それはまだ夏の暑いときでした。
「ガク、12月に引退試合やるから日本へ帰ってきてくれない?」
電話を受けたその少しまえ、ぼくの働いているカナダのクラブへとつぜん訪れ、関わるひとすべてを魅了して帰ったレジェンドからの電話に驚くばかりでした。
中村憲剛の名前は太平洋を渡り、あまりにも大風呂敷をひろげすぎな「PACIFIC FC」と名乗るプロクラブにもしっかり刻み込まれています。いまやスカウトは本気で日本人選手を探し、サポーターは事あるごとに「ケンゴはカナダで現役復帰しないのかな」と話します。それがどれだけ本気かは、PACIFIC FCの本拠地に掲げられている日の丸が説明をしています。
「ガク、12月に引退試合やるから日本へ帰ってきてくれない?」
即答しました、行きますと。
今回は、おそらく日本サッカーの歴史のなかでも最もカオスであった「NKF – 中村憲剛引退試合」の企画について記載していきます。なお、引退試合スタッフの構成上、今後も多くの関係者がそれぞれのプラットフォームで事象を触れていくと思いますので、あくまでわたしが携わった箇所に関して、わたしの目線で記してまいります。
▽企画① 「けんござんまい党」の誕生
8月、ビクトリアがまだ夏の太陽に照らされていたころ、僕のNKFがはじまりました。今回の引退試合を総合プロデュースしているあまのさん(天野春果さん – 前職のボス)より全体の構成が展開されます。そこには超豪華な選手たちに声をかけていること、前代未聞である “引退試合の前夜祭” を開催したいこと、すしざんまいさんとのタイアップが決まりそうなことを矢継ぎ早に説明され「まっ、俺は全体を見なきゃいけないから企画のところはよろしくな!んじゃ!」と通話がきられました。プレースタイルが令和のソレではなさすぎて超笑ったあと、絶対にギャラを高くしてもらおうと心にきめました。
後日、彼からもらった話をビーチで整理しているときにシンプルな疑問が頭に思い浮かびます。
「ってことは等々力にいかないと憲剛さんをみることができなくない?」
この業界で気がつくと7シーズン目を迎え、いろいろあって現在カナダのサッカークラブで働いていますが、いつだってこの競技のいちばん尊く面白いところは「街との関係がある」ことだと思っています。それは ”サッカー” でも “フットボール” でも同じで、ローカルと密に歩むことのできないクラブに私的な魅力はありません。そしてなによりボスであるあまのさんと憲剛さんはそれをずっとやってきた先駆者で、だからこそふたりとも愛されているのだと解釈している自分がいました。そしてそのふたりをもってしてでも、街で企画を行うことに対して頭がまわらないくらいにデカい規模を仕込んでいることをなんとなく察しました。
「ほんじゃ引退試合の1週間前から毎日川崎の主要駅に憲剛さんといけばいいか」
解決案が爆誕しました。
そもそもあまのさんから企画を投げられたときはNGなし。どんだけ企画に無理があろうが「ガクがやれるって思うなら勝手にやって」と聖母対応(よくいえば)をもらいます。そうこうしていると、なんとなくアイデアがふわっと決まってくる時間になります。
なぜ令和の選挙は面白いのか
好きですか?選挙。
かつてつんく♂は外食をキーワードに選挙にいくことの楽しさを表現していたわけですけど、昨今のそれとは少しテンションが異なります。
いまや日本の選挙は「目立つにはなにをすればいいか」をハックした人間が自分の承認欲求を満たすため、そしてなんらかのビジネスに繋げるために「マジの本番でふざける」ことをしています。彼らには特に街への愛情なんてなく、ただ話題をつくることができればそれでいいと思っているわけですよね。そりゃ炎上します。
ただ、そんな情勢のなかでも本当に面白いなぁと思うのは、これだけ技術が発達してひとにモノを届ける手段が増えた現在でも「駅前で大声を出すこと」が最も話題をつくることができるってところです。
「ってことは憲剛さんが川崎市長選に出馬すればいいのか」
これです。これでした。
昨今の迷惑系選挙erとは異なり、憲剛さんには街と生きてきた歴史、そしてビッグな愛情があります。正直日本全体を探してみてもこれだけ美しい関係を築けているのは、大泉洋と北海道、Awichと沖縄、シカと奈良公園くらいで、それをサッカー選手がやってしまっているところに尊敬の念を抱かざるを得ません。ぼくはいつも憲剛さん関係の企画があるときは直接連絡して意図を説明しているので、早速憲剛さんに電話しようと川崎市長選のスケジュールを確認しました。やってませんでした。お疲れさまでした。
異物つくりたい癖
そんなこんなで「選挙やってたら即出馬スペシャル」が無事即引退スペシャルを迎え、若干の組み替えをすることになりました。前職時代、タイイベントを行ったときに、トゥクトゥクを宣伝カーに改造してバニラっぽい音源とともに川崎の街中を走らせたことがあります。普通に総務に怒られたのでパロディ音源は知る人ぞ知るアレになってしまいましたが、街中に異物が走っていることで話題性が生まれることはなんとなく肌感としてありました。
このポストの最後にその音源がある
その肌感も味方してか、やっぱり「こういう異物を作りたい」「選挙をただしくパロディしたい」気持ちが強くなります。ということであまのさんに『選挙軸で事前プロモやりますね』とだけ伝えて「中村けんご 街宣カー」を制作する運びになりました。
株式会社グリーンオートさま
そんな流れでふと問い合わせメールから企画を説明し、たった2通のメールですべてを理解し、街宣カーの運転からなにまでをやっていただけたのが株式会社グリーンオートさんでした。正直はじめてご一緒したとは思えないほどノリがよく、こちらが作りたい雰囲気とトンマナをバチっとカタチにしてくださいました。この場を借りて御礼を申し上げます。みなさまも頻繁に街宣カーをカスタマイズしたくなることがあると思いますので、そんなときはぜひ株式会社グリーンオート、グリーンオートをよろしくお願いいたします。
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「武蔵小杉、封鎖できました。」
街宣カーのデザインも校了された11月の終わりごろ、そういえばなにも考えずに前だけをみて進めていた「中村けんご街頭演説」に暗雲が立ちこめます。
「そういえば引退試合の直前は忙しい」
そうです。『ほんじゃ引退試合の1週間前から毎日川崎の主要駅に憲剛さんといけばいいか』と思っていたのはまだ日差しがサンサンだったころのお話。当然直前になって色々なスケジュールが決まってくるとなると、毎日このプロモーションのために稼働することが難しいと気がつきます。冷静に考えて遅いですしあたりまえです。
ということで泣く泣く武蔵小杉駅前にある「こすぎコアパーク」で行う一度きりの演説を前々夜祭と称し、そこにすべてのパワーをぶつけることにしました。しかしここで新たな問題が発生します。前述の通りぼくは普段カナダに住んでいるので、このイベントを現地で調整することができません。街宣カーこそグリーンオートさんの奇跡のノリで制作できましたが、警察はそうはいきません。そこで彼が登場します。
紹介します。三浦タクマさんです。左にいるひとです。
前職の先輩であり、ぼくが以前に行っていたほぼすべての企画で隣にいてくれ、大変な調整をなぜかしれっと完結させるスーパー人間です。ぼくはほとんど絡んでいないのでこの記事では割愛しますが、あれだけの露出があったすしざんまいさん絡みの案件をほぼひとりでしれっと実施してました。普通に怖いです。なんなら表には一切出てない試合終了後の懇親会もほぼひとりですしざんまいさんとやってました。めっちゃ怖いです。
今回のイベントにあたって、企画チームはあまのさんを中心に週に一度のミーティングをして詳細を詰めていました。そんななかで11月末に三浦さんより「武蔵小杉駅前を規制しなければいけないかも」とアナウンスがあり、これは大変だなぁと思いながら過ごした1週間後、「武蔵小杉駅前、封鎖できました」と報告がなされました。いったいどうやってとか、色々聞きたいことはあるわけですがそういうことをローテンションで言ってくるひとです。湾岸署員のみなさん、今度レインボーブリッジを封鎖したくなったらメールください。三浦さんを紹介します。
応援演説とかいう大喜利
つくづく選挙の仕組みは「街で話題をつくるのに適しているなぁ」と思います。よく党の若手の応援に大御所がきたニュースを耳にしますが、もれなくそれはゲスト出演。しかもただの登壇ゲストではなく、その当事者に「愛を込めて応援する」ことを求められています。今回の企画を進めるにあたってネットの海に漂う何千もの選挙演説動画をみて「いままでの選挙はこの引退試合のためのフリだな」と思いました。それくらい憲剛さんと川崎との相性の良さを考えると選挙の座組がパロディ元としてよかったわけです。
ということで応援演説は娘さんお二人、小林悠さん、岡山一成さんにお願いすることにしました。今回のイベント周りでは憲剛さんがすべてのキャスティング窓口になっていたので「了解〜連絡しとく」と快諾くださり、一瞬でデッキが揃いました。娘さんおふたりは引退セレモニーで息子さんが手紙を読んだオマージュを、悠さんは現役選手アングル、岡山さんは地域とクラブの愛にまつわる話をそれぞれやっていただきたかった意図です。
AI×スポーツの可能性
いよいよ我々の生活にガッツリ絡んできている感のあるAI。そりゃ使いかたが定まりさえすれば便利に違いないってことで多くのひとが日々思考実験に時間を使っています。
例外なくぼくもなにかAIがスポーツに貢献できることはないかなと日頃思っていますが、この度ついにその最適解を見つけることができました。
全然ハネませんでした。
そもそも企画をハネさせてくれるAI、早めにだれか開発してください。
「中村けんごの妻です」
よく言いますよね、「〇〇の妻です。よろしくお願いします。」って謳い文句。あれを聞くたびに一体『ここで家族が登場すること』と選挙の結果にどう関係があるのか、考えてみてもあまりはっきりわかりませんが慣例としていまもそこにあります。
ということでカナさん(憲剛さんの奥さま)が忙しそうなときに早口でお伝えをしておいて、ぼくの帰国直後に音を収録させていただきました。一発テイクでさらっとこなしたカナさん、あらためてありがとうございました。前にもこの連載で記載したことがありますが、カナさんの雰囲気把握能力はハンパなく、企画を提案するとそれがどれだけ変なアウトプットだったとしても芯を理解してくださっていつも助けていただいています。また収録中にたまたま事務所にき(てしまっ)た息子さんにも参加いただき、これにて街頭演説に向けたすべてのピースが揃ったことになります。
ここまで4ヶ月かかりました。結果はみなさんご存知のとおりでした。
迎えた街頭演説当日、会場ではサポーター有志がなんかそれっぽいビラを配り、のぼりがたてられ、スタッフとみんなが談笑している、なんだか久しぶりの感覚になりました。三浦さんが封鎖した駅前道路にはひとが溢れるほど集まり、高尾さん(高尾真人 – 元前職スタッフでぼくをカナダに引き寄せてくれた恩人)が緊張しながら進行している会は、憲剛さんの人柄と応援演説者4名のおおきな愛、そして街のみなさんの熱気をもってして与党さながらの雰囲気が形成されていました。川崎から世界を変えよう!と歓声もあがってました。そんな光景をみながら、これまで憲剛さんがこの街でやってきたことの偉大さと唯一無二さ、そしてそれがもうこの国に現れない可能性をもふと考えていました。その日の武蔵小杉はやけに星が見えたことを思い出します。
▽企画② パウロが乱入した件
※この章は一部フィクションです
すでに5,000字を突破し、文末もエモい感じで締めくくられましたが、よく考えたらまだ引退試合が始まってすらいません。ここからはあまのさんが考えていた前夜祭に関して、ぼくが関わったところに関して書いていきます。ちょっと時を戻しましょう。
10月、ぼくのパソコンの画面にはあまのさん、そして田中パウロ淳一選手がいました。当日のけんござんまいイベントにて行うお宝抽選会のTOLO6にて番号を読みあげるスタッフをしていただけないかお願いをしていたのです。もちろんパウロさんは即諾くださり、これで当日のイベントがまたひとつ盛り上がるなぁと思っていたときにずっと気になっていることを聞いてみました。
「パウロさん、TikTokどこかで活かせないですかね?」
パウロさんのTikTokといえばどう考えても異質。明るいとか陽キャとかそういう次元ではなく普通に異質。それでもあれだけの量を考えて実行できるのはどう考えても異質です。異質界の異質であり、めちゃくちゃオイシイところにいるなぁと初対面ながらに思っていました。今回の引退試合ではユーザーの年齢層が比較的低いといわれるTikTokおよびその世代への訴求があまりなく、どちらかといえば前から応援してくれていたファンとレジェンドを取り巻くぼくよりもずっと世代がうえの方に刺さる企画ばかりだったと思うんです。それこそ街頭演説とかも。
ということでパウロさんには練習がはじまった18時半ごろ集合して、他の選手にはサプライズでなにか企画を考えて動画を撮りましょうねと約束。パウロさんからも「準備します!」との返答がありました。
13日(金)18:45
パウロさんがきません。少し前に「等々力への入りかたを間違えました」と電話がきてから連絡が取れなくなりました。
13日(金)18:55
パウロさんがまだきません。等々力への入り方を間違えるってそもそもどういう状況なのって思いましたが、もう少し待ってみることにしました。
13日(金)19:00
パウロさんがまだきません。公開練習も半分を折り返し、現場スタッフは次の交流会に向けた準備でバタバタしはじめています。正直もうぼくにはここからなにかを考える時間がないので、すべてを用意して、着替えて、到着後すぐに動画を撮影できる状態で彼がくることを祈るしかありませんでした。
13日(金)19:10
パウロさんがきました。オリヒカのスーツにドレッドヘアで登場しました。めっちゃしっかりした格好でした。無線では何度も交流会の準備に関する連絡が入り、その時間のなさからスタッフはみな緊張状態にいます。とてもじゃないけどふざけたことを言える雰囲気ではありませんでした。とりあえず一息つくために、パウロさんを置いてトイレにいくことにしました。
13日(金)19:15
パウロさんが乱入していました。「憲剛愛してる」としきりに叫びながら幼稚園児の格好をしたパウロさんがピッチを横切り、ファンは悲鳴をあげています。メインスタンドから急いで飛んできたスタッフに取り押さえられたあと「なんで俺(公開練習に)でられへんねん」と叫びながら街宣カーに乗ってスピーチして帰っていきました。インフルエンザのときにみる夢かと思いました。
その後パウロさんの動画は異様なハネかたをみせ、Yahoo!ニュースにも掲載され、幼稚園児のメイクが残ったまま交流会の前説に参加していました。ルールがなさすぎませんか。
それでもしっかりと結果で憲剛さんに貢献したパウロさん、さすがでした。もしかしたら時に風当たりが厳しいかもしれませんが、唯一無二な存在としてこれからも突っ走っていただきたいです。
▽企画③ ブルー・カーペットは突然に
「ガク、もうこれ任せたいから頼むね、よろしく」
12月3日、引退試合開催が10日後に迫った日に恋さん(恋塚唯 – あまのさんの会社の共同ボス、元プロモ)からオンライン会議で仕事が降ってきました。聞いてみるとハリウッドの映画祭のように、選手がスタジアム到着時にカーペットの上を歩く演出がやりたいとのことでした。しかし恋さんはそれまで選手の管理をほぼひとりで行っており、とてもじゃないけど手が回らないので巻き取ってねという趣旨。プレースタイルが令和のソレではなさすぎて超笑ったあと、絶対にギャラを追加で高くしてもらおうと心にきめました。というかスタッフ少なすぎじゃないですか。
演出としての画はすでに見えていたのでなんの問題もありませんでしたが、どう考えても大変だったのはそれを出場選手全員に事前周知して服装をキメてきてもらうことでした。さらに選手到着の時間を調整して、警備も追加して実際の運用を組むことをカナダから遠隔で行わなければならない。というかあと10日しかない。
そんなときに翼さんが現れます。前職時代の先輩で副務として従事されていた翼さんがすべてのスケジュールを図に起こし、選手への連絡を一本化するための公式LINEをつくり、指定のスケジュールにこられない特別対応選手をリスト化し共有してくれました。(すみません一回語彙力下げます)翼さんダイスキ!!!!!!!!!!!!!!!(戻します)そんな翼さんのプロすぎるファインプレーで選手へのアナウンスは無事完結、あとは当日なんのトラブルもないことを祈るばかりです。
「ここにいる金髪をみてください!」
トラブルしか起こりませんでした。
まず当日の仕込みが多すぎて、ブルーカーペット付近に音響を設置することを忘れていました。澤穂希さんが等々力に到着したころに思いだしました。
当日進行を行っていただいた高木聖佳さんに応急処置のトラメガを渡しテンパりがひと収まりした直後、なでしこフレンズを載せたバスがブルーカーペットのためにスタジアム入場導線の真ん中で停車したことで、スタジアムに到着したすべての車両が立ち往生しなければいけない事実が発覚します。エキシビジョンマッチ開始2時間前の忙しい時間帯です。思ったよりバスがデカすぎました。そしてそっと無線の電源を切りました。
そんなバタバタかつテンパっているなか、スタッフの指示に優しくしたがってくださったみなさんに本当に感謝しています。「物売るっていうレベルじゃねぇぞ!」的な怒号がとんでこなかったのはみなさんのご理解があってこそです。本当にありがとうございました。あと全選手にすしざんまいポーズをお願いしてた高尾さんの肝の据わりかたハンパないと思いました。
▽企画④ ショーン・メルヴィン緊急来日
さっきから「カナダに住んでる」と言ってますが、なにをしているかといえば「カナダプレミアリーグ・パシフィックFC」でブランドの仕事をしています。業務内容的には日本でやっていたことと大きくは変わりません。憲剛さんがS級の研修に帯同していたクラブですね。
研修の2週間で憲剛さんはクラブのすべてにハマり、アンバサダー契約を締結して帰国したわけですが、物語は意外な形でつづくことになります。
11月のとある練習日、チームのゴールキーパーであるショーンメルヴィンと憲剛さんの引退試合の話になりました。たしか日本に旅行に行きたいんだよね、みたいな会話からの流れだった気がします。
「So I’d love to come there if we can get tickets later」
(チケット取れたら観に行きたいなぁ)
もし本当にショーンが憲剛さんの試合を観にきてくれるならば、日本のスタジアムの雰囲気と憲剛さんがどれだけ人を巻き込むことができる人物かを見せることができると思いました。早速憲剛さんに電話して、ショーンがもしかしたらきてくれるかもしれない旨を伝えます。
「せっかく来るなら試合でてくれないかな、ショーン」
とんでもないこと言ってるなと思いました。まさか主役もこのタイプでした。エキシビジョンマッチでなでしこフレンズと対戦するケンゴフレンズのキーパーが不在であり、ちょうど探していたとのことです。ダメ元でショーンに伝えなければいけません。
「 Wow, sound good! 」
(ワオ、いいね!)
こっちもこのタイプでした。西海岸ボーイでした。
そんなこんなで気がつくと颯爽と来日し、ブルーカーペットでファンとハイタッチしているショーンの姿が目の前にありました。みなさんの歓声とカナダ国旗を掲げてくれたこと、本当に嬉しかったみたいです。「やっぱ日本って寿司がどこにでもあるんだね」って言ってましたけど、もう説明するのめんどくさすぎてそういうことにしておきました。
▽企画⑤ 試合後のアレ
みんなで悩んでいました。「この会って一体どうやって締まるんだっけ?」と。
正しくは悩んでいたというよりそもそもそこまで考えることができていなかっただけですが、雷太さん(佐藤雷太 – 演出周りを全部整えてくれるスーパーなひと)との打ち合わせでここを詰めないといけないことが発覚します。
翌週、あまのさんから今回実施したアイデアの大枠が記載されたプロットが展開されました。そこにはすでに「アガリを飲んで、アスリート憲剛、上りです!」とのメインワードが入っており、やっぱりすげぇと思いました。そんなの思いつきません普通に。
問題はそのワードをどうやって憲剛さんに言ってもらうかでした。いわばその言葉から逆算した展開で面白いのはなんなんだろうと。
ということで少し揉んだ演出案では
誰かが自転車で寿司を配達してくる
↓
その後に誰かがお茶(アガリ)をもってくる
↓
ビジョンに文字がでてドドン!と太鼓が鳴る
こんな構成になっていました。
憲剛さんに見せるミーティングのときに、どうせならぼくが個人的に全く絡んだことのない選手にしようと仮で家長アキさんの名前を記載したところ、憲剛さんがそれを確定と認識し、電話をしてくれ、無事出演が決まりました。GTAでチートコードを使った気分でした。
さらに後日、谷口彰悟さんが来場されるかもと噂がたち、なんの許可もオファーもなく彰悟さんがアガリを持ってくる役になったことが全員の共通認識になりました。全体的に話が早すぎます。
さらにはひろきさん(鈴木ひろきさん – 前職の先輩、営業担当なのにプロモよりいい意味でイカれてる)がBGMは「スシ食いねェ!」でいきますかと発言し、雷太さんチームが詳細をまとめて気がつけば終わっていました。ピッチ上に本物のドラを用意してたらよかったなぁといまこれを書いていて思います。
こうして文字通りワンチームで行われた引退試合(これでも全然一部だけ)は幕を閉じたのでありました。もしかしたら今後、おなじ事象を別スタッフの角度で語られる模様があるかもしれないので、それもたのしみですよね。
▽企画⑥ 「街とスターとサポーター」を再解釈する
※たしろ個人の見解であり、運営団体および憲剛さん個人の発信でないことにご留意ください。
あらためて約2年ぶりに帰ってきた前職のホームスタジアムでいろんな方々にお声がけいただきました。みなさんもれなくぼくがロサンゼルスでほぼホームレスになっていたことを気にしてくださってたわけですが、憲剛さんをはじめとしたスタッフチーム、そしてなによりサポーターのみなさんにあの頃とおなじ温度感で受けいれてもらえたことが嬉しかったです。
例えば街頭演説での激励、前夜祭での選手の運搬、ブルーカーペットでの選手誘導、ショーンへのカナダ国旗、チャントの演出、それらすべては事前にコミュニケーションを密にとり、対等な立場で議論をして「憲剛さんのためにつくりあげた共作」でありました。
正直すべてにおいてそうです。ぼくはいまこうして発信する媒体があり、ウケるスベるの責任をもつ立場にいますが、それをととのえてくれる数多くのかたがいますし、まだまだ小僧のぼくの意見をいい感じに丸くしてくれるひともいます。関わった全員がいたからつくることができた光景でしたし、あまりにもプロの仕事をするかたがたくさんいました。
北米にいき実際に体験して、業務提携するドイツのクラブスタッフと会話をしても「ファンとクラブが膝を突き合わせておなじものをつくる」ことに敏感であり、それこそがフットボールなのだと感じています。もちろんそれはアングルをつけるなら癒着であり情報漏洩の可能性だってあります。それはロサンゼルスでもビクトリアでも同じでした。文句をいうひとも、過剰に予防線も張る人も、こんなに自由な西海岸にすらいるのです。ただそれを気にしすぎることなく実施した今回のイベントで、ピッチとスタンドがおなじ空気を共有できていたことこそが、なによりも価値のあることだったなと思うんです。
フットボールクラブの面白いところは「街とともに生きていること」以外にありません。だからこそ海外で実際に試して、体験して、説得力がある状態で日本で企画をしたかったので、今回サポーター(いわゆるコアサポーターだけではないですよ)のみなさんと近い距離で進められたことがよかったです。このスタンスが間違いでないことが確信に変わりました。
そしてなにより憲剛さん。
まだ出会って数年のぼくを記念すべき引退試合のスタッフに迎えいれていただいたこと、中村けんご候補の件にしても、キャスティングをお願いしても、許可をとらずに勝手に喋らせても、なにも言わずに前向きに付き合っていただきありがとうございました。ぼくは今後まだまだ色々やりたいことがありますが、この年齢で憲剛さんの姿勢と言動を間近でみることができて幸せです。
今後大きく変わることのないだろう根幹になっています。
アスリートとしての中村憲剛は終わりますが、いつか選挙にでるときはぜひご連絡ください。いっぱい街宣カー用意してピッカピカのエレクトリカルパレードみたいなやつやりましょうね。
ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。