ジュビロ磐田に所属する松本昌也と金子翔太は、ともにJFAアカデミー福島(以下、JFAアカデミー)出身という共通点がある。JFAアカデミーからプロ入りした当初の挫折や転機、そして両選手が今季から取り組み始めたAthdemy中山知之との伴走について、話を聞いた。(全2回)
前編はこちらから⇩
https://fergus.jp/interview/interview-4309/
『あまり寝られなくなったり…』残留争いや契約更新というプロ入り後の高い壁
年代別の日本代表に選ばれ続けるなど、JFAアカデミーからも入団チームからも大きな期待を受けてプロ入りした両選手。高校卒業後、金子は清水エスパルスに、松本は大分トリニータに入団したが、最初の数年は難しいものだったと当時を振り返る。
金子「プロ入りしてから最初の2年間は全く活躍できず、カップ戦を含めて10試合ほどの出場だけでした。とにかく試合には出たいけど自信もそこまでなく、プロとしてどう自分が活躍していくのか、何が足りないのか、というのは漠然としていて客観視できていませんでした。
転機になったのは3年目です。2年目に半年間だけ栃木SCにレンタル移籍したんですけど、なかなか結果が残せなくて、 チームはJ3に降格しました。エスパルスもその年にJ2降格して、3年目はエスパルスに戻ってJ2の舞台で戦うというタイミングだったんですけど、高卒の選手は3年契約の場合がほとんどです。
レンタル先でも活躍できずに戻ってきて、『このままだと自分の契約はどうなるんだろう』という不安がありましたが、試合に出るために監督が何を求めているかを考えた結果、まずチームを助けられるのは守備、という結論に至りました。当時の小林伸二監督が守備や切り替えの速さを強く要求される監督だったので、監督が求めることにトライし続けたら徐々に試合に出られるようになり、重要な場面でゴールを決めることもできて、プロとしてのキャリアの芽がやっと出てきた、という流れでした」
松本「トリニータ1年目はJ1でしたが、9試合くらいしか出られませんでした。また、プロ入りするまでは滅多に怪我をしないタイプだったのですが、シーズン中に2回肉離れをして、プロの強度に自分の体がついていけてないことを自覚したので、なんとか食らいつくために、プロの舞台で戦える体作りを意識してがむしゃらにトレーニングをしていく感じでした。
2年目はJ2でしたけど、 半分以上の試合に出ることができて、プロのスピードや 感覚にも慣れることができました。その年はサイドハーフで出場することが多かったのですが、3年目は開幕から4試合くらいベンチが続いた後、たまたまボランチとしてチャンスが巡ってきて、その時のチーム状況や各選手の役割を含めて、どうすれば個人としてもチームとしてもいいプレーができるかを考えてプレーしました。最終的には32試合に出場できたものの、チームとしてはその年も降格することになってしまいました。
3年間で2回の降格を経験して、しかも3年目は自分も主力として出ていましたし、プロとしての責任の重さや厳しさを痛感しました。降格圏争いの中でリーグ終盤になってくると、精神的に切羽詰まってきて夜もあまり寝られなくなったり…そういう紆余曲折がありながら、多くのことを経験させてもらった4年間でした。もちろん降格することはいいことではありませんが、その経験を積めたのは自分の人生にとって大きかったと思います」
『自分と対話する具体的な方法が確立できていたら、選手としてのキャリアが変わっただろうな』
金子と松本の話を聞き、JFAアカデミー時代のチームメイトである中山が質問を投げかけた。
中山「3年間で2回降格を味わったり、レンタル先でも結果が出せなくて所属チームに戻るのは、なかなかハードな経験だよね。2人に聞いてみたいのは、そういう状況の時に自分のことを話せる相手とかはいた?もしくは自分だけで考えていた?」
金子「自分で考える方が多かったです。仲の良い先輩もいましたけど、すべてを話せるわけではないですし、サッカーノートに自分の理想のプレー像や練習で起きたこと、最近感じていることを書くことが多かったですね。
今はしっかりと整理できていますけど、プロになった最初の頃はなぜ試合で緊張するのかも、試合でうまくプレーできてない理由も自分自身では理解しきれなかったです。だからこそ、その頃にトモさんみたいな外部の1on1セッションの相手がいたり、自分と対話する具体的な方法が確立できていたら、選手としてのキャリアが変わっただろうな、と感じます」
松本「翔太と同じように、プレーがうまくいかない理由を客観視したり、自分と対話する方法は分からなかったかな。プロになりたての頃はチームメイトにも年上の人が多くて、自分の悩みなんてなかなか喋れないし、そもそも何を聞いたらいいのかも分からなかった。チームを勝たせるために自分にできることをただ一生懸命にするだけ、というか。今こうやってトモとzoomで話したりすることが、もう少し若い時にできていたらなと思う」
『自分一人だけで思考を整理するのは、やっぱり限界がある』
松本と金子の両選手には、厳しいプロの世界を10年以上も生き抜いてきた経験と実績がある。そんな両選手はなぜ、どのようなきっかけから、中山との伴走に今季から取り組み始めようと決断したのだろうか。
松本「今季のリーグ初戦でヴィッセル神戸と試合した時に、『何もできなかった』という感覚がどこかにあって、その感覚がこれまでのキャリアとあまり変わってないというか…チームとしてもJ1とJ2を行き来していて、このままだとチームとしても個人としても同じことを繰り返してしまうのではないか、という気持ちになったんです。
その時にふと、『なぜ日本人は大事な場面でシュートではなくパスを選択してしまうのか?脳から仕組みを解明する』(https://fergus.jp/interview/interview/)というトモの記事を読んで、『うわ、普段感じていることがそのまま書いてある』と思ったんです。トモがそういう仕事をしているのは知っていたのですが、その記事を読んでからトモに連絡して、今年から伴走してもらうようになりました。
取り組み始めてからは、自分のやるべきことが試合前に整理できているので、試合までの気持ちの持っていき方においても、試合中のプレー判断においても、迷いがより少なくなったと感じています。試合中にミスしたとしても、マインドの切り替えがすぐにできるようになっている感覚もあります」
金子「僕の場合はちょうど3年目の頃に、知人に勧められた心理学に関する本を読んだことを機にメンタルの重要性に気付き始めて、それからメンタルや脳科学、ゾーンに入ることに関する本などを読むようになって、キャリアも徐々に上向き始めました。
エスパルスで一度大きく活躍できたシーズンがあった後、エスパルスで降格したり、ジュビロに移籍してからも降格して、なおかつ年齢も上がってきて、キャリアが停滞気味になってきたと感じていたタイミングで、トモさんからたまたま連絡をもらいました。
当初は『いや、ある程度メンタルのことは勉強してきたから、自分で整理できているし、正直必要ないんじゃないかな?』と思っていたのですが、今季開幕後はなかなか試合に出られずに苦しい実感があったので、一度試しに“脳タイプ診断”を受けてみました。自分の脳内や考え方が丸裸にされて、後日トモさんとのセッションを試しにやってみたら、自分の考えが180度変わったんです。セッションを受けた後に感じたのは、自分一人だけで脳内や思考を咀嚼したり、ノートに書いたりして整理するのはやっぱり限界がある、ということです。
最近トモさんとセッションする時は、自分がバーっと喋っていきながら整理していくのですが、『話したいことをもうかなり話し切ったな』と思ったタイミングなどでも、トモさんが『他には?』と聞いてくれます。質問されると考えるので、そこから再考すると、より奥底で自分が感じていることや、見えていなかった部分がさらに出てくるので、その引き出し方が抜群に上手いと感じます。
もちろんそれだけではなく、『次の試合でどんなトライをするか』ということや、 『その試合までの1週間にどう向き合っていくか』という部分も整理されます。サッカーは想定外のことが起きやすいスポーツだと思いますが、イレギュラーな状況になった時に『どういう心持ちでいるのか』、『どうすればどっしりと構えていられるのか』、という部分も、試合前のセッションで整理できるのもありがたいです。想定外を想定内に、というのもよく話します」
1on1セッションを施す側としての観点から、中山が次のように話す。
中山「2人にも他のアスリートにも共通して言えるのは、いかに自己認識と自己理解の解像度を上げられるかが重要だということ。そのための自己破壊や自己創造のプロセスが大切だと考えています。つまり、自分にとって不要な思考や方法、手段は破壊していき、必要な思考や方法、手段を創造していく。それをさらに推し進めていくと自分流が出来上がってきて、『今日の自分はこうだから、こうしてみよう』というその場の”チューニング力”を発揮できるようになっていきます。1日たりとも“同じコンディション”というのは存在しませんからね。2人とも自分にしかない感覚を大切にしながら、自分なりのコツを掴んで、段階的に向上させていっている様に僕には映っています。
また、これは1on1セッションをする側の“あるある”ですが、セッションを受けている当人は日々微量に変化してくのでその変化をあまり感じていなくても、聞く側からすると『以前はこういう悩みや言葉が多かったけど、今はほとんど出てこないな』という変化を感じ取れるものです。そこをフィードバックすることで当人に新たな気づきや認識、理解が生まれます。
さらに言えば、昌也や翔太がセッション内で喋っていく中で、『あ、俺さっきこう喋ったけど、確かにこれはこういうことだ』という感じで、自分自身で話した“Aの事柄”と“Bの事柄”の繋がりに自然と気付くタイミングがあったりします。これも自己認識と自己理解の向上に役立ちます。その様子を見ながら、この状態を生むにはどうすればいいのか、ということを考察したり、僕自身も学ばせてもらっていると感じます」
華の舞台の裏で、1パーセントの喜びのために、苦しい想いもしながら戦う
松本昌也、金子翔太、中山知之という、JFAアカデミーで同じ釜の飯を食べ育った3人は、今後どのように未来に向かって進んでいくのか、最後に聞いてみた。
金子「自分の限界を決めつけずに、自分のポテンシャルをもっと信じて、もっと飛躍したいという気持ちが強いです。少し前に試合に出てゴールして、その翌節もアシストできた時に、自分自身では『久々に試合に出られて結果も残せた』と感じていたのですが、トモさんから『いや、翔太のパフォーマンスを正常に発揮することさえできていれば、それくらいは当たり前だよ』ということを言われて、ハッとしました。
どうしても試合に絡めていない選手は、大きな目標を口にするのを難しく感じてしまいがちですけど、『もっと殻を破って、もっと自分に期待して、上を目指すべきだな』と考え直しました。今29歳でプロ11年目ですけど、ここからもうひと伸び、ひと伸びどころかさらに上を目指していきたいです」
松本「僕は今年で30歳になります。30歳を超えてからJ1で活躍する選手は多くないと思いますが、選手である以上、常に限界を決めずに挑戦し続けることが大切ですし、自分自身『絶対にできる』と信じてプレイしています。いまチームは残留しないといけない立場にいますけど、自分が活躍することでチームの調子も順位も上がってくると思うので、そこに向き合いたいです。
あとは最近のセッションでプラスアルファとして出てきたことなのですが、もうすぐ子供が生まれるので、かっこいいパパでいたいです。『常に挑戦し続けるところを子供に見せたいな』と、今はそういう想いでいます」
中山「僕からすると、この記事だけでは伝えきれないくらいの魅力が2人にはあって、だからこそ今後はこういうメディアをどうやって活用していけばいいのか、という部分は一つの課題だと感じています。試合に出る、活躍する、という部分だけがアスリートの魅力ではありませんし、目標に向かうプロセスにおいて自分自身と向き合っている姿や頭の中をもっと多角的に見せることができれば、アスリートの価値はさらに高まっていくと思うんです。
華の舞台の裏で、1パーセントの喜びのために、苦しい想いもしながら戦う。アスリートはそういうゲームをしている人たちなので、それをもっと面白く届けられたらいいなと今回改めて感じました。主語はアスリートなので、僕は目立たなくて良いし、知られなくて良いと思っていますが、ここに寄与できるのであれば、自分も矢面に立ってメディアに出た方がいいのかな、とも感じ始めています。
2人には今後も楽しくボールを追いかけて活躍してもらえたら嬉しいですし、僕はビジネスサイドからクリエイティブに、サッカーを含めたアスリートの価値を高めていくので、みんなでやっていけたら嬉しいですね」