「自転車はただの移動手段じゃない」
そう語るのは、表参道にある「乗り物屋」ONO WHEELのオーナー、小野康太郎さん。幼少期から自転車に親しみ、競技者として世界を舞台に戦った彼が、今、兄とともに手がけるのは、ヴィンテージ感溢れるクロモリフレームをカスタムした「街乗りロード」の世界。これまでの経験を振り返りながら、ONO WHEELの魅力について小野さんにお話を伺いました。
高校時代に自転車競技で世界選手権に出場
小野さんの現在のお仕事について教えてください
兄・健太郎と一緒に2023年10月から表参道で「ONO WHEEL」という自転車を中心とした「乗り物屋」を始めました。このお店ではただ自転車を販売するのではなくて、90年代前後のロードバイクの主にクロモリ素材のフレームをベースに可能な限りお客様の要望に合わせて自転車をカスタムして販売しています。
自転車と出会ったきっかけは何だったのでしょうか?
父が練馬で自転車屋を営んでいたため、幼いころから自転車はとても身近な存在でした。家の近くにラバネロという自転車チームがあったこともあり毎日のように目の前をすごい速さで走り抜ける自転車を見て、「いつかあれに乗りたい」と思っていたんです。当時はサッカーをやっていましたが、その気持ちはずっと頭の片隅にありました。
自転車競技を始めたのはいつですか?
本格的にのめり込むようになったのは小学校6年生の時です。三菱養和のサッカーチームのセレクションに落ちたことをきっかけにサッカーをやめ、地元の自転車チーム「ラバネロ」に入ったのが始まりです。一方で、兄はそのセレクションに合格し、サッカーを続けました。
高校時代には日本代表にも選ばれたのですね。
はい、高校時代にナショナルチームに選ばれ、世界選手権にも出場しました。その後、大学には進学せず、高校卒業後はイタリアを拠点に競技を続けました。この頃が競技人生の中で最もレベルが高かった時期で、プロになる為に本気で取り組んでいました
プロになることを目指し、高卒でイタリアへ
なぜイタリアを選んだのでしょうか?
当時、「UCIワールドチーム」と呼ばれる最高峰ツアーの1つ下のカテゴリーに、日本企業がスポンサーをしているイタリアのチームがありました。そのチームには日本人選手が5〜6人所属していて、プロになるための近道だと感じたんです。サッカーで例えると、ベルギー1部リーグのシント=トロイデンVVのような存在ですね。そうした背景から、イタリアを選びました。
自転車競技におけるカテゴリー分けはどのようにされているのでしょうか?
自転車競技では、「UCIワールドツアー」→「UCIプロシリーズ」→「UCIコンチネンタルサーキット」という順にカテゴリーが分かれています。中でも「UCIワールドツアー」は世界で最もレベルの高いツアーで、このカテゴリーに含まれる大会の中でも「ツール・ド・フランス」が特に有名です。選手たちはみんな、この「UCIワールドツアー」に出場することを目標に日々しのぎを削っています。
自転車競技における「プロ」はどれくらいいるのでしょうか?
「プロ」を定義するのは難しいですが、最高峰の「UCIワールドツアー」には18チームが参戦しており、1チームあたり約30人の選手が所属しています。そのため、このカテゴリーにいる選手は約500人ほどです。さらに、その下のカテゴリーである「UCIプロシリーズ」には24チームが参戦しており、これらを合わせると世界で「プロ」と呼ばれる選手は約1,000人と言われています。中には年俸5億円の選手もいますし、1億円以上を稼ぐ選手も少なくありません。ただし、現在UCIワールドツアーに参戦している日本人選手は2人だけで、非常に厳しい世界です。
イタリアでの挑戦はどんな経験でしたか?
イタリアでは4年間競技生活を送りましたが、結果が思うように出せず、正直メンタルをやられた時期もありました。それでも、「人生なんとかなる」という経験を20代前半で積めたことは、今の自分にとても活きていますし、現地で多くの人と繋がりができたのも大きな財産です。そのご縁から、現在では日本の高校生たちの遠征に帯同し、一緒にイタリアを訪れる機会もあります。
ご自身の経験をもとに、今度は高校年代の子たちをサポートされているんですね。
はい、とにかく若い年齢のうちに世界トップレベルの環境を肌で感じてほしいという想いがあります。それを知った上で練習するのと知らないままでは、成長の度合いが大きく変わります。自分がプロになれなかった分、彼らにはその夢を叶えてほしいという期待を込めてサポートしています。
乗り物を所有することの豊かさ、ONO WHEELの原点。
帰国されてから、ONO WHEELを創業するきっかけは何だったのでしょうか?
2019年10月頃、日本で新しい自転車チームが立ち上がるタイミングで帰国しました。最初は新しいことを始めるつもりはなかったのですが、コロナ禍をきっかけに「何か新しいことをやろう」と考えるようになりました。そのチームで1年間競技を続けましたが、それを最後に競技生活に終止符を打ちました。
自転車競技をしていたこともあって、昔から乗り物が好きだったんです。新しい車を買うとき、「もう自転車を積むことを考えずに、本当に好きな車を選ぼう」と決めて購入したのが、旧車のホンダ シティカブリオレでした。この車が非常に珍しかったこともあって、いろんな人とつながる機会が増え、本当に人生が豊かになったと実感しました。その経験がONO WHEELの原点となっています。
お話を聞いていると、なんだか私も車が欲しくなってきました…
康太郎が車を購入してから行動範囲が広がり、新しい友達がどんどん増えていく様子を隣で見ていて、僕自身も触発されて旧車のトヨタ セリカを購入しました。今はカーシェアなど便利な選択肢もありますが、ただ移動するためだけの車ではなく、所有することで得られる楽しさや人生の豊かさは特別なものがあります。
また当時、僕は転職を考えている時期でした。「また同じようにサラリーマンをするのではなく、自分で何か新しいことを始めたい」と思うようになったんです。そのタイミングで康太郎も競技を引退していて、兄弟で車を所有していたこともあったので、最初は「一緒に車屋をやろう」という話になりました。ただ、車屋としてスタートするには資金面や専門知識など課題が多く、もう少し広い視点で考えて「乗り物屋」をやろうという結論に至りました。
それでONO WHEELが誕生したわけですね。
はい、まずは自分の得意分野であるロードバイク(自転車)を軸に、クロモリフレームのカスタムを中心とした街乗りロードバイクの専門店を開くことにしました。お客様の要望にできる限り応えて、フレームの仕入れから組み立て、販売まで一貫して手掛けています。
クロモリ、初めて聞きましたが、確かに見た目も可愛くて、ヴィンテージ感がありますね。
クロモリは「クロムモリブデン」の略で、強度が高く加工性にも優れた素材なんです。このフレームの見た目が好きで、康太郎に聞いたところ、それが「クロモリ」と呼ばれるフレームだと教えてもらいました。カラーリングデザインが複雑なものも多いですが、それがまた魅力的なんです。クロモリは古くから90年中盤までのレースシーンで主流だった素材で、軽さと耐久性も兼ね備えています。それを街乗り用のハンドルと組み合わせたら、機能性とデザイン両方の良いところを取り入れた自転車が作れると思ったんです。さらに、タイヤを太くしたり、かごをつけたりしてカスタマイズして販売すれば面白いのでは、と考えました。弟の康太郎がその役割を担い、僕はONO WHEELのグッズ、アパレル、イベントを担当し、兄弟で役割を分けて進めています。
この事業がうまくいくと、自信が確信になった瞬間はありますか?
お店を開く前に、知り合いから頼まれてカスタムをしたら、とても喜んでもらえたんです。その後、イベントに出店するようになって、徐々に認知度が広がり、次々と自転車が売れるようになりました。そんなタイミングで、表参道にお店を出せるかもしれないという話があり、こんな好立地でお店を構えるチャンスは滅多にないと思い、思い切って店舗を出すことに決めました。
ONO WHEELというブランドを確立していきたい
ONO WHEELの強みはなんでしょうか?
世の中の多くの人たちが最新のものを購入したくなる気持ちも理解していますが、中には「このパーツの自転車でこんなに高いの?」と思うようなものもあります。僕は競技をしていた経験があるので、お客様に対して最適な提案ができる自信があります。フレームは80年代、90年代の少し古いものを使用しつつ、部品は新しいものを使ったりしています。そのため、デザインの良さと新しい技術を組み合わせた自転車を提供しています。中には古い部品を使いたいというお客様もいらっしゃるので、柔軟にご要望に合わせたカスタムが可能です。将来的には完成車の販売も考えています。
最後に今後の展望をお聞きしてもよろしいでしょうか?
最終的には、お店に車で訪れて、自転車で遊んで、その後バイクで帰る、そんな1日を存分に楽しめるような基地を作りたいと思っています。それと同時に、「街乗りロード」というスタイルをもっと広めていきたいですね。僕たちは単なる自転車屋ではなく、「乗り物屋」として、乗り物を所有することで得られる豊かさを提供したい、それが僕たちの原点です。
また、アパレルの展開もしています。最初は「自転車に乗るときにポケットが邪魔だから、ベストタイプのものを作ろう」と話していたところからベストを作り、それがとても好評を得て、予想以上に売れました。まずは自転車を通じて人生を豊かにできるようにやっていきたいですし、その先は乗り物屋という枠にとらわれず、ONO WHEELというブランドを確立していきたいと思っています。