
2024年12月20日、東京・渋谷でトークイベント『北米サッカーとは何なのか。』が開催された。2人の登壇者は、どちらもカナダでサッカーに携わっているプロフェッショナルだ。
バンクーバー・ホワイトキャップスFC所属ゴールキーパー、高丘陽平。
横浜市内屈指の小学生クラブチームとして知られる、あざみ野FC出身。その後は横浜FC、サガン鳥栖、横浜F・マリノスとキャリアを歩む。中でも、F・マリノスでは2022年にJ1リーグ優勝を経験した。
2023年2月、現所属のバンクーバー・ホワイトキャップスFC(MLS:メジャーリーグサッカー)へと移籍。1年目から正守護神の座を射止めるなど、獅子奮迅の活躍を見せている。
パシフィックFCクラブスタッフ、田代楽。
幼い頃からJリーグに触れ、フットボールが持つ文化に魅了されていった。大学卒業後、川崎フロンターレのクラブスタッフとしてキャリアをスタート。同クラブの伝説的存在として知られる天野春果に師事。数々の奇想天外なホームゲームイベントを手掛け、幅広く活躍。
2023年3月に同クラブを退職し、単身渡米。紆余曲折を経て、カナディアン・プレミアリーグ(CPL)所属のパシフィックFCで、念願だった北米サッカークラブでのキャリアを邁進している。
高丘と田代は共通の知人を通して知り合い、今では「ガク」「ヨウヘイくん」と呼び合う仲となった。時にはサウナで時間を共にするほど、すっかり気心の知れた間柄である。そんな2人は、彼らの共通点でもある『北米サッカー』について耳を傾け合い、自分とは異なる視点で語られる物事に興味を示し、話を重ね、深め合っていった。
トークセッションでは、実にさまざまな話題が飛び出した。ある時はプロサッカー選手としての視点から、またある時はプロサッカークラブのスタッフとしての視点から、そしてまたある時は、共に日本を飛び出し、異国・カナダの地で奮闘する者同士の視点から、次々と話題が生まれていった。
そんな調子で、1時間半を超えるトークセッションはあっという間に過ぎ、気付けば我々聴衆は帰路に就いていたのである。
当イベントレポートでは、そんなトークセッションについて『英語』『“外国人”としての自分』『Jリーグとの違い』という3つのポイントに注目しながら、筆者の視点から振り返っていきたい。

ポイントその1:『英語』
高丘も田代も、2023年上旬に日本を離れてから、そろそろ2年が経つ。
カナダで暮らしていれば、そこかしこで英語を目にし、耳にし、口にする機会がある。中学・高校で学んだそれとはまるで異なる“ナマの英語”があふれ、テレビや映画の中でしか見たことのなかった景色が広がっている。
そんな世界に2年も身を置いていれば、さぞ英語も上達するだろう。
2人によると、ある程度はその通り。一方で、そう簡単にはいかないこともあるようだ。
「相手が何を言っているかは分かる」が…
高丘は長らく海外リーグでのプレーを望み、2022年に一念発起して英会話を習い始めた。
当時、F・マリノスでチームメイトだった水沼宏太に英会話教室を紹介してもらい、ある時期は1日3〜4時間ほど掛けて課題に取り組むなどして、半年間みっちりと学んだ。その後も独学で勉強を続け、来たるべき日に備えていたという。
田代もまた、英語を学んでいた。川崎在籍中にオンライン英会話を受講し、フィリピン人講師による指導のもと、着々と英会話を身に着けていった。「発音はともかく、互いにしゃべることに耳を傾けることが多かったので、リスニングの力はついていたと思う」と、田代は当時を振り返っていた。
そんな2人は、口を揃えて「相手が何を言っているかは分かる」と言った。筆者も海外留学の経験があるので、彼らの言うことはよく分かる。まずは耳から英語に慣れていく。問題はその次のステップだ。
高丘はプロサッカー選手であり、とりわけ声を出す機会が多いゴールキーパーだ。日本語であれば次から次へと飛び出していくはずの言葉が、英語ではなかなかうまくいかないようだった。「1年目のシーズン終盤、それまでのキャリアの中で感じたことのない疲れやストレスがあった。あまり気にしていないつもりだったけど、体は正直なのかなって」と、彼は当時を振り返っている。

「アイツらの英語、マジであり得ない」
一方、田代は「ある程度は話し掛けることもできる」と、持ち前の気概で乗り切っていた…かのように見えたが、彼もまた現実に直面していた。
続けて紡ぎ出した言葉は、海外で生活したことのある人なら一度は思ったであろう、リアルで切なるものだった。
「日本語と同じ感覚で使えるようになるのはまだまだ先のことで、気が遠くなる。いつになったら英語をちゃんと話せるようになるのかは分からない。あくまでも表現の1つだけど、アイツらの英語はマジであり得ない」
そう、『あり得ない』のだ。こちらが英語を話せると分かるやいなや、リスニング教材や英会話教室では聞いたことのないようなスピードで、こちらのボキャブラリーにない言葉を次々と浴びせてくる。そんなネイティブスピーカーの無邪気なアグレッシブさに、2人ともしっかりとやられていたのである。
それでも、彼らは2人ともくじけることなく、両脚でカナダの地に立ち続けてきた。そんな中で感じてきたのが、次のポイントである。

ポイントその2:『“外国人”としての自分』
高丘と田代は日本人だ。
日本にいる間は意識することが少ないかもしれないが、海外に飛び出すと話は変わる。2人が日々を過ごすカナダにおいて、彼らは“外国人”だ。
当たり前のことだと思うかもしれない。しかし、その“当たり前”は、高丘と田代に容赦なく襲いかかってきた現実なのである。この現実に立ち向かうために、2人は英語というツールを身に着けて準備していた。しかし、その威力は2人の想像を超える、凄まじいものだったのだ。
「もっと自分を表現できるようになっておけばよかった」
高丘は、Jリーグ3クラブでレギュラーの座を掴み取り、150試合以上出場した実力者だ。
そんな経験をもってしても、“外国人選手”となってみて初めて感じたことがあったという。高丘はこう語る。
「ピッチ上で結果を出すことが、日本でプレーしていた頃よりも求められるようになった。チームにおいて自分は外国人選手であって、ドメスティック(自国人)の選手と同じプレーをしていては、自らの存在価値を感じられなくなっていた」
「日本にいる間に、もっと自分を表現することができるようになっておけばよかったと思う。試合後の振り返りミーティングでは、チームメイトたちが『このシーン、俺はこう思ったけど、どうすればよかった?』と積極的に発言している。ミーティングの場でさえも対話をすることが重要視されていて、それが当たり前のことだった」
「だから、自分という存在を周囲に分かってもらう必要があった。そのために、1年目はチームメイトとよく食事に行っていた。試合中に声を掛けようにも、相手がどんなキャラクターなのかによって掛け方が違う。幸いチームメイトはみんなフレンドリーで、よく食事に連れていってもらえてよかった」
日本人は和を重んじる。互いに協力し、尊重し合うことを美徳としている。そうした評価は、チーム内でも話題になると高丘は言う。
一方で、強く物事を言いたがらないことから「ナメられるきっかけになっちゃうかも」と感じる節もあった。だからこそ「自己主張や自己表現をすることの重要性を痛感した」のだった。

「『コイツが必要だ』と思ってもらうためには」
自己開示に積極的な姿勢は、サッカー選手特有のものとは限らない。
田代は“外国人”としての自分について「メリットもあるが、そのままでは仕方がない」という。カナダのサッカークラブで働くスタッフであることに国籍は関係ない。日本人とて、カナダ人スタッフと同等の働きを求められる。当たり前のようで、実際に直面すると、その壁は非常に大きかった。
しかし、田代には英語のほかにも武器があった。日本で培った経験と、手にした成功体験の数々だ。
田代は川崎時代に発達障がいの子どもたちをスタジアムに招待する企画を行っていた。かつてJリーグチェアマン賞を受賞したその企画のほかにも数々の企画を打ち立て、Jリーグにおいて次々と話題をさらっていった実績から「いかにして、日本での経験や成功をカナダでも再現するか。それが僕の行動原理」という。
「カナダ人と同じ水準を求められる以上、『チームにはコイツが必要だ』と思ってもらえるためには何をしたらいいかを常に考えていた。そこで思い付いたのが、カメラを持ってピッチに入ることだった」
「地元出身の選手が通算100試合目の節目に自らゴールを決めた。当時ピッチサイドでカメラを向けていたが、その光景があまりにも美しくて。試合中にもかかわらず、気付いたらカメラを持ってピッチ内に入ってしまっていた」
「絶対に怒られると思ったし、実際に主審から怒られた。でも、よく考えてみると誰にも迷惑は掛けていなかったし、それよりも感動的なシーンが目の前で繰り広げられていたことのほうが重要だった」
途中からは、まるで犯行動機を供述しているかのようなコメントだが、田代の瞳はまばゆく輝き、語り口にはただならぬ熱量が込められていた。
後に、田代はクラブのスポーティングディレクターに「ガク、ナイス」と声を掛けられたという。日本から遠く離れたカナダで経験したドラマチックな出来事を通して、彼は「この国では『良いものを作った者が正義』だと感じた」という。

ポイントその3:『Jリーグとの違い』
このように、高丘と田代は同じカナダで、それぞれのフィールドに“外国人”として立っている。
そんな2人が、今では離れて久しいJリーグでの日々を思い返しつつ、北米サッカーと比べてどのような点が異なるのかについて語った。
「いかにしてカオスを作り出すか」
高丘はプレイヤーの視点から、開口一番に「やっているサッカーが違う」と答えた。
日本ではゲームプランが緻密に組み立てられ、チームとしての強みが発揮されるような状況をいかにして作るかが重要視されていたという。高丘は「行って、戻ってくる」と表現したが、日本では起承転結がハッキリとしたサッカーをするのが一般的だったということだろう。
一方、MLSはある種真逆のサッカーをしている。高丘がひと言「カオス」と答えたのが、筆者にとっては印象的だった。
例えば、ビルドアップの前進手段を出し尽くしてしまったり、アクシデントなどによって従来のやり方に頼ることができなくなったりしたチームは、ショートパスでボールをつないで前進することを諦め、浮き球とも呼ばれるロングボールで一気にアタッカーへとボールを届け、攻撃を仕掛けようとすることがある。
両チームともこのような仕掛け方になり、ロングボールの応酬になった時のことを『オープン展開』と呼ぶ。そしてMLSは言うなれば、試合終盤は“オープン上等”なのだそう。高丘によると、こうした状況をあえてセットアップしている節もあり、「いかにしてカオスを作り出すか」を重要視しているというのだ。
筆者が15年ほど前にアメリカを訪れた際、宿泊先のテレビでたまたまMLSの試合を観た(なお、対戦カードは忘れてしまった)が、「バスケみたいなサッカーをしているな」と思ったことをよく覚えている。
その後も、我がポートランド・ティンバーズ(MLS)の試合を観るたびに同じことを思う。そんな個人的な感覚値が、高丘の証言によって裏付けられたというわけだ。
でも、それでいいとも思う。そういった展開のほうが、シンプルにスタジアムが盛り上がるからだ。
「エンタメとしてのサッカー」
シンプルにスタジアムが盛り上がっていることは、高丘も感じているらしい。
「北米の人たちは、エンタメとしてのサッカーを楽しんでいる。1年目の頃は、野次を飛ばされることもよくあった。当時、僕のことは『日本人』という以外に知られていなくて、『よお日本人』『お前にそのゴールは守れるのか』とか、ちょっかいを出すような感じでいろいろなことを言われた。でも、試合に出るうちに『タカオカ、お前なんか怖くねえよ』みたいに、『日本人』ではなく名前で呼ばれることが増えていった」
『日本人』と、かなり大きな括りで呼ばれていた頃を思うと『タカオカ』と名前で呼ばれることは大きな進歩だ。そして何より『相手に存在を認められた証』でもある。
田代がカメラを持って試合中のピッチに入ってしまったのと同じように、高丘はMLSのピッチでファインプレーを重ね、自分らしいやり方で存在感を増していった。その結果、『良いものを作った者が正義』として、北米のサッカーファンに認められたのだ。
そんな高丘と野次のエピソードには、続きがある。
高丘がある試合でビルドアップのパスをミスしてしまった時、背後のゴール裏スタンドから、声を掛けられた。相手クラブのマダムなサポーターで、高丘にこう言ったという。
「今のパスは狙って出したのかしら?」
高丘の負けず嫌いスイッチが押された瞬間である。
ボールが再び高丘のもとにやってくると、高丘は先ほどのマダムに見せつけるかのように、完璧なロングボールを蹴り放った。ボールは程なくして、遠く離れた場所にいた味方プレイヤーへと、寸分の狂いもなく届いた。
そして、高丘は先ほどのマダムに向かって、両手を広げながらこう言った。
「今のパス、見たか?」
ピッチとスタンドの隔たりがなくなり、会話が生まれていたのだ。
日本でプレーしていた時は、野次が飛んできても気にしないようにしていたというが、北米ではむしろ積極的に関わるようになっていた。それほどまでに高丘は、スタンド席にいるファン・サポーターとの心理的な近さを感じたという。

「派手に見えて、むちゃくちゃローカル」
「野次を飛ばしてくるサポーターの中には、日本語で野次を言ってくる人もいた」という高丘に「まあその野次を教えてたのは、実は僕なんですけどね」と付け加えた田代は、スタジアムや、そこに集まる人々についての分析したことを語った。
田代が言うには「スタジアムは観客で埋まっている状態がベスト」だという。2万5000人規模のスタジアムに2万3000人の観客がいるのと、6万人のスタジアムに同じ数の人がいるのとでは、見え方も、雰囲気も大きく異なる。
その点、MLSは2万5000人規模のスタジアムが多く「ほとんどのスタジアムで“大入り感”を演出できている」と田代は言う。
収容人数に近い数の観客が毎試合のように押し寄せると、シーズンチケットを保有することの価値が自然と高まる。1試合でも多く観に行きたいという人が増えれば、シーズンチケットの購入希望者も増える。やがて1試合のチケット価格が見直され、相対的にシーズンチケットがお得になり、保有者が増えていく。
すると、1試合だけ観に来た観客の単価が上がると同時に、シーズンを通して何度も足を運ぶ人の数も多くなる。こうした状態を作り出すことが、スタジアムを包む熱狂的な雰囲気につながっていくのである。
スタジアムの雰囲気を作り出しているのは、フィールド上の選手たちであり、クラブによるスタジアム内外の演出であり、そしてファン・サポーターたち自身だ。しかも、ファン・サポーターが発する熱量は、実にさまざまなものに対して、往々にして大きな影響を与える。
だからこそ、ファン・サポーターがクラブに対して親しみを持ち、近しさを感じることはとても重要だ。
田代が北米サッカーでのキャリアを志すきっかけになったロサンゼルスFC(LAFC)は、2018年にMLS参入した新興クラブでありながら、熱狂的なサポーターが放つムードによって、今やMLSでも随一の存在感を放っている。
ロサンゼルスにメキシコ系のルーツを持つ人々が多いことも一因だが、それ以上に田代が感銘を受けたのは「派手に見えて、むちゃくちゃローカルな戦略を展開していたこと」だった。
アメリカの都市部は札幌、京都、神戸・旧居留地のように区画がハッキリとしており、1区画を『ブロック』という単位で呼ぶ。そして、LAFCはプロモーションを重点的に仕掛けるエリアをブロックごとに決めているという。
LAFCは、ブロックの人々が集まりやすいようなイベントや、クラブの試合を観るパブリックビューイングなどを開催し、クラブとローカル(地元)の共生を図っている。しかも、こうした取り組みに対して、エリアごとに専任スタッフを置いているというから驚きだ。
しかし『コミュニティとの関係性』という点では、LAFCだけがこうした取り組みをおこなっているわけではない。
田代が所属するパシフィックFCも、ヴィクトリアという島をホームタウンとしていることから、ローカルとの距離感が近い。いわく、「地元出身の選手はファン・サポーターと顔見知りなことが多く、試合後に『そういえば、最近お父さんは元気?』というように、ご近所さん同士のような会話が普通にある」そうだ。
このように、北米においてはスポーツとコミュニティの距離感が近く、結び付いた存在だということが窺える。
「『スター』を作る感覚」
田代の話をじっくりと聞いていた高丘は、自らがホワイトキャップスの選手として、試合以外におこなった活動の中で印象的だったものについて振り返り始めた。
「クラブのシーズンチケットを購入したサポーターの家を訪問する、サプライズ企画に参加したことがあった。僕が行くことは伝えずに、ある日突然『こんにちは、僕です』と訪ねる。サポーターはサプライズを喜んでくれたし、その様子はスタッフが動画に収めていて、後日ネットで公開され話題になった」
「あとは、バンクーバーにある病院の小児病棟を訪問したこともある。そこには病気と闘っている子供たちがいて、その子たちとふれあう機会が何度かあった。日本時代は、こういうことをあまりしたことがなかったけど、クラブがその街にある意味を感じるきっかけになった」
田代がいるパシフィックFCでも、同様の取り組みをおこなったという。川崎時代に担当した企画をベースに、パシフィックFCで『脳に腫瘍が見つかった子供と1日契約をする』という取り組みを実施した。
その子供との契約内容は、『選手たちが普段ホームゲームでおこなっていることを追体験する』というもの。スタジアムにバスで到着したらロッカールームへと向かい、試合前のミーティングに参加する。スタジアムのビジョンには、子供を選手と同様に扱う選手紹介ムービーが放映され、試合開始前にはコイントスもおこなった。
こうした一連の取り組みはCPLに評価され、リーグによる『CPL Business Award』という式典で、コミュニティ・インパクト賞を見事受賞した。「川崎でも同じような取り組みが評価されたことがあるけれど、それがこうしてここ(カナダ)でも評価されたのは嬉しかった」と田代は振り返ったが、彼が感じたのはそれだけではない。
「改めてコミュニティに対する感度が高いなと思った。街とクラブの関係性を作ることを通じて『スター』を作る感覚が北米サッカーにはあるし、これは僕が川崎で学んだことそのものだった」
この田代の言葉を聞いた筆者は「Jリーグと北米サッカーの取り組みは、実はそれほど変わらないかもしれない」と感じた。Jリーグであれ、CPLあるいはMLSであれ、クラブにはホームスタジアムがあり、ホームタウンがある。スタジアムに人を呼ぶうえで、最初に声を掛けるのはホームタウンに住む人々、つまりローカルだ。

「クラブがその街にある意味」
ちなみに、『地域貢献活動』『ホームタウン活動』と言い換えると、Jリーグクラブも精力的にコミュニティサービスをおこなっている。
Jリーグによれば、2023年度のホームタウン活動はJ1・J2・J3の60クラブを合わせて3万回以上も実施され、1クラブ平均数は510回にのぼった。毎日1回以上のペースで、全国のJリーグクラブがホームタウン活動をおこなっていたのである。
では、なぜ北米サッカーとはイメージや認知度が異なるのか。その答えは、田代の言う「『スター』を作る感覚」にあるのではないか。
例えば、高丘が紹介したシーズンチケット保有者へのサプライズ企画や、病院を訪問するアクティビティなどは、その様子に密着する広報チームが付き、選手とローカルの触れ合いを紹介しているという。
「◯◯選手が✕✕を訪問しました」といった簡素な報告ではなく、背景にある経緯を説明したり、触れ合う人々のリアルな表情が伝わるようなコンテンツにしたりと、見せ方を工夫することによって、取り組みに参加する選手を『スター』として扱う。こうすることによって、ファン・サポーターにとっては選手たちが特別な存在となり、ローカルの人々にとっても距離感が近い存在として認知されるようになるだろう。そして、これこそが北米サッカーに見られる特徴なのだと、高丘と田代は話していた。
もしかしたら、こうした活動を公にすることなく、ひっそりとおこなっているJリーグクラブやJリーガーが存在するかもしれない。だが、こうした活動はオープンにおこなってもよいのではないだろうか。ユニフォームの売上やシーズンの成績などでは測れない価値や結び付きはこうした領域にもたくさん存在し、そこに賛同したり価値を見出したりするスポンサー・パートナーがいるかもしれないからだ。
「北米にはスポーツビジネスの土壌が整っているから」「リオネル・メッシを筆頭に、世界的プレイヤーが多数所属しているから」「北米のマーケットは世界有数の規模で、アメリカ・カナダ国内のみで完結できるから」など、MLSに代表される北米サッカーの隆盛に関する論調は多く存在する。
だが、クラブが人々に支持されるのは経済的な大きさによるものではなく『クラブと自分との結び付き』が感じられるからだろう。そこにこそ価値があり、高丘の言う『クラブがその街にある意味』として、やがてコミュニティへとつながっていく。その結果として、クラブに資本が集まり、さらに規模が拡大される――このような流れを循環させることが、サッカークラブとしての価値を高めていくことにつながるのではないか。

おわりに
高丘陽平と田代楽による濃密なトークが終わった後、参加者からの質疑応答コーナーが設けられたが、ここでも鋭い質問が飛び交った。そうした質問の数々に対してうんうんと頷きながら聞き入り、しかし瞬発的に、懐の深い答えの数々を重ねた2人の姿は、トークイベントにおいて特に印象的だったことの1つである。
立場こそ違えど、2人とも北米サッカーに身を置いて日々チャレンジしているという点では、互いに“同志”と思っているに違いない。トークの節々で笑顔を見せ合い、笑い合っていた様子を見れば一目瞭然だ。
本稿には筆者の見解が多分に含まれているが、それらを差し置いても、高丘と田代による丁々発止のやり取りは非常に本質的なものだった。本稿では、彼らの発言において特に興味深かった部分をピックアップしてお届けしたが、彼らの言葉から感じたものは何かあっただろうか。
もしあれば、あなたが関わるサッカークラブに対して、身の回りでできることから何かを始めてみてほしい。そうすることできっと、その街にそのクラブが存在する意味がより大きく、強くなっていくだろう。
PROFILE
高丘 陽平(Yohei Takaoka)

PROFILE
田代 楽(Gaku Tashiro)
