で、録音された音源に合わせてセレモニーをやったんです。その後もいろんなところでファンやサポーターの方から「ちゃんと送り出せなかった」って言われることが多くて。僕自身は仕方ないことだと思ってたんですけど、やっぱり心のどこかで引っかかってた部分はあったんですよね。
それで、Jリーグの声出し応援が解禁されたその日の等々力での試合で、目の前で改めて自分のチャントを歌ってもらったときに、「ああ、この場所でまたサッカーがしたい」と封じ込めていた思いが、一気に溢れ出たんです。
2023年の12月に俊さん(中村俊輔さん)と橋本さん(橋本英郎さん)の引退試合があって、あの素晴らしい雰囲気の中で僕も選手としてプレーさせてもらいました。そのときに、「自分もこんな感じで引退試合をやりたいな」って具体的なイメージが湧いてきたんです。特に、自分と同じ世代の選手たちと一緒にプレーするイメージが、はっきりと見えました。
そして、2024年が川崎市制100周年という記念の年だったんですよね。それもあって、「これはやるしかないな」と思って、スマホで天野さんの連絡先を探して、電話したっていう流れです(笑)。
現役を引退された後もトレーニングはされていたのでしょうか?
いや、引退後は何もしていませんでしたね(苦笑)。たまに遊びでサッカーをすることはありましたけど、本格的なトレーニングは全くしていませんでした。本当に遊び程度で、引退してから4年も経っていましたし。でも、引退試合をやるって決めてから少しずつ身体を動かせば、何とか間に合うだろうと思っていました。
オレに連絡をする前に家族に相談はしたの?
もちろん。妻に相談した。そしたら『それなら天野さんにお願いするのが一番じゃない?』って言われて。クラブにもお願いすることはできましたが、たくさんある年間のイベントに加え、最終節の次の週に行う引退試合の企画・運営をするのはクラブスタッフのみなさんにかかる負荷がとてつもなく大きいだろうと思い、こちらでやる覚悟を決めてその時に一緒にやるなら天野さんたちしかいないだろうなと正直に思いました。引退セレモニーでもあれだけのものをやってくれてお世話になりましたし、引退試合も天野さんにお願いするのは自然な流れだろうと。自分のことを良くも悪くもよくわかっていて、これまで一緒にやってきた天野さんにお願いするのが、一番いい選択だという話に夫婦間でなりました。
実は最初、お断りしたんですよね。僕は2023年にクラブを退職したので、退職した僕がやるよりも、今のフロンターレのスタッフが運営するべきだと考えたんです。それに、引退試合を主催した経験がなかったので。でも、ケンゴから『どうしてもやりたい』という強い思いを聞いて、最終的には引き受けることにしました。ただ、正直、ケンゴから電話がかかってきた時は本当に驚きましたよ(笑)。
前例のない引退試合を目指して
今回の引退試合を企画するにあたって、心掛けたことは何でしょうか?
4年前に引退セレモニーをやっているので、それとは違うものにしないといけない、と思っていました。それだけじゃなく、これまでの引退試合と異なる、前例のないものを作りたいという気持ちが強かったです。
既存のやり方をなぞるだけでは面白くないですからね。誰も見たことのない、記憶に残るものを作りたいと考えていました。それで中村俊輔さんの引退試合を見た時に、俊さんのプレーから具体的なイメージが湧いてきたんです。引退試合って、これまでは少し物足りない部分もあったけれど、工夫次第でもっと面白くなるんじゃないかと。
それで、今回の引退試合では大きく4つの柱を立てました。一つ目はユニフォームです。せっかくの引退試合で選手が着用するユニフォームがどこにでもある既製品っぽく見えるのが個人的には嫌だなと。ユニフォームのデザインにこだわるのももちろんですが、これまでのケンゴの歴史やストーリー性を持たせたユニフォームを作ろうと思いました。
二つ目は試合形式です。日本代表と最終所属クラブが対戦する形式が一般的ですが、それだとどうしても和気あいあいとした雰囲気になりがちなんですよね。それを変えて、もっと工夫した試合形式にしたいと思いました。
そして三つ目は、ケンゴという人物を表現する方法です。1日だけのイベントでは、ケンゴのすべてを表現しきれないんじゃないかと考えました。
四つ目は、事前のプロモーションです。通常の引退試合だと当日だけに焦点が当たりますが、発表から当日までの間に何か仕掛けをして、もっと盛り上げられるようにしたいと考えました。例えば、前夜祭などの仕込みを考えたり、開催までの期間を活用して話題を作ることも重要だと思っていました。
プロモーションに関しては、フロンターレ時代に一緒に働いていたガク(田代)の存在は欠かせませんでした。ガクの企画力、発想力は本当に素晴らしくて、僕が思いつかないような非常に面白いアイデアをたくさん出してくれるんですよね。
今回の引退試合を企画する中でケンゴさんから天野さんに対して要望はありましたか?
ケンゴは全てを僕に委ねてくれるんです(笑)。
引退試合のプロデュースを任せるなら天野さんが最適任だと思ってオファーしましたし、実績は申し分ありません。なにより18年間も一緒にやってきた仲なので、思ったことはなんでも遠慮なく言うことができる。だから安心して任せられます。ただ、暴走するところが多々あるので、その時は周りのスタッフが止めてくれるだろうと(笑)。天野さんやガクたちとなら、素晴らしい引退試合を作り上げられると信じていましたから。
企画を考える中で「さすがにダメでしょ」と思った企画はありましたか?
引退試合に出場するためのセレクション開催はダメと言われましたね(笑)。引退試合では引退する選手が直接『出場してくれませんか』ってお願いする形が多いですよね。でも今回は逆に、『出場したい人を募って、選考で決める』という形でやりたいと考えていたのですが…
そういえば、そんな話してたなー(笑)。
最終的に、この企画に賛同して参加してくれるアスリートを見つけるのが難しくなってしまって、この案は立ち消えになりました。発展的に解消されたという感じですね。
気がついたら話題にも上がらなくなってましたね(笑)。
そうなんですよ。あの時はみんな他のことで忙しかった時期だったよね。
それぞれ自分の担当領域で手一杯(苦笑)。
僕は、自分が提案した企画は絶対に実現したいと思うタイプで、明確なイメージがある時は特にそう。でも今回は、他にも大きな企画がたくさんあったので、この案をフェードアウトさせる判断をしました。
天野さんの粘り強さは本当にすごいよ。毎度のことだけども凄まじい執念を感じる(笑)。何があってもやり切ろうとするし、熱量が半端じゃないからいつの間にか周りもそれをサポートする流れになる(笑)。ただ、今回みたいに自分で幕引きする時もあるんだなぁと思って見てたかも。
そうだね。全体のバランスを見て、この企画を終わらせても全体には影響がないと判断した時は、柔軟に対応します。結果的に他の部分が充実していれば、全体の完成度としては問題ありませんから。
「オールナイトケンゴ」「スナック大久保嘉人」
そういった流れで徐々に企画が決まっていく中で、他にはどんな企画を考えていましたか?
実は『オールナイトケンゴ』という企画を考えていたんですよ。
それ、本気で検討してましたよね。僕がプロジェクトに合流した後も、2〜3ヶ月くらいは真剣に話してました。
24時間ずっとケンゴのことだけを特集するイベントで、実現できる自信はありました。
昔、クラブが新潟へのアウェイ遠征の時に、朝まで討論会みたいなイベントをやったことがあったのでイメージはなんとなくはできてたけど…。
実際、2009年頃からそういうイベントを何度かやっていたんですよ。2015年には『天の川クラシコ』っていう企画で、等々力陸上競技場にテントを張って泊まるイベントをやったんです。天体望遠鏡を用意して、星を眺めながら泊まるっていうやつです。その経験から、『ケンゴを引退試合だけで語り尽くすのは無理だ』っていうテーマで、24時間いろんな時間帯にケンゴの話をするイベントを考えました。夜中の3時とかに『ケンゴについて語る会』みたいな感じで(笑)。」
でももしそれが本当に実現していたら、当日は一体どうなっていたんでしょうね(笑)
いやー、本当にみんな病院送りになってたんじゃないかな(笑)。後から『全員点滴打ってるだろうな』なんて話にもなりましたけど、結局施設の問題とかもあって見送ることになりました。それでも、最後まで何とか実現しようと動いていたんですよ。
『スナック大久保嘉人』って企画もあって、本気で什器の見積もりとってましたから。
そうそう。ヨシトがチーママみたいな格好をして、深夜2時とか3時にサポーターの皆さんの話を聞くっていうやつ。『ケンゴの話をしながら飲むスナック』みたいな雰囲気のイメージね。
客観的にみたらアットホームでいいですよね。深夜に選手がいて、ファンの人たちも集まる感じで。
もしやってたら、嘉人は試合どころじゃなかっただろうな(笑)。
『“けんごう”じゃなくて“けんご”なんだ』
それで前夜祭をオールナイトから街頭演説になったのはどういう経緯からですか?
僕ら途中から毎週水曜に事務所に集まってミーティングをやっていたんですけど、そのミーティング中のどこかのタイミングで街頭演説の話が出てきて。アマノさん。ガク。どっちだ。ガクか。
これはガクですね。『オールナイトケンゴ』が実現できなくなった代わりに、前夜祭でできることを最大限やろうと考えていたんです。でも正直、オールナイトイベントがなくなったのは個人的にも全体のイベント的にもすこし物足りなくて。そのことは誰にも言わなかったんですけど、カナダにいるガクから突然電話があって、『選挙の形式で、街頭演説をやりたいんですけど、いいですか?』という提案を受けたんです。それを聞いた瞬間、『それだ!』と思いましたね。
『スナック大久保嘉人』が見送りになってしまったので、なにか形としてフィジカルに残すことができる企画を作りたいと思っていました。ちょうどその頃、選挙が世間で話題になっていた時期だったので、なんで昨今の選挙が良くも悪くも話題をつくることができていたのか興味があったんですね。もちろん取り扱いは注意しなければいけない領域ですけど、その地域性の高さからパロディとして取り入れるのは面白いんじゃないかと考えました。例えば、看板の名前を選挙っぽいトンマナで『けんご』に統一したらSNSでも『“けんごう”じゃなくて“けんご”なんだ』って話題になってました。そのなんかわかるバカバカしさと地域に根ざしている感じが良かったですよね。
この件、選挙カーの制作だけでは終わらせず実際の露出をどう行うかをずっと考えていました。いろいろ考えた結果『街頭演説』という形式を採用することにしました。あの応援演説風の熱い感じが引退試合にも合うんじゃないかって。
いや、そもそも引退試合で街頭演説って何だよ(笑)。
それがめちゃくちゃ良かったんだよね(笑)。『最後のお願い』という切り口で広報活動をやるというのは、普通のプロモーションとは全然違いますし、チケットも完売していたので、本来なら集客活動は必要なかったんです。それでも、『これまでにないことをやりたい』という思いでOKを出しました。
毎週水曜のオンライン会議で僕がふいに『街頭演説をやりましょう』と提案した時から、具体的なアイデアがどんどん形になっていきました。選挙区に配られてそうなビラのラフ案と一緒に、選挙カーのデザイン案も共有して『ケンゴさんが乗る車はこんな感じになりました』ってすべて事後報告をしてました。
決まるのが本当に早かったよね。
その会議には奥様もいらっしゃったので、奥様にも『中村憲剛の妻です』というコメントの収録をお願いしました。それだけでなく引退セレモニーでは息子さんが手紙を読んだので、街頭演説を行う今回は娘さんに手紙を読んでもらうことをお願いしました。
あとは党員の衣装だよね。今回タイアップしたすしざんまいのシャカシャカジャケットを借りて。気づいたら『けんござんまい党』になってた(笑)。
「気づいたら」党の名前も決まったんですか?
ガクがなにもいわずに突然ケンゴが出馬してそうな選挙ポスターのデザインを共有してきたんですよ。それで、「けんござんまい」ってキャッチコピー入れたら面白いんじゃないかってアドバイスをして(笑)。
僕が声を大にして言いたいのは、いろんなひとがアイデアを加速させてくれたってことなんです。武蔵小杉駅周辺の警備の手続きを担当してくれた三浦タクマさんって頼もしい先輩がいたり、スポンサー担当の鈴木ヒロキさんが「これも使えるんじゃない?」ってスポンサー絡みのアイデアをくれたりして、本当にたくさんの人が助けてくれたんです。そういう環境で企画を進められたのは、本当にラッキーだったなって思います。
なにかひとつアイデアを出すと、次々にアイデアが連鎖していくんですよね。それがすごくリズミカルで本当に楽しかったです。
改めて、本当に「らしい」企画ですね
引退試合って、どちらかというと、あらかじめ用意された舞台で、最後に引退する選手が主役として登場するっていうのが一般的な形だと思います。でも、僕たちはそういった従来の引退試合とは全く違うものを作ろうと思ったんです。そのときに一番大事だと考えたのは、「手作り感」ですね。要は、関係者全員が本当に一緒になって、この引退試合を作り上げているっていう感覚です。それが、他の引退試合と明確に差別化できるポイントだと思いました。
特に細かいことを一つ一つ話し合ったわけではなくて、スタッフ全員が共通して持っていたのは「中村憲剛」という人物像でした。だから、中村憲剛の引退試合なら、どんな雰囲気で、どんな内容にするべきかっていうのは、事前に指示を出さなくても、みんな自然に理解していたんです。それぞれの役割をしっかりと理解して、お互いに協力し合う一体感がありました。
僕自身がショートケーキに乗っかるイチゴになるのは嫌だったんです。みんながお膳立てしてくれた舞台に最後に立ってプレーをするのではなくて、運営・企画・演出スタッフの一員としてはじめのところから一緒に中に入って最後までやり切りたかった。本当に良かったです。
前夜祭含めて当日に起きたハプニングだったり、やってよかったなと思うことありますか
もう、トラブルが多すぎて……どこから話せばいいんだろうね(笑)。まずスタッフの数が少なかったので、それぞれが抱えるタスクが非常に多かったんです。自分の担当を把握しながらも、他のことがおろそかにならないようにバランスを取らなければなりませんでした、それが本当に大変で。イベントなんてものは、今回に限らず、マニュアル通りにはいかないものなんですよ。予想外のアクシデントが起きた時には、現場で臨機応変に対応するしかなくて。
でも、このギリギリの緊張感は嫌いじゃないんですよね。自分を追い詰めてしまうほどのプレッシャーがあっても、不思議とやり切れるんです。日常生活ではここまで追い込まれることはないので、ある意味で感謝しています。ケンゴがこの機会を作ってくれたからこそだと思っています。
本当に家族含め、スタッフのみんなには感謝しかないです。
『NKF』と書かれたモニュメントを用意していたんですけど、設置するのを誰も覚えていなかったんだよね。開門時刻を過ぎてから、『あれ、まだ設置されてないぞ』って気づいて慌ててだしたけど、そのときも間違えてすしざんまいのエリアに置いてたり(笑)。
他にも、特注の顔ハメパネルは倉庫から出せずに終わりました(笑)。
え、そうなの!?
イベント終了後、すべてが片付いた倉庫から未開封のパネルがでてきて泣きました。
ブルーカーペット企画
いま話していたとおり準備がいろいろ大変でしたが、なかでもブルーカーペット企画はマジで大変でした。
ブルーカーペットは、最初からやりたいと思って提案していた企画だったんですが、どうしても準備が後回しになってしまってたんですよね。でも、豪華な選手たちが集まってくれるので、いつも通りバスから降りて手を振るだけではもったいないと感じていたんです。
イベントの10日前くらいに突然『ガク、この件担当してくれ』って言われましたからね(笑)。バタバタでした。
ブルーカーペットの先にはお立ち台があって、『けんござんまい』って言うように指示されたんですが、なにも聞かされていなかったもん(笑)
他の全選手には事前に伝えてたんですけど、肝心のケンゴさんにだけは伝えるのを忘れていました。でもケンゴさんなら大丈夫だろうって。
そういうことだったのか(笑)。でも、立ってみたら楽しかったですし、来てくださった選手・OBの方たちを、ファン・サポーターの皆さんの中を歩いていく形で紹介できたのはすごく斬新で良かったと思います。あとで写真を見たら参加ゲストの方々がみんな「けんござんまい」のポーズをしていてさすがに驚きました(笑)。
あと、当日一番驚いたのはオニ(鬼木達前川崎フロンターレ監督)だったね。他の参加者はホテルで集合してバスで移動したんですが、オニだけは自分の車で会場まで運転してきて、時間ギリギリだったので、そのまま車を乗り捨てて登場したんです。「えぇこの車どうすんの!?」って(笑)
本当にバタバタですね。。ケンゴさんはウォーミングアップをする時間とかはあったのでしょうか?
実はウォーミングアップはほとんどできなくて(苦笑)。室内で簡単にストレッチを5分くらいしただけで。現役時代はこんな短時間で試合に臨んだことなんてなかったので、よく怪我をしなかったなって思います。
当日は、挨拶回りや選手の方たちのお出迎え、ロッカールームの様子を見たりと、とにかく不備がないか準備がどうなってるかが気になりすぎて、自分のことは二の次、三の次でしたね。サッカー選手だけでなく、タレントさんや歌手の方々も多くいらっしゃったので、失礼がないように、みんなが1日気持ちよく過ごせるよう心がけていました。
過去に参加された中村俊輔さんや橋本英郎さんの引退試合とは全然違いますか?
いや、違わないと思います。お二人も当日ほとんど見かけることはなかったですし、すごく慌ただしかったんじゃないかな。僕も同じような状況で、ずっとロッカーにいるなんてことはなかったです。みんな、いろんな場所を行ったり来たりして、誰かに挨拶したり、お客様をお迎えしたりして忙しかったですよね。でもそれは当たり前のことなので。
スタッフ用のトランシーバーで常に「いまケンゴさんの近くにいる人いますか?」って流れてくるくらい当日はケンゴさんがどこにいるかわからない状況でした。スタッフはずっとケンゴさんを探し回ってましたね。
でもケンゴの動きは本当にすごかったよね。なんていうか、めちゃくちゃ落ち着いていて、表情に全然疲れとか焦りが出ていなかったし。
「みんな自分のために来てくれてるんだな」と思うと、感動する一方で、いろんなことが気になってしまうんです。例えば、ケータリングでお茶漬けを準備してくれているスタッフの方々を見て、「大丈夫かな?何か手伝うことがあるかな?」とか、そんな感じで心配になっちゃうんですよね。
それが本当にケンゴのすごいところだと思いました。サッカーでの視野の広さと同じくらい、周りへの気遣いが細やかで。僕たちが「誰かに挨拶に行ってほしいな」「あの人と写真撮ってほしいな」って思う前に、ケンゴが自分から動いて、ボランティアの方々とかに声をかけて挨拶したり、写真を撮ったりしてたじゃないですか。本当にすごいなって思いました。
僕も本当にそう思います。だからこそ、ケンゴさんのためなら何でもやらせてもらいます!って気持ちになりますし。僕に対してもいつも誠実に接してくれて、本当に感謝してますし、この企画に声をかけてもらえたこと自体がすごく嬉しかったです。
ケンゴの気遣いは本当に行き届いていたよね。そうやってケンゴが主体的に動いてくれてたからこそ、誰かに「やれ」って言われてやるんじゃなくて、みんなが自然と動くような雰囲気になったんだと思います。
久しぶりに等々力競技場でのプレーだったと思いますが、率直にどんな感覚でしたか?
最高でした。本当にこの時間が終わってほしくないなって、心の底から思いました。ああいう感情って、現役のときもずっとあったんですけど、表に出したことはなかったんです。プロとしてむしろ見せるべきじゃないって思っていたので。でも今回の引退試合は、エキシビションマッチも、日本代表OBとの試合の前半も、川崎フロンターレの選手たちとの試合も、それぞれすごく思い入れがあって、自然と感情があふれてしまいました。笑顔しかなかったです。
久しぶりに等々力陸上競技場でプレーしたんですけど、4年ぶりにもかかわらず全然違和感なくて、本当にいい時間でした。プレーに関しても、「あ、うまくいかないな」みたいなことが全然なくて、とにかく楽しかったです。ただ、楽しすぎてテンションが上がりすぎちゃって、ペースを間違えちゃったのは反省点ですね(笑)。ちょっと序盤に飛ばしすぎました。
エキシビションマッチってもう少しリラックスした雰囲気でやるものだと思ってたんですけど、なでしこジャパンの皆さんがすごく真剣に試合に臨んでいて、周りの選手たちもスイッチが入ったと思います。ケンゴフレンズのロッカールームもめちゃくちゃ盛り上がってて、入場するときも公式戦の時よりも盛り上がりっていて最高の雰囲気でした。
試合前のラモスさんの姿はすごく印象に残っています
本当にあの場を盛り上げていただきました。ラモスさんのプレーを見て育った僕にとってウォーミングアップの時にラモスさんと二人でパス交換できたことが、本当に嬉しかったです。夢、叶いました。
引退試合でなでしこジャパンと試合をするのは珍しいですよね。
今回の試合では、普段からお世話になっている方々やフロンターレに関わる方々、そして親交のある方々にぜひ参加していただきたいと考えていました。特になでしこジャパンの皆さんにはぜひ参加していただきたいと思っていたんです。まずは、澤穂希さんに直接お電話をして、「皆さんのプレーをぜひ見たい」という気持ちを伝えました。
なでしこの中には引退試合をしていない方がたくさんいると聞いていました。それもあって、川崎市の子どもたちや僕の娘と同じようにサッカーをしている女の子たちにも、なでしこのみなさんのプレーを観てもらいたかったんです。
この思いに対して澤さんは『わかった‼』と快諾してくださいました。澤さんとは小学生のときに同じチームだったのですが、一緒にプレーしたことがなかったので、本当に嬉しかったです。
本当にたくさんの方々に参加してもらったよね。ケンゴが関わっている方はとにかく多いので、全員をお呼びすることはできませんでした。中でもスキマスイッチの常田真太郎さんとは長年の友人ですが、ライブと重なってしまい、今回は残念ながら参加することができませんでした。それでも100人を超える方々に集まっていただきました。
最終的に、参加してくれた皆さんが『楽しかった』『最高だった』と言ってくれたことが何よりも嬉しかったです。なでしこの皆さんやケンゴフレンズ、日本代表OBの皆さんもそう言ってくれました。試合後には『本当に良い機会だった』とか、『遅れてでも参加して良かった』という声をたくさん聞きましたし、旧友たちとの再会も大きな喜びでした。
特に、川崎フロンターレのOBの皆さんにとっては特別な機会になったと思います。等々力陸上競技場でOBたちが集まってプレーすることは今までほとんどなくて、20周年記念のOB戦くらいしかなかったんですよね。だから、今回またその機会を作れたことが本当に嬉しかったです。
フロンターレを長年応援してくださっているサポーターの皆さんも、かつての推し選手たちが引退後に再びピッチでプレーする姿を見られたのは感慨深かったのではないかと思います。みんなそれぞれ等々力での思い出を持っていて、皆さんにとっての大切な場所でこういう時間を過ごせたことは本当に素晴らしいことだと感じました。
今回の企画で一番面白かったこと
お二人にとって、『今回の企画で一番面白かったこと』を聞いてみたかったんですけどどうですか?僕が一番面白かったのは、やっぱり街頭演説の場面。一番笑ったのは、街頭演説で岡山一成さんが登場した時ですね。それまでケンゴさんが話をしていて、司会の高尾さんが上手く進行してくれていて、心温まる雰囲気だったんです。でも、岡山さんが登場した瞬間、空気がガラッと変わって、本当の選挙みたいになったんですよ!
『そうだ、そうだ!』とか、『川崎から世界を変えよう!』とか熱い言葉が飛び出して、周りの熱気も一気に高まったんです。それがすごく面白くて、『こういう熱量を共有できるのってやばいな』って思いました。
確かに、岡ちゃんが出てきた瞬間の空気の変わり方はすごかったよね。なんていうか、一気に高揚感がどんどん高まっていくような感じで。空気の高まりを感じる中で、なぜかわからないんですけど、『俺、何かに当選するな』って思った(笑)。
あれは駅前でやったので、改札を出てきた人たちが『何やってるんだろう?』って覗きに来るんですよね。『ケンゴの引退挨拶だ』なんて思わないでしょうし、後ろで見ていて『これ、本当に選挙に出たんじゃないの?』って思わせるくらいで、笑いながら見てました。
岡山さんの後に喋る小林悠選手はやりにくいだろうなって思ってしまいました。
そうですね。ユウ(小林悠)が隣でボソッと、『こんな盛り上がった後に俺が何を話せって言うんすか!?』って少し不安そうに呟いていたのを覚えています(笑)。
あの時、3人のキャラクターが本当に違っていて、それぞれの立場から話が聞けたのは良かったですよね。素晴らしい人選だったと思います。
天野さん、一番爆笑した場面ってどこでしたか?
やっぱり最後の締めの部分かな。演出の『上がり』の部分が今回の大きなテーマでした。どうやって中村憲剛を送り出すか、挨拶の後、場内一周に入る前の空気感をどう作るか。それを考える中で、『寿司』というコンセプトが大きな軸になったんです。
これは木村社長との連携で、『すしざんまい』からインスパイアされたものなんです。『けんござんまい』っていう企画名もそこから来ていて、すしざんまいのジャンパーを着たり、前夜祭や当日のマグロ解体ショーまで繋がっていきました。そして最後の締めとして、『寿司桶』を使うっていうアイデアをグッズ担当が出したんです。
結果的に、この『寿司』というテーマが試合全体の軸となり、最後の締め方にも見事に繋がりました。あの終わり方が正解だったと確信しています。『スシ食いねェ!』が流れる中、家長選手が寿司桶を持って、谷口選手がお茶を運んできたんです。
観客の皆さんも最初は『なんだこれ?』って思ったでしょ(笑)。でも、それも『うちららしさ』だったな。(笑)。
なにがすごいって今回のキャスティング窓口はすべてケンゴさんですから。
そう。アキ(家長昭博)に電話して「最後の演出で寿司を持ってきてほしい」ってお願いしたら、「はい、イイっすよ」って快諾してくれました(笑)。ショーゴ(谷口彰悟)にも「お茶を持ってきてほしいんだよね、その上がりを飲んで終わりってなるから」と趣旨含めて頼んだら、すぐに「OKです」って言ってくれて。
普通は『え?なんすかそれ』と不思議がったり難色を示すはずなんでけど、一切そんなリアクションはなく2人とも「わかりました」って(笑)。どんだけ慣れてんだよと。
アキとショーゴがその役を引き受けてくれて、本当に良い絵になりましたよね。寿司桶を掲げて、横に2人が立っている写真が印象的だったもん。
裏話をすると、実はあの締めのセリフ、最初は演出に入っていなかったんですよね。
そう。ケンゴがアドリブで(寿司を食べて)『うまい!』とか(湯呑みのお茶を出されて)『あ〜アガリね!』って言ってくれたおかげで、場が一気に締まった。
あそこで何も言わなかったら、観客の皆さんには意図が伝わらないと思って。だから、自然とお寿司と上がりを説明する形になった(笑)。
ケンゴは本当に空気を読むのが上手いよね。サッカーの空間認知能力と同じで、場の雰囲気を読む力がすごい。
個人的に面白かったというか、驚いたことは息子が『最もケンゴを輝かせた賞』を受賞したことと、僕が息子にインタビューをする形式だったのをそこで初めて聞いたことですかね(笑)。試合直後に2人でカメラの前に呼ばれることも聞いてなかったし、インタビューなんて尚更聞いてない(苦笑)。インタビュアーの高木聖佳さんからその場で言われて『え?俺が?息子にインタビュー?…わかりました』ってなった(笑)。
え、じゃあ『また等々力に戻ってきたいですか?』っていう質問はアドリブだったんですか?
インタビューも知らないんだからそりゃアドリブだよ(笑)。あの場の流れを見て、どうしてもあいつに聞きたくなった。4年前に引退セレモニーで手紙を読んだ小6が、4年経ち高1になって再びしっかりと自分の言葉で伝えていることに親として少しですが感心しました(笑)。DAZNのインタビュー映像にも残っていると思いますので、ぜひご覧ください。
サッカーを超えた「手作りの奇跡」
最後に今回の企画を振り返ってどう感じましたか?
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。この引退試合は、『みんなが1日笑顔で幸せな日に』という想いで、18年間応援してくださったサポーターの皆さんへの感謝と、育ててくれた川崎市への恩返しの気持ちから始まった企画でした。コロナ禍でサポーターの皆さんと直接触れ合う機会が十分に持てない時期もありましたが、最後にあのような形で、皆さんと一体となって歌えたことは本当に嬉しかったです。
4年前の引退セレモニーでは、コロナ禍の影響で、皆さんが歌った音源を録音してスタジアムで流す形になりましたが、その音源が流れた時のこと、4年後に目の前でみんなに歌ってもらったことを思い出すと、今でも鳥肌が立ちます。本当に、あっという間の時間でした。自分の中で様々な思いが整理されたように感じます。
「皆さんが楽しんで、それぞれの気持ちを持って帰ってくれたら嬉しい」と思っていましたし、「本当に良い一日だった」と言ってもらえたことが、何より嬉しかったです。そうした時間を作りたくて、多くの方々を巻き込み、この企画を始めたのは僕自身なので、最終的には、関わってくれた皆さんが「大変だったけど楽しかった」と言ってくれたことも本当に良かったです。
イベント終了後、1番近くで一緒にやってきたグループが最後に等々力に残りました。その時にみなさんへ向けて話したときにも伝えましたが、「皆で一から作り上げた」という経験をすることができたことが自分にとってもありがたかったですし、手伝ってくれた子どもたちにとっても大きな経験になりました。舞台に立つ選手として、ただ用意された舞台でプレーするのではなく、皆で一から基礎を作り上げて臨んだ引退試合だったので、もちろん不備があったり、ご迷惑をおかけした方・不満に感じられた方もいたかもしれませんが、本当に手作りで、この一日を盛り上げようという気持ちで臨みました。
川崎市にとって100周年という記念すべき年でもあったので、川崎という街全体を盛り上げたいという思いもありました。現役時代に大好きだった、関わるみんなで作り上げるあの熱気と一体感のある空気や景色を再びあの日見ることができたのは、本当に嬉しかったですし、この引退試合を実現できて本当に良かったと思っています。すべての方に本当にありがとうと伝えたいです。ありがとうございました。
4年越しで実現した中村憲剛の引退試合。その舞台裏には、多くの人々の熱意と努力が詰まった企画。”ワンクラブマン” 中村憲剛の功績を称えるだけでなく、新たな試みに挑戦し続けたこのイベントは、今後のスポーツイベントの新しいモデルとなるだろう。
FERGUSより敬意を込めて。
憲剛さん、現役生活本当にお疲れ様でした。