FOOTBALL

「目指すべきところはA代表」高卒→J2→オランダ…急激な成長曲線を描く佐野航大の“セルフミーティング”という思考法 powered by Athdemy

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text by Asami Sato

パリ五輪メンバー候補に一気に浮上

パリ五輪に臨むU-23日本代表のメンバー発表は7月3日。日本サッカーの歴史を振り返ると、中村俊輔や松井大輔、本田圭佑といったレジェンドたちは、五輪の舞台を経験した後に世界へと羽ばたいていった。

時が経ち、日本人選手の海外移籍はより若年化した。パリ五輪を目指すチームのキャプテンを務めてきた藤田譲瑠チマを筆頭に、すでに欧州1部リーグでプレーする選手が数多く存在する。

そんな中、この1年で五輪メンバー候補に一気に駆け上がってきた選手がいる。昨シーズンからオランダ・エールディヴィジのNECナイメヘンでプレーする佐野航大だ。実兄は昨年A代表デビューを果たした鹿島アントラーズの佐野海舟である。

移籍当初こそ出場機会に恵まれなかったものの、最終的にはリーグ戦24試合出場、4ゴール1アシストという数字を残し、カップ戦では準決勝で逆転ゴールを決め、チームを約30年ぶりに決勝の舞台へと導いた。

20歳を迎える前にJ2のファジアーノ岡山からオランダに渡った佐野は、いかにして急激な成長を遂げたのか。彼のルーツや頭の中を紐解きながら、オランダでの日々や今後の目標についてインタビューした。

父と兄の影響、米子北での日々

「2、3歳の頃にはチームに入って、遊び感覚でいつも兄とボールを蹴っていました」

佐野のサッカー人生は兄の背中を追うように自然と始まり、小中学生時代は父親がコーチを務める地元岡山の街クラブでプレーした。

米子北高校に進んだ兄が1年生で選手権に出場する姿を見て、自らもその進路を意識するようになった。「いろんな世界を見た方がいい」という父親の助言もあり、Jクラブの下部組織のセレクションにも参加したが、最終的には米子北に進学を決めた。

入学直後はトップチームに絡めなかったが、プリンスリーグなどで徐々に出場機会を掴むと、兄と同じように1年生での選手権出場を達成。3年連続で選手権に出場し、2021年のインターハイでは決勝で青森山田高校に敗れながらも大会優秀選手に選ばれた。米子北での3年間を次のように振り返る。

「トレーニングも生活も厳しかったので、そこで揉まれて、仲間と一緒に高め合えたことは、すごくいい経験になりました。これからのサッカー人生でも、サッカーが終わってからの人生でも、もしきついことがあったとしても、あの3年間を思い出せば平気だと感じられると思いますし、自分を助けてくれるはずです」

写真提供 : 父・龍一さん

高卒1年目でスタメンに定着

高校卒業後にJ2のファジアーノ岡山FCに入団。昨今、三笘薫や旗手怜央など、大学を経由してJリーグで活躍し、海外移籍後にA代表に定着するというケースが主流になりつつあるが、高校からそのままJリーグに進むことへの葛藤はなかったのだろうか。

「『絶対にプロになって、日本代表になる』という覚悟を持って高校3年間を過ごしていたので、オファーをいただいた時点で即決しました。チャンスを手放したくなかったですし、大学で揉まれる4年間と、プロで揉まれる4年間は違うはずだとも思っていたので、大学に進むという選択肢はほぼ考えていなかったです」

地元のクラブであるファジアーノ岡山を選んだ理由を次のように語る。

「J1のチームに行っても1年目からは試合に出られないだろうと思っていたので、あまりJ1は考えていなかったです。ファジアーノ岡山の練習に参加してみて、雰囲気のいいチームだと感じましたし、100%通じないレベルというわけではないとも感じました。オファーの熱意を1番伝えてくださったのも岡山でしたし、いま振り返っても入る決断をしてよかったなと思います」

入団1年目の2022年シーズンからチャンスを掴み、リーグ戦28試合に出場した。J2のレベルに難なく適応できた要因を、本人はどう認識しているのだろうか。

「メンタル面が1番大きいかなと思います。『ミスしたらどうしよう』と最初は思っていたのですが、監督が出場機会を与えてくれて、徐々にプロの試合に慣れていきました。試合経験が0から少しずつ上がっていくことで、『意外とやれる。もっとやれる』という自信を持つことができたので、メンタル面で吹っ切れて自分らしいプレーが出せるようになりました」

佐野が言う“自分らしいプレー”とは、チャンスクリエイトや起点となるプレー、そしてゴールだ。それらを可能にするためには、積極的に前を向いて仕掛ける必要がある。

「『前向きにプレーしろ』ということは監督からずっと言われていて、どのポジションで出場するにしても常に意識していたので、徐々にそういうプレーが増えていきました。

いわゆる“アンパイ”なプレイというのは、ある程度の技術があればできると思うのですが、前向きにプレーして1枚剥がして、というのは誰にでもできるプレーではないと思いますし、そこが自分に求められていたと感じます」

写真提供:米子北高校サッカー部

オランダでの挑戦を決めたきっかけ

プロの舞台に物怖じせず実力を証明していた佐野に、一つの転機が訪れる。シーズン中にフランスで開催されたモーリスレベロトーナメント(旧トゥーロン国際大会)だ。

「南米やヨーロッパの相手と戦ってみると、同い年とは思えない体格の選手や、上手くて速い選手ばかりだったので、『日本でやっていてもまだまだダメだ。いち早く海外を経験しないと日本代表になれない』と感じました。

それまでは海外に行きたいというよりは、まずは試合に出ることが1番大切だと思っていたので、明確な目標もあまり決めていませんでした。その遠征をきっかけに自分の意識と考え方が変わっていき、早く海外に行きたいと思うようになりました」

翌2023年シーズン途中の8月、佐野はオランダに渡った。海外リーグ初挑戦の場としてエールディビジを選んだことにも、彼なりの明確な理由があるという。

「フィジカル的な要素が多く求められるリーグではなく、よりテクニカルなリーグの方が自分のプレースタイル的にも合っているので、そういう意味でオランダに行きたいとは元々思っていました。

あとはステップアップのことも考えて、アヤックスやPSVがチャンピオンズリーグでプレミアやブンデス、ラ・リーガ勢などを相手に互角に戦えている印象があったので、オランダで試合に出てサッカーを学んでいけば、今後どこの国に行っても通用するのではないのかなと。もちろん、だからこそ簡単にはいかないだろうなとも思っていましたが」

実際にエールディヴィジを経験してみて、J2との一番大きな違いはどういう部分なのだろうか。

「プレースピードや強度が2段階くらい上がった、という感じです。あとはタックルの深さ、足の伸び方も違いますね」

その強度に負けることなく、佐野は自らの特徴を遺憾なく発揮している。屈強な外国人選手をドリブルやターンでいなしていく姿は、ボルシア・ドルトムントで輝きを放った香川真司を彷彿とさせる。佐野自身、香川のプレーを意識していた時期もあるそうだ。

「強い選手や速い選手に対して、強さや速さで勝負するのではなくて、しっかり考えて先に良いポジションを取って、“いかに同じ土俵に乗らないか”というのはずっと考えています。というよりも、そうしないと今の自分のフィジカルレベルでは輝けない、と言った方が正確かもしれないです。

フィジカルレベルがもっと上がっていけば、通用するプレーの幅ももっと増えてくると思いますが、今はまだ足りていない状態です。その中でどう結果を残すかと考えた時に、いかに頭を使うか、いかに相手のポジションや試合状況を読み取るか、というのが大事だと改めて感じたので、そこは意識しています」

プロ1年目に培ったメンタリティ

ただ、冒頭で述べたように移籍当初は出場機会がなかなか得られなかった。第4節まではベンチ入りできず、第5節で初めてメンバー入りし、途中出場でオランダのピッチを踏んだ。そこから継続的にベンチ入りするも、試合終了間際の出場が多く、定位置確保とは言えない状況が続いた。

潮目が変わったのは年末年始のウィンターブレイクが明け、1月14日に行われたフェイエノールトとのアウェイ戦。後半22分から途中出場し、勝ち点1獲得に貢献。続く第18節、ホームにトウェンテを迎えたこの試合で、念願のスタメン出場を果たす。

4-2-3-1の2列目左サイドで出場した佐野は前半38分、センターサークル付近で巧みに縦パスを受け、スムーズなターンからのスルーパスで好機を演出。後半途中からはボランチでプレーするユーティリティ性も見せながら、フル出場で勝利を掴み取った。この一戦以降、左サイドを中心に、右サイドやボランチと様々なポジションでスタメン出場を続けた。

異国の地での苦しい時期を、どのようにして佐野は乗り越えたのだろうか。

「試合に出られない時こそ立ち振る舞いが大事だということに、 プロ1年目の最初の頃に気づきました。その時も試合に絡めていなかったので、どういう考え方で練習に取り組むべきか、どういうプレーをして監督にアピールするか、試合に出た時にどうやって結果を残すか、ということを常に考えながら、ブレずにプレーし続けました。

試合に出られない期間は、その先で結果を残すためには必要だと感じますし、その反面、試合に出られないことに慣れてはダメで、試合に出ることが当たり前だと捉える必要もあると思います。オランダでもその過程を経たからこそ、試合に出られた時に『プレーできて嬉しい』という感情が芽生えますし、それがプラスに働いて結果がついてきたのかなと思っています」

セルフミーティングで“思考を整理する”

佐野が常日頃から考えることを止めずにチャレンジし続けてきたということが、ここまでのエピソードからひしひしと伝わってくる。その“思考”という作業において、半年前から取り入れた“AthdemyのB-navi”の効果を実感しているという。
※B-naviとは株式会社Athdemy(アスデミー)が提供する“脳医科学に基づいた脳タイプ診断”を活用し、各選手用にカスタマイズしたパフォーマンス向上プログラム。

「メンタルの部分を誰かに相談するというのは、今まではあまりしてこなかったタイプなので、自分の悩みや疑問を本音で打ち明けて、解決できるのはありがたかったです。その上で、自分の性格や思考に合った解決策や様々な引き出しを提案してくれたり、一緒に模索してくれるので、自分にとってプラスになっているなと思います。

競技面ではサッカースタイルや強度、スピード感も異なりますし、環境面ではファンや観客、スタジアムの雰囲気など全てが日本とは異なります。その中で『いかにメンタルを平常に保つか』という部分は一人で試行錯誤しながらプレーしていたのですが、アスデミーさんに伴走してもらうことで、自分一人では出てこなかった考え方やアイデアを持つことができたのは大きかったです」

本人曰く、元々は好不調の波が大きい傾向があったという。調子の波を一定に保っていくことにおいても、アスデミーの伴走が一役買っていると話す。

「ミスをした時や、うまくいってないと自分自身で感じている時に、いかに早く軌道修正するか、という部分も成長したと思います。ミスに対するアプローチの方法や、逆にプレーが成功した時のアプローチの方法も、いろいろな引き出しを教えてもらえたので、本当に良かったなと。考え方が大きく変わったというよりは、考え方の引き出しが増えて、状況によって使い分けができるようになったことで、試合の雰囲気や自分の調子に左右されにくくなったと感じています」

具体的にはどのようなアプローチや引き出しを身につけたのだろうか。実際に佐野が取り組んでいる内容を教えてもらった。

「1番取り入れてよかったのはセルフミーティングです。“自分と会議する”というのは面白い考え方だなと思って、いまも継続していますね。例えば、ミスをした時に『今のミス、なんで起きたんだろう?』と自分に問いかけて、『多分周りの状況が見えてなかったからだな。じゃあ次はどこを見ようか』という感じです。

サッカーのことについて考えるのは元々好きだったんですけど、“思考を整理する”ことはあまりしていませんでした。セルフミーティングによって思考を整理できるようになってからは、ミスが起きた時に思考を1回リセットすることができています。これまであまりできてなかった分、伸びたところだと感じます」

このセルフミーティングは練習中に行うのがメインだが、試合中に行うこともあると明かす。

「いかに考えながらプレーするか、ということを練習で取り組みつつ、試合ではいちいち考えている時間はないので、感覚的にプレーしています。自分の特徴として、感覚的な部分が突出している傾向がある、というのもアスデミーさんのB-naviによって知ることができたので、試合中は自分の感覚を大事にして、あまり何も考えないように意識しています。

試合が少し中断している時やハーフタイムなどのタイミングで、セルフミーティングをすることもあります。例えば、試合の中で同じ状況というのは絶対にないのですが、似たような状況はあるので、『もし同じような状況になった時にどうするか』という感じで、常に自分の中で会議していますね」

奇しくも、アスデミーのB-naviを取り入れ始めた時期は、出場機会を掴み始めた時期と重なっている。頭の中を整理することがオランダへの順応に繋がったという事実は、海外移籍を視野に入れている他の選手にとっても非常に有益な情報になるのではないだろか。

いざパリ五輪へ。そして、その先に見据えるもの

6月初旬、五輪代表メンバー発表前の最終テスト的な意味合いを持つアメリカ遠征が行われ、佐野は初めて召集された。本大会のメンバーはわずか18人。オーバーエイジが入ってくる可能性を考えても、メンバー入りのハードルは非常に高い。

パリ五輪を含めた今後の目標について、はっきりとした口調で次のように語る。

「あとは発表を待つだけなんですけど、メンバーに入ってパリ五輪でプレーしたいというのがいまの1番の目標です。でも、もし選ばれたとしても、選ばれなかったとしても、パリの次に目指すべきところはA代表です。

チームメイトの小川航基君がA代表に入ったことで、海外でしっかり活躍すればA代表に入れる、ということをより実感しました。だからと言って(A代表入りが)近いわけではないですけど、早くそのレベルに近づけるように、1日1日しっかりトレーニングしていきます」

オランダでも通用する足元の技術と高いサッカーIQに加え、リバウンドメンタリティも携えつつ、更には“思考”という強みにも磨きをかけている佐野航大。2年後に開催される北中米W杯の日本代表メンバーに、彼の名が含まれていても不思議ではない。

PROFILE

佐野 航大(Kodai Sano)
佐野 航大(Kodai Sano)
2003年9月25日生まれ。176cm、68kg。岡山県津山市出身。エールディヴィジ・NECナイメヘン所属。

著者

佐藤 麻水(Asami Sato)
佐藤 麻水(Asami Sato)
音楽や映画などのカルチャーとサッカーの記事が得意。趣味はヨガと市民プールで泳ぐこと。

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