
パシフィックFCが公に売りにだされました。衝撃です。朝の4時にビジネスダイレクターからメールが入り、画面に焦点があわないままザッと流し見して、嘘だと思い二度寝。朝起きてよく読んでみたところ売りにだされてました。
それだけでなく現オーナー(売りに出した側)がどこかのメディアへ売却の意図を話し、加えてスタジアムがある行政の批判を行っていました。あまりに仁義的でないその行動に憤慨した行政がいままでパシフィックFCに対して免除していた費用をプレスリリースで発表し、ビクトリア地域は無事炎上。あったかいです。
実はぼくの仕事にそこまで影響はなく、PRのトリシャが火の車(4WD)を運転している様子を横目にいつもどおり編集をしていると、2026年のユニフォームをオーナーが勝手にデザインして仮納品し、その最終確認稿が届いたことを知らされます。ブランドチームが半年以上前から話していて、すでに撮影プランとそれに付随するキャンペーンまで仕込みはじめているキットが “近々やめるオーナー” によって勝手にデザイン修正、納品、仮発注されていたことを知ったとき、心の膀胱が破裂して心の失禁をしました。海外すぎるだろと思いました。
ということでそのあがってきたデザインをなんとか肯定して、文脈が成立するプロモーションを考える半年がはじまりました。詳しくないけどAIがぜんぶ解決してくれないかなめんどくさいな。
Pacific FC ownership looking to sell the CPL club Read more… canadiansoccerdaily.com
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北米にいます。
北米にいますと、まぁいろんなこと(前述含む)が起こるわけなのですがそのなかでも特出して起こるのが “ホームスタジアム以外での主催試合開催” です。プロ野球球団が地方球場で試合を行い、タニマチと地域のコミュニケーションをいっぺんに行う手法は日本のスポーツ産業内で有名な話ではありますが、それを結構積極的に行うのがこの大陸です。フットボール的な観点では賛否巻き起こりそうなアイデアですがぼくは割と好きです。
9月13日、まだ窓をあけないと寝苦しいくらいの時期にパシフィックFCはクラブ創設ではじめてビクトリア・ダウンタウンでの試合を開催しました。場所はロイヤルアスレチックパーク。中心部から徒歩10分もかからない立地最高な “野球場” です。
街中の野球場とサッカーの歴史
いまさらながらこのクラブは「For The Isle」のコピーのもと、制作物とイベントに島に由来する意味を持たせています。このクラブの好きなところです。
ロイヤルアスレチックパークは現在セミプロの野球チームが本拠地としている野球場ですが、元々は多くのスポーツイベントを開催することのできる運動公園でした。もちろんそのなかにもサッカーが含まれていて、1950年代後半〜60年代前半にはフラム・トッテナム・ウルヴス・チェルシーなどの英強豪クラブがビクトリアに訪れて市選抜チームと試合をしたことも。ここには英国の植民地となっていた地域性が多分に関わっており、実に100年近い歴史があります。ブラジル・リオを本拠地とするCRヴァスコダガマはあの探検家ヴァスコダガマにちなんだ移民系サッカークラブが設立の由来だと考えると、北米にサッカーの歴史がないと断言するのはやや時期尚早かもしれません。またこの島の老舗少年サッカークラブの本拠地には簡易スタンドと小さなパブ・そして資料室が併設されていますが、これもイングランドの影響です。ヴィクトリア女王にちなんで、アフタヌーンティーFCなんて名前のクラブがあったならなんて最高なんだろうと思います。
さらに実はこのスタジアムは日本サッカーとも関わりがあります。2007年に行われたワールドユースでは調子乗り世代がビクトリアで試合をしています。ぼくが日本にいたときによくサウナに誘っていただいたアキさんがゴールマウスを守っていて、世界はそしがや温泉21の水風呂くらい狭いなと思いました。



ということでこのスタジアムにはいろんなエピソードがあったわけです。パシフィックFCにとってもダウンタウンでの開催は悲願であり、運営を担当するオペレーション部門以外はみなワクワクしていました。ブランド部門のアプローチはダウンタウンの街を巻き込むこと、ここにあるサッカー(フットボール)の歴史を伝えること、そしてその歴史とパシフィックFCの選手の関係を伝えることでした。
ローンチ映像。
島出身の選手が地元を探索する様子を映像にまとめ、リーグとダウンタウンの広報チームと協力して露出した動画。
キャプテン・監督のインタビュー
制作した映像らはクラブ基準でいえばなんの変哲もないものでしたが、これをスタンダードにして訴求し続けることに大きな意味があると信じています。今回のイベントを通じて最も印象的だったことはクラブの歴史をなぞる施策では島出身の選手が最大のスポークスマンになることでした。
相当な力量がない限り、イチ制作スタッフが3徹で寝ずに考えたキャッチコピーですら薄寒くなるこの業界において選手が実際に語った言葉を基準になにかを作っていくことが正攻法だと思っています。
私はここで初めて男子の試合をしました。このスタジアムは古い物語でいっぱいです。1986年のワールドカップの選手、なかでも島出身のジョージ・パコス、イアン・ブリッジ、ジェイミー・ローリーのような選手は、私のような選手のための道を開いてくれました。
ぼくが車を盗まれたときにもジェントルだったキャプテン・ジョシュは上記のようにインタビューで語っていましたが、まさに彼の思い出が街の歴史に重なり、彼自身がその未来をつくる存在になりました。これは彼しかできないことであり、おおよそのサッカークラブにとって彼のようなレジェンドをホームタウンからつくることと、そのレジェンドに説得感を持たせる施策を行うことが大切だなと思います。ちなみにジェイミー・ローリーはいくつか前の連載でも紹介した島出身のW杯出場選手で、アマチュアながらプラティニのマンマークをしたおじさんです。
マーケティング起点の選手獲得
ちょっと違う角度の話をします。今回この歴史的な試合で18名の登録メンバー中、7名が島出身の選手であり監督もそれでした。特にホームグロウン制がないCPLにおいてこれはあまりにもクラブカラーであります。戦力的なハードルを超えていることはもちろんですが、彼らを獲得した理由が「島出身だから」であることはかなり興味深いことです。
たとえば、ローカルビジネスにスポンサーを持っていくとき、少年サッカーチームに選手訪問にいくとき、彼らはその地域のひとびとにとって最も身近なローカルスターです。もう少し噛み砕くと知り合いのすごいひとです。クラブの戦略はあえてその存在をつくることにあります。その前提を強化部とブランド部門で共有しているからこそ今シーズンの2ndキットローンチでしたし、意図的に彼らをスターに魅せる努力をしています。
LAFCと移民
これを最も大きなスケールかつ地域性を含んだ角度で行なっているのがLAFCです。彼らは設立まもなくカルロス・ベラを獲得し、ホームタウンにおけるラテン・ヒスパニック移民層をゴッソリ取りにいきました。実際にLAFCのゴール裏のチャントは半分がスペイン語であり、クラブの募集要項にも英語・スペイン語のバイリンガルが求められています。非常に北米っぽいなと感想を持つと同時に、本気で地域を取りにいく姿勢が感じられます。
さらに今シーズンにはソンフンミンを獲得し、市内で、またスタジアム内で存在感のある韓国系コミュニティとのコミュニケーションを強化しました。ソンフンミンが入団会見で韓国系コミュニティの存在について述べたことがまさにLAFCの地域攻略だったと思います。
つまり逆算的であると言えます。とある欧州や南米以外ではほとんどの場合のフットボールクラブは街に対して後発的であり「どうすれば浸透できるか」を考えつづけるゲームなはずです。ビジネスサイドと1stチームの認識齟齬を言い訳にすればいくらでも停滞できるこのゲームに対して、ぼくが日本を離れてから携わった2クラブが必死なのは自分のスタンスをつくるには十分でした。
サッカークラブが野球場で試合を開催すべき理由はありません。が、地域とクラブの歴史を具体的にみていくと小さな陸上競技場につながったりすることがよくあります。この大変便利な時代、下品を承知で横にひろく名前を広げることは簡単になりましたが、縦に深みのあるものをつくるには意志と胆力が必要です。そんな高い志をもつサウジアラビア人のみなさま、ぜひパシフィックFCの買収をお願いいたします。DMください。
PROFILE
田代 楽(Gaku Tashiro)
