日本のプロスポーツリーグのなかで、一番売上規模が大きいのがプロ野球リーグ「NPB(日本野球機構)」。1軍公式試合のみでも年間1716試合(12球団合計)が組まれ、日々熱戦が繰り広げられる。メディアもこぞってそれを報じ、ファンは結果を一喜一憂しながら見つめる。
「プロ野球選手」。野球をプレーするものならば、誰しもが一度は憧れる職業に違いない。
その人は、そんな「プロ野球選手」と呼ばれる人。いつしかファンたちは、彼のことを“レジェンド”と呼ぶようになった。ひとつちがうとすれば、彼は「独立リーグのプロ野球選手」であるということだ。
ルートインBCリーグ・群馬ダイヤモンドペガサス所属、井野口祐介。40歳を目前に控えた彼の生き様を、今改めて追う。
可能性を追い求めた20代、現実を知ったのはアメリカの舞台
「BCですか? 最初は2、3年でやめようって思ってましたよ」
そう笑う彼の言葉と、実態は伴わない。2024年秋、井野口はBCリーグで15年目のシーズンを終えた。
地元群馬・桐生商業高校3年時は甲子園にも出場。その後平成国際大学に進み、2007年卒業時に新設されたBC富山へ。翌年新設チームである群馬ダイヤモンドペガサスに移籍した。1、2年目は最多打点タイトルも獲得している。
「最初数年はNPBのスカウトも見に来てくれていましたし、『もしかしたら』なんて期待はありましたよ。でも、NPBの2軍戦なんかが組まれると、痛いほどわかる。BCとNPBには大きな壁があるなって思うんですよね。それでも僕は野球が好きだから、ちょっとでも上の舞台にいける可能性があるなら続けたいなって思うようになって」
そんな可能性を追い求めて、2012年にはアメリカの独立リーグ・アメリカン・アソシエーションへ。この経験は、井野口にとって大きな転機となった。
「僕は身長が180センチありますが、それでも海外選手とはやっぱり身体の作りが違う。ただがむしゃらに身体を動かすだけじゃ、そういった選手たちとの差は埋まらないから、頭を使うんです。チームから僕に求められているのはどんな役割か。どんな練習をしたら差が埋まるのか――」
もっと早く知りたかったですけど、と井野口は頭をかいた。帰国後シーズン復帰を果たした2014年には最多安打タイトル。この時井野口はすでに29歳、ちらほらと「独立リーグのレジェンド」という二つ名が聞かれ始めていた。
「後悔」はすでにない。でも、やりたいから。
レジェンドと言われ独立リーグに残る井野口に対し、チームには井野口より若くして野球人生に幕を引くものも毎年複数人いる。
「世間一般からしたら『30歳になったら家族を持つべき』とか『年収〇万円あるべき』みたいな考えはあるのかもしれない。自分のやるべきことを見つけて野球を辞めていく彼らのことを、すごいなと思います。でも僕、野球以上にやりたいことってないんですよ。だから続けている」
後輩から進退についての相談を受けることもあるという井野口。そんなとき井野口は必ず「今辞めて後悔しないか」と聞くのだという。
「後悔するなら辞めないほうがいい。なんなら僕は、今辞めても後悔はないくらい。それでもほかにやりたいことがない。好きなことをこの年齢まで続けられるって、幸せなことだなと思います」
選手たちのなかには、かつて子どもの頃BCでプレーする井野口の姿を見て育った人も増えてきた。「小学生の時に、僕の応援に来てくれてたってヤツと今一緒にやってるんですよ」と嬉しそうに話す。そんな会話からも”続ける理由”が読み取れる。
自由を体現する自分の背中を、子ども達が見ている
そんな井野口にも、「野球より大切」な存在がいる。8歳の長男と、5歳の長女、2人の子どもの存在だ。
「野球を続けていて、基本的には本当に楽しい。けど、ちょっとイヤだなと思うのは夏休みに子どもたちと出かけられないことですかね(笑)」
子どもたちのことを話す井野口は、心なしか表情が一段と柔らかくなる。「いろんなところに子どもたちと行きたい」。井野口の子煩悩さがうかがえる言葉が次々と出てくるのが印象的だった。つい、子どもたちにも野球をやってほしいのかと問う。うーん、と一呼吸おいたあと、「自由に、ですかね」と切り出した。
「僕がこの年齢まで自由に野球をしている。だから子どもたちにも自由に生きてほしいんです。僕が彼らに野球をやってほしいという気持ちはあまりなくて、子ども達が『野球をやりたい』と言ってくれたらもちろん全力で応援します。ほかのスポーツでもいいし、勉強でも文化系のことでもいい。とにかく自由に、自分で決められる子に育ってほしいんです」
実験は、いつ終わるかわからない。
39歳になった井野口。言葉を選ばずに言うなら、すでに上の舞台へのチャレンジは難しい年齢だ。ともすれば、引退の二文字もくっきりと見えてくるころ。それでもここ、独立リーグでプレーを続ける理由は「今しか見ていないから」なのだという。
「30歳を過ぎたころ、球団からは『こちらからは何も言わないから、終わりは自分で決めてくれ』と言ってもらいました。ありがたい反面、他責で野球を辞めることができなくなった。でも、まだ僕は野球が楽しい。だから続けている」
来年40歳になりますが、と問うた筆者にも「あんまり考えてなくて」とひとこと。
「何歳だから引退しなくちゃとか、引退したら野球において何がしたいとか、全然考えてない。その時々が楽しいんです。例えば僕はバッティングが一番好きで、『フォームをこう変えたら何が変わるんだろう』『もっとこうしたら飛ぶかもしれない』って考えながら日々野球をしています。これはもう、自分を利用した終わらない実験なんです。それが楽しくて、いつの間にか40歳目前になってたし、その実験がいつ終わるのかは、僕にもわからないんです」
かつて名コーチと言われた東映フライヤーズの飯島滋弥打撃コーチが、大杉勝男選手に授けたアドバイス。日本プロ野球史上に残る名言として知られている。
「月に向かって打て」
井野口の代名詞である大きなフォームから繰り出されるムーンショットは、今もなお健在だ。その時を、今を大切に、全力でその野球人生を翔けていく井野口の活躍を、いつまでも見ていたいと思うのはファンのエゴなのだろうか。