
どう考えてもタイトルの日本語が変であることは明白ですが、それくらい勝てません。勝てないならまだいいものの直近6試合でわずか1得点。「庭のアリをみているほうが楽しい」とファンがつぶやいたのを眺めながら、カナダはどこの家にも庭があるほど豊かであると鉄筋コンクリートジャングル出身のぼくは思いました。
勝てないとき、もれなくそれは「我々は一体なんなのだろうか」と自問する機会になります。究極を言ってしまえば我々は勝敗に関して直接的な関与ができないからこそ、ピッチで行われる事象以外の術でそれを訴える必要があるわけです。
そういえばこのクラブで働いてもう2年が経とうとしています。幸いにもぼくのチームはずっと同じメンバーであり、すべてがインハウス。カナダの島にあるめちゃくちゃ小さなクラブではありますが、自分の意見が制作に反映されていること、そしてそれがしっかり街とのコミュニケーションとして機能していることから実務を記載したいと思います。
チームスローガンの意味
たとえば文化祭的にチームスローガンを毎年変えるクラブであったならぼくはここまでこのクラブに愛着があっただろうかと思います。このクラブが設立当初から一貫して謳っているクラブの軸は「For The Isle(島のために)」であり、こんなにも動きやすいものはないわけです。どんな企画も「なんのフックが島のためになっているか」が前提になっているのでそもそも変なものが生まれない。海に囲まれている地理的条件もあって、協業者も島のひとだし、内部から生み出されるものも島に関連したものになってくる。これらはフットボールクラブが最も大切にすべきである「地域を具体で見る」ことに大きく寄与することができると実感しています。日本にいたときから考えていた「都道府県名より市区町村名を名乗るクラブがアツくなりがち」な現象はこれも影響している気がしますし、スローガンを大きな声で発信していると、行政でも街の店でも基本的に受けいれてくれることからわかりやすくていいコピーだなぁと思います。
そもそも勝ちとはボーナスである
という価値観をチームで共有しています。それはクラブとして勝利を軽んじる態度ではなく、勝ったらオモクソに色々盛り上げるけど負けたらサッサと切り上げるスタンスの話です。おそらくこれは全世界のクラブで共通していることだと思います。最初は負けたことも強い気持ちで制作物に活かそうと議論になりましたが、もれなく選手を文脈違いの消費対象にしてしまうこと、そもそもそれに説得力がでるのは選手の言葉で事象を振り返ったときのみなので愚策であると着地しました。決定後、みんな満足気に会議室をあとにしましたが「作業量を増やしたくないもんなぁ」と全員が思っていたはずです。
となるとです。
勝敗が関係ないところにこそクラブのスタンスが見えてくる気がすると感じたのが我々チームが発足した2年前でした。日頃から街にアンテナを張り、勝敗以外のところでクラブの存在価値を示していく。そして物語が紡がれるようなクオリティのものを出していく。具体例をいくつか下記に記載します。
① グラスルーツ活動の発信におけるクオリティを高める
間違いなくこれは北米特有のスタンスだと思います。MLSをはじめとした北米スポーツクラブになぜここまで巨額が投資されるのか。それは「社会のためになっている証拠づくり」と『道楽』だそうです。どちらも主語はオーナーであり、後者はともかくとして ”スポーツクラブ” を通してクリーンなイメージを獲得すること、そしてなんらかの名声を得ることが大きな投資動機になっている。とMLSクラブを立ちあげた元ボスが酔っ払いながら言っていました。肌感としてあながち間違っていないと思います。
見方を変えるならグラスルーツ活動は “オーナー視点で” 道楽を助長する勝敗と相対する重大な要素であり、それをiPhoneの写真記録で終わらせない理由は明確です。
たとえば選手がローカルのクラブを訪れたとき、たとえば社会的な活動をサポートしたとき。自分たちがコントロールできるメディアだけに留めず、相手のアカウントと協業するとか、地元のローカルメディアに記事にしてもらうとか、とにかくできることをコツコツと行って少しずつ「知り合いの輪」をひろげることが活動の目的のひとつであると認識しています。
LinkedInで他クラブの制作チームを探していても、試合日以外の撮影が要項に入っていたりして北米のスタンダードが感じられます。サッカークラブがもつ社会的な価値はどこまでいっても「発信力」だと持論です。だからまだ知られていない活動と協業して、高いクオリティで発信する。その発信先であるファン、街の住民、はたまた街を起点に活動している団体と密なコミュニケーションができていれば正しく情報は届き、やがてクラブの「社会のためになっている証拠づくり」として金銭的な還元を受けられる。そんなサイクルをつくるために今日も街にでるわけです。
② クラブの歴史を “生声” で伝える
YouTubeをはじめとしたプラットフォームで世界中のクラブが長尺の裏側動画をつくるようになりました。それについてはいつか触れた気がするので割愛しますが、クラブではその代わりにインタビュイーが発した声に焦点をあてて発信するようにしています。簡単にいうと裏側をみて視聴者がそれぞれ推測する従来から、クラブとしての明確なスタンスを元に批評してもらうやり方です。
上の動画に出演している男性は元カナダ代表でワールドカップにも出場したジェイミーさん。2022年のカタールW杯で久しぶりの出場を成し遂げたカナダ代表ですが、それ以前は1986年まで遡ります。ジェイミーは大学生のアマチュアながら代表に選出され、フランスとの一戦では途中出場。ピッチに入るとき監督に「プラティニを徹底的にマークしてこい」と送りだされたそうです。余談ですがぼくもこのまえ1点リードの9回裏満塁の緊迫する場面で「大谷翔平から三振を取ってこい」と監督に送りだされる夢をみました。無事グランドスラムを浴び起床しました。
このようなコンテンツをつくっていてこりゃいいなぁと思うのは「街におけるサッカーの歴史を知ることができること」と「重要人物にアクセスしやすいこと」です。
いつかの連載で「北米サッカーは歴史がないから今をしっかり発信しなければいけない」とボスに言われた話を書いた気がしますが、歴史が全くないわけではありません。欧州が培ってきた百何年のモノはありませんが、もれなくヨーロッパ諸国の支配下だったこの大陸にも物語はあります。イギリスに統治されていたビクトリアにおけるサッカーの歴史はかつての英国リーグと接続し個人的にも興味深いところがあります。チェルシーやトッテナムがビクトリア選抜と試合をしていたりして、調べがいがあるなぁと思うことばかりです。
もうひとつ、我々チームが自画自賛をしてやまないのが島育ちの選手を取りあげるインタビューです。フォーマットは変わらず、しかしクラブにとってこれほど価値のあるものは他にありません。
セシリアはクラブの下部組織でプレーしたのちドイツのクラブへ移籍、のちに活躍しこの夏には1部クラブのボーフムに加入しました。ボーフムは昨年からパシフィックFCと提携しているクラブであり、このパスウェイを彼らと共有し共同で制作したものが上記です。今年のキットローンチでも軸にしたくらいこのクラブは育成クラブであり、島の子どもに活躍の場を用意することを大きな目的にしています。彼女が歩んできた道を取りあげることは彼女への賞賛でありながら、島の子どもに対する鼓舞でもあります。
海外クラブとの言語バリアのない制作チームをインハウスで持つことが「実働を伴いづらいクラブ間提携」に活路を見出すことも発見でした。パシフィックにおけるクラブ間提携でもっとも価値がありそうなのは選手の移籍云々よりもファン文化へのインスパイアだと思うので、彼らと共同で制作しそこにドイツのファンも関心を持つことがキッカケのひとつになる。それがどう作用するのかは数年後に答え合わせができる気がします。
③ ファンが “なぜファンなのか” を理解する
クラブとファンの近さ的な観点でいうと、今年からはファンの声を取りあげる制作もしています。これは北米だけでなく欧州のクラブでもそれなりに見られるコンテンツだと思いますが、根底にあるのは「ファンは客ではない」というある種の諦めです。演劇じゃないんですね、フットボールは。
まったく新規の客を連れてくるのはクラブができることだけれど、客をファンにするのはファンしかできないと考えてるのは自分がそうだったからです。となるとクラブとファンが密にコミュニケーションをとることができること、ファンをクラブの一員だと大袈裟に誇ることはビーチの清掃活動に参加することと同じくらい大切なことであると我々のスタンスです。多分この分野には賛否両論あり、定期的に地獄(旧:Twitter)で話題になっているのも理解ができます。
北米のクラブはファンダムについて述べるときに、コミュニティというワードで置き換えることがあります。ぼくはこの言葉づかいが結構好きです。熱量によって優劣がつくのではなく、クラブの存在を前に進めるための全体がコミュニティであると考えると、細かいことが結構どうでも良くなる。話は変わりますが、地獄(現:X)でファンダム関連の議論を巻き起こすことに変わる “承認欲求の満たしかた” を関係者全体で考える必要があるように思えます。それに生産性はなにもないので数年後、日本に帰ることがあれば本気で取り組みたい分野であります。
クソほど勝てないとき、のサッカークラブとは一体なんなのだろうか。
逆にクソほど勝てているときのサッカークラブとはなんなのでしょうか。そういえばまだ世界中の口元がマスクで覆われていた数年前、ぼくのいた環境は名実共にクソほど強かったことを思いだします。そのときに内部でしつこく言われていたことは「いまこそ今までどおりの活動を」であり、そんな姿勢をピッチの結果に相関して評価されていた記憶があります。
勝ちがもたらすことは “マス” への露出、発見、機会であり、そのときに外に出す確固たるものがなければただの強いチームでしかない。いやそれがとんでもなく大変なのは承知のうえで、勝てないときにも “マチ” に向けて露出、発見、機会をつくるのが我々の仕事じゃないですか。幸いにもいまはオウンドメディアが充実していて制作のスキルさえ積めば言いたいことを伝えることは十分にできるわけです。
たとえこの先、どこか違うフットボールクラブで働いたとしても、勝てないときに自らを見失うことのないような土台をつくりたいなと思うビクトリアの首夏でした。
PROFILE
田代 楽(Gaku Tashiro)
