あるJ1クラブのスカウトも「セービング能力と足元の技術を兼備していて、即J1のレギュラーGKになれる素材」と賛辞を惜しまない。眼差しの先にいたのは日本大学3年の木村凌也である。木村は昨年のFIFA U-20ワールドカップアルゼンチン2023で日本代表の守護神として、全試合にフル出場。また所属する日本大学でも1年生から正GKを務めると、18年ぶりの関東1部リーグ昇格の立役者の一人となった。
そんな歴史的昇格を決めた2022年11月12日の試合後、木村が先々の進路選択に関して語ってくれた。
「もちろん、F・マリノスに戻れたら一番ベストです。ただ、高丘選手だったりが活躍している中ですぐに試合に出れるとも思っていないですし、自分としては試合に出れる環境を何より大切にしたい。F・マリノス一本で考えるより、J1やJ2も含めて色々な選択肢を見据えています」
あれから2年。世代屈指のGKに成長した木村の去就には大きな注目が集まった。彼のポテンシャルに惚れ込み、大学在学段階でのレギュラー抜擢を見据えた獲得オファーを送ったクラブもあったが、木村はそれらの誘いも断り、9歳から高校年代まで育ったトリコロールのエンブレムを再び、背負う決断を下した。
内定発表前には「自分はビルドアップに関わるのが得意なので、そことの親和性のあるクラブを選びたいですし、GKが攻撃の起点として関わり、ゲームコントロールするチームに行きたい」とも語っていたように、木村は攻撃時の1/11に留まらない、相手プレスを一振りで打開できるキック精度をもつ。そこに付けるか?という場所に恐れることなくパスを蹴り込むので、スタジアムをどよめかせる瞬間を生み出すだろう。
そんな彼の特性を活かすため、シーズン前のキャンプ期間には主体的なサッカーを志向する2クラブの練習に参加。しかし、最終的には古巣への帰還を選択した。
「今年の2月、キャンプ中のF・マリノスと、コンサドーレの練習にも行かせて貰って、コンサの帯同が終わったあたりには自分の中で決断してました。シゲさんとテツさんというGKコーチが2人もいる体制は自分にとって、すごくプラスになると思いましたし、チームのGK陣もすごいレベルが高かったので。自分がより成長できるのはどこか?を考え、F・マリノスに行くことがベストだと思いました。また、F・マリノス出身ということで、F・マリノスへの想いもあったので」
現在、大学3年生の木村だが、サッカー部の活動は現在戦う全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)を持ち一区切りをつけて、2025年シーズンからプロの舞台に飛び込む形となる。日本大学の川津監督がその経緯を説明してくれた。
「キムも4年生と一緒にインカレを最後に、チームを離れるという形になります。我々は高体連とアカデミーの子たちを預かっていますが、アカデミーの子たちは基本的には育ったトップチームに4年後戻してあげたいという気持ちでアプローチをしています。キムは世代別代表に入り、そういったチャンスもありましたが、ここまで決断をしなかったのは本人の中で自信が確立できていなかったというのもあったと思います。そんな中、3年生の最初の頃に『今年、チャレンジをして3年で一区切りをできるタイミングがあれば、そこで一区切りしたい』と言ってきたので、『この1年間、やり切りなさい。そして、みんなに応援してもらえる形で送り出してもらえよ』という話をしました」
覚悟の1年を過ごした木村の成長ぶりを川津監督は高く評価する。
「キムはこの1年で本当に成長しました。良い意味で大学サッカーに染まってきたなと感じています。彼は世代別代表での実績もありますし、周りも少し取っつきにくい時期もあったと思います。そんな1年生の時期を経て、1部昇格を果たした2年生では関東1部で揉まれながら、代表に行っては帰ってくるたびにレベルアップしていました。でも大学では敢えて厳しいことを言い続けました。私は指導よりも教育を大事にしています。社会に出ていくために、さまざまなことを教えてあげる。彼らと関わるツールがたまたまサッカーなだけです。プロに進む選手には、サッカー界で長く活躍できる選手になってもらいたいんです。
キムも1年生の頃は、いつも決まった1人や2人としか行動しませんでしたが、今では仲間とわちゃわちゃする姿を見せるようになり、良い人間に成長してくれたなと思います。今年は、ものすごくチームに情熱を捧げてくれましたし、それがプレーの安定や仲間との信頼関係に繋がったと思います。3年生になってから、ググッと変わってくれました」
F・マリノスユースに所属し、トップ昇格はならなかった当時の自分では、「プロの環境で戦えるイメージが湧かなかった」と木村自身が語るようにあの時は、プロとの明確な差を感じていた。だが日本大学での3年間を経て、今は違う。
「プロで戦っていく自信は勿論あります。いくつか、Jリーグの練習にも行かせて貰って、今なら、自信を持って飛び込めると思いましたし、スタメン争いに食い込めると思ってます」
3年前、木村の進路がどうなるか未定だった中、川津監督は3度も日大の練習会に呼び、木村の考えを何度も確認したという。
「プレーできるのはわかったと。それより、本当に日大に入りたいの?と何度も問いました。うちが取らなければサッカー人生が終わる可能性があるんだよと。そして、何度も問うた後、ぜひ日大で戦わせてください。とのことだったので分かったと受け入れることにしました。毎年、4年生をこうやって送り出す時期になると、日大に来てよかったと思ってくれた子がどれだけいるのか?と思うんです。彼らはうちに来て幸せだったのかなと。プレーヤーとして成長するのはサッカー選手として当たり前。勝利の先に何があるのか?をいかに考えられるか。そこを大事にしてもらいたいと思っています」
そんな大学での日々は木村に新たな刺激と学びを与えてくれた。
「あの時、日大にきてよかったです。試合に継続的に出ていなかったらここまで成長できていなかったと思いますし、日大に来たからここまで来れたと思います。日大のスタイルも自分に合っていましたし、F・マリノスのサッカーとも照し合わせた時に不自由なくフィットすることができます。結果的に高校の時に昇格できず、日大に来てよかったです」
F・マリノス入りの先には、更なる大きな世界も描いている。
「日本代表はもちろん目指しますし、F・マリノスに行くからには、日本代表にも入る選手にならないとダメだと思っています。昔はF・マリノスの選手が日本代表に多く選ばれていましたし、自分もF・マリノスから日本代表に入りたいと思います。鈴木彩艶選手が一歳上にいることは高い壁ではありますが、そこを目指していきます」
木村にとって、長らく戦ったF・マリノスとはどんなクラブなのか?
「小学生から常にF・マリノスというクラブがあって、大学に来て一度、離れたとしても、頭の片隅には常にありました。自分はサッカーをあまり見ないんですけど、F・マリノスの試合だけは見るんです。日常の中で、当たり前にある唯一無二のクラブですね。F・マリノスでは1年目から試合に出るつもりです。まだまだ課題もありますが開幕スタメンを目指して頑張りますし、やれる自信はあります」
だが、古巣帰還の前に、木村には大きな仕事が残っている。3年間、お世話になった日本大学を日本一に導くこと。その決意はできている。
「F・マリノスに1年早くいくことになったことで自分としても大学最後の大会になるので。昨年はこの大会で本当に悔しい思いをしました。今のチームは優勝できる力もあると思っていますし、最後にお世話になった日本大学で優勝して、後輩たちに何かを残したいと思います」
大学生活で培った集大成をインカレで結実させる。(12月14日から決勝ラウンド)
そして、唯一無二、トリコロールのエンブレムを再び背負い、ピッチに立つ準備も一歩ずつ進めている。