小学生の時からファッションが好きだった。
だから、大学生になっても、可愛くなることを捨てたくなかったし、おしゃれもしたかった。
みんなはジャージで大学に行くけど、私は毎日おしゃれをして大学に行った。
当然、陸上選手として強くもなりたいし、速くもなりたい。
陸上選手として人から見られてるからこそ、綺麗にすることは別に悪くないなって思った。
おしゃれをすることで、自分らしさを保っていた。
だけど、ルールはある。
決められたルールの中で、大学生としてメイクやファッションを楽しみ、自分がやると決めた陸上も負けずに戦いたかった。
だから、絶対に陸上で結果を残したかった。
福内櫻子さんは、関東大学陸上選手権5000メートル3連覇、10000mで2連覇、全日本大学駅伝準優勝という結果を残し、ユニバーシアード日本代表にも選出された。
陸上は「好き」というより「得意」だった
保育園の頃から足が速かった福内さんは、中学生の時に陸上を始めた。
誰よりも負けず嫌いで、とにかく自分に負けることが大嫌いな性格。
そんな自分の性格と相性の良い陸上に夢中になった。
「陸上の勝ち負けはどの競技よりもシンプルで、自分次第でタイムも速くなるんですよ」
陸上をはじめたきっかけは?そう問うと、「好きというより、走るのが得意だった」と福内さん。練習をすればするほどタイムが伸び、高校では1年生からインターハイに出場。800mでは3年連続インターハイ出場を果たした。
「もう勝てない」と思った自分にショックを受けた
「可愛くて、強くて、速くて、美しい選手になりたい」
その一心で走り続けた大学時代。「自信はあった」と話すように、それを裏付ける実績もあった。しかし、ヨーロッパ遠征で世界の厳しさを痛感する。
「骨盤の位置の高さも、脚の長さも全然違ったので、『本当に同い年?』と思う選手ばかりでした。そんな選手たちを目の当たりにして、走る前から『これはもう勝てない』って思ってしまった自分自身に対してショックを受けました」
これまでも、周りには速いタイムを持つ選手がたくさんいた。それでも、諦めず、絶えず上を目指し続けた福内さんにとって、自分自身の弱さが露わになったあの瞬間は、「勿体なかった」と当時を振り返る。
「今だから言えます!骨格とか関係なく、ビビらず自分を信じて戦え!って思いますね!笑」
陸上に携わる人たちからの言葉
大学を卒業した後も、実業団チームからの誘いはあり、十分に陸上を続けることは可能だったが、福内さんは競技生活に区切りをつけた。
その後、スポーツメーカーに入社した福内さんは、当時流行したばかりのインスタグラムを通じて、世界中のアスリートのライフスタイルを見た。
「陸上選手をやりながらモデルをしている人がすごく多くてびっくりしました。みんな可愛くて、とにかくおしゃれ」
その光景は、福内さんにとってまさに理想のアスリート像。黒髪でメイクもあまり施さない日本人選手とのギャップには悔しさを感じていた。
当時の日本のスポーツ業界、特に育成年代において、福内さんのような「個性」が受け入れられることは難しかった。しかし、陸上を辞めた時に、周りの人や元陸上選手からも「櫻子ちゃんは中高生の憧れだから辞めないでほしかった」と言われたことは、本人にとっても意外だった。
「陸上に関わる方たちに『可愛くて速くなりたいっていう選手が本当にいないから、そういう意味でも辞めずに活躍してほしかった』って言われた時に、『私がこれをやらないといけないんだ』って強く思って、表の舞台に立ちました」
表の舞台に立ち続け、裏方としてもアスリートを支える
現在、福内さんはモデルやランニングコーチとして、自身がアイコンとなり活動をしている。今後について尋ねると、「これからも表に出る仕事をやっていきたいです」と福内さん。「だけど」と言葉を継ぐ。
「裏方として女性アスリートのサポートをもっとしたいです。SNSの発信で悩んでいるアスリートはたくさんいます。アスリートとして、今の時代はファンを獲得することがとても重要で、その意味でも自己プロデュースが必要です。でも『悔しい』と感じることもあります。男性がNBA選手やサッカー選手のようなかっこいい男性アスリートのファッションや髪型を真似する一方で、女性は女性アスリートを真似しないんです。女性ならではの難しさもありますけど、彼女たちが輝けるようなサポートを提供したいと考えています」