360度を使ってプレーする“後ろ理論”とは
「“自分の前180度の空間”はみんな自然に使ってプレーしているんですけど、前と同時に“後ろ180度の空間と感覚”を使ってプレーすることで、相手が守れない空間が生まれ、守れない現象が起きる、というのが“後ろ理論”です」
現在プロサッカー選手から子供たちまで幅広く指導活動を行っている元Jリーガー豊嶋邑作は、自身が体系化した“後ろ理論”についてそう語る。
1991年生まれの豊嶋は、4歳から7歳まで過ごしたコスタリカでサッカーを始め、柏レイソルユースで育ったのち、ベルギーやモルドバ、ラトビア、モンテネグロのリーグを渡り歩いた。2015年に帰国し、いわてグルージャ盛岡に加入。その後、社会人リーグの栃木ウーヴァFC(現栃木シティFC)を経て房総ローヴァーズ木更津FCでプレーしていた29歳の頃、身体能力の衰えを感じ、専門的なコーチのもとで股関節トレーニングを学び始めた。
ある時、そのコーチに股関節トレーニングのゴールを聞いてみたところ、「360度どの方向にも、同じ強さ、同じ速さ、同じ強度で動けるようになること」という答えが返ってきた。その答えに触れ、豊嶋はある“気づき”を得たという。
「前の180度に対してどうやって速く動き、どうやってボールを運び、どうやってキックを上達させるか、という部分にはずっと取り組んできましたが、『自分の後ろの180度をどう使うか』という部分は、サッカー人生で一度たりとも考えたことがなかったと気がつきました。
その日から、(視界外の)後ろの空間を常に意識しながらサッカーをしていたら、少しスピリチュアルみたいな話になるんですけど、“後ろの感覚”みたいのがぼんやりと芽生えてきて。前(ゴール)を目指してプレーしながらも、『常に後ろを把握できている』ようになり、『もうボールを取られることはないな』という感覚を持てるようになっていったんです。
ただ、その時点ではまだその感覚の正体を言葉で説明できなかったので、『もし寝て起きてこの感覚がなくなっていたら、もう2度と再現できないんじゃないか?』という恐怖を感じ始めて、毎朝起きた時に壁当てをして、その感覚が残っているかをチェックする日々を1年間ほど続けました(笑)。その後、その“後ろの感覚”の正体を解き明かして、言葉にしようと思い立ったんです」
カタールW杯で神の子が見せたプレー
豊嶋が捉え始めた“後ろの感覚”を言語化する際にヒントを与えてくれたのは、リオネル・メッシのプレーだったという。
「昔からメッシが好きでずっと見ていたんですけど、パリサンジェルマン(以下、PSG)への移籍からカタールW杯に至るまでを一気に見返してみると、昔とはプレーエリアが真逆になっていることに気付きました。
どういうことかというと、バルセロナ時代も“後ろの空間”を使うことはありましたけど、 ほとんど“前の空間”だけで完結できていたんです。PSGに移籍した直後はあまり活躍できず、『メッシも終わったな』という感じで一部では言われていて…あくまでも僕の視点ですが、その時の現象としては身体能力の衰えもあって、“前の空間”のプレーが以前よりも上手くいかなくなっていました。その翌年に見事に復活したんですけど、不調の時と見比べると、前に行けない時に“後ろの空間”を使って状況を打破していたんです。メッシのプレーぶりを見て、『やっぱり自分の“後ろの感覚”は間違ってないぞ』と感じ始めました。
その後に迎えたカタールW杯のクロアチア代表との準決勝で、相手DFのグバルディオルを右サイドで抜いてアシストしたシーンがありますよね。ドリブルをした後に一度止まって自陣ゴール方向をメッシが向くと、グバルディオルがボールを奪おうと(ゴールの逆方向に)食い付いて、その瞬間にメッシがゴール方向にターンして突破したシーンです。そのシーンと自分の“後ろの感覚”が完全に結びついて、『言語化できるかもしれない』と感じ、そこから1つ1つ紐解いていきました」
3歳の子どもでもできるメソッド
“後ろ理論”は進行方向基準、ボール基準、ゴール基準の3つに分かれており、その3つの感覚を完璧に持っているのは、世界でもメッシだけだと豊嶋は語る。
“後ろ理論”を3つに分けているのは、ボールを奪う方法が以下の3パターンに限られているためであるという。
1. 相手のボールを触って奪う
自分の足をボールに対して伸ばし、ボールを直接触ることによって奪う方法
2. 身体を入れて奪う
相手選手がスペースに走り込んだりドリブルをした時に、そのスペースに対して自分の体を入れたり、進行方向を塞ぐことによってマイボールにする方法
3. 蹴ったボールをカットする
ボールをインターセプト(カット)やシュートブロック、ヘディングでのクリアによって奪う方法
ボール保持者にどれだけ厳しく体を寄せたとしも、最終的にはこの3つの方法でしかボールを奪うことはできない、というサッカーの特性そのものが“後ろ理論”の基準になっている。だからこそ、“後ろ理論”の3つの感覚をすべて持っておけば、相手がどの方法でボールを奪いに来たとしても、ボールを取られないために後ろの空間を使うことができるという。話はさらに加速し、ボール保持者と相手DFとゴール、という3者の関係性について以下のように説明する。
A. DFは、基本的に自陣ゴール方向にボールを蹴られることを阻止しようとする。
B. ほとんどの場合、ボール保持者が前を向いてボールを持っている時、対峙するDFはボール保持者とボールと自陣ゴールを結ぶ線上に立つ。
C. ボール保持者がボールとともに一歩でも動けば、DFは自陣ゴールと結ぶ線上に再び立つために移動する。
D. この時、ボール保持者が自らの“前の空間”だけを意識してしまうと、DFは左右どちらか一つの方向だけを塞げばいいため、守りやすい。
E. “後ろの空間”を使えれば、DFはボール保持者の前も後ろも守る必要が生まれる。
F. ボール保持者からすると“前がダメなら後ろ”、“後ろを守ってきたら前が空く”という形で、常に“前後二つの方向”を使える状態でプレーできる。
最後の「常に前後“二つの方向”を使える状態でプレーできる」という部分が、“後ろ理論”の最も大切なところだという。また、フィジカルや足の速さ、技術の高さに左右されないものだと豊嶋は話す。
「“後ろ理論”はサッカーの特性上かならず起きる現象に基づいているので、選手のレベルやカテゴリーを問いません。たとえば自分と対峙する相手が幼稚園生でもファン・ダイクでも、ボールがある場所では同じことが絶対に起こる。つまり“後ろ理論”の感覚があれば、相手のレベルや自分のコンディションに関係なく、同じプレーを何回でも再現できる。下手でも上手でも、体が大きい子も小さい子も、理解さえしてしまえば誰にでもできるメソッドになっています」
“後ろ理論”が他の能力も向上させる
前線の選手だけでなくGKやDFにも効果的であり、豊嶋は実際にCBのプロ選手も複数人サポートしている。その一人である韓国人の女子サッカー選手は、後ろ理論を学んだことで、相手を1枚剥がして最終ラインからボールを前に運ぶプレーができるようになり、近頃の活躍が評価された結果、韓国代表に選出されたという。
では、プロ選手ではない子どもたちに“後ろ理論”を落とし込む時、子どもたちはどのような反応を示すのだろうか。
「練習が終わった後に『今から試合したい!今なら絶対ボール取られないかも!』とみんな言っています。僕のスタートも同じ感覚でしたし、その感覚を持てることはすごく意味のあることだと思います。
後ろ理論の最終的な目標は、後ろを使うことじゃなくて、後ろの概念があることで、『ボールを絶対に取られないという前提でプレーする』ということです。あくまでも“前を目指す”のは絶対。でもその上で、ボールを絶対に取られない前提でゴールに向かってプレーするのか、取られる可能性がある前提でプレーするのかで、プレー選択がまったく変わってきます。
今までは『ドリブルに自信あるけど、ミスして取られたらどうしよう』と思ってプレーしていた選手が、『どんな状況になってもボールは取られないよ』という意識でプレーできるようになると、元々持っていた他の能力も上がったり、余裕ができることで今まで思いつかなかったような発想が出てきたりするので、他の部分への相乗効果も大きいと思います」
後ろ理論を実践してみると、選手の両親は驚きの反応を示すことがほとんどだという。
「後ろ理論の際に使うターンやドリブルは誰でも見たことある簡単なものですけど、プロアマ問わず、サッカー界に後ろ理論と同じような概念は存在していないので、後ろ理論でプレーし始めたお子さんを見て、『なんでそんな簡単にDFを抜けちゃうの?』という感じで、いい意味でみなさん驚かれます」
誰にでもできる後出しジャンケン
ここまでの説明を聞くと、メッシやベルナウド・シウバ、久保建英などが見せる、「それをされたらボール取れないじゃん」と相手DFが不満を言いたくなる、いい意味で後出しジャンケンのようなボールキープのプレーが思い浮かぶ。
足元の技術が優れているだけでは、そのようなプレーは繰り出せない。おそらくほとんどのサッカー経験者が、360度の視野を感覚的に持ち合わせている人のみに可能なプレーだと感じているのではないだろうか。
しかし、豊嶋は「誰にでもできる」と自信を持っている。実際に豊嶋がSNSで発信している“後ろ理論”の教え子達のプレーぶりは目を見張るものがある。それと同時に、少なくないプロ選手が豊嶋のパーソナルコーチングを受けているのは、“後ろ理論”がプロレベルで通用するメソッドであることの証左だろう。
“後ろ理論”が育成年代からプロを含めて今後広まっていけば、日本サッカーの概念は大きく一新されていくだろう。そうすれば豊嶋が目標として掲げる“日本人バロンドーラー”の誕生も、より現実味を帯びていくはずだ(女子サッカーでは澤穂希が2011年度に受賞している)。
また豊嶋は“後ろ理論”と補完し合う“デュソー”という理論も提唱している。 “デュソー”とは「前向きにプレーする際のドリブルの持ち運び方や体の使い方、重心操作の仕方」であるという。この“デュソー”について、次の#2で説明していく。
#2に続く