
そういえば日本を離れて丸々2年が経ちました。成田空港の第一ターミナルで恋人と離れ、手紙を機内で読み嗚咽した、あれから2年。ときの流れとは常に読めないものでして、当時の恋人は妻になり高架下なみのデシベルで歯軋りをしながら隣で爆睡しています。全盛期の南武線くらいうるさい。でもそんなことはどうでもいいくらい自分の思惑ではなかったであろう決断をしてビクトリアの地にきてくれた妻に感謝をしています。たまにこのまま歯軋りが続いて彼女の奥歯がなくなったならぼくは快眠できるのではないかと想像して期待に胸を膨らませますが、それ叶うには40年くらいかかるでしょう。
生まれ育った東京で過ごす2年間と外国で過ごす2年間はその生活の濃さも困難さもなにもかもが異なるわけなのですが、ちょっと慣れてきた面もあります。あのときやたらビビり散らかしていた大柄の外国人もいまや「Yo what’s up bro」ですし、ちょっと天気がよかったりしたらテイクアウトで飲み物を頼んで「いい帽子だね」なんて店員さんと小粋なスモールトークをして低音にあわせて腰を振り熱帯雨林に生息する毒のある昆虫みたいな彩度のグミを嬉々と食す。2年とはそういう月日です。
4月8日(火)18:00 Starlight Stadium
目の前にぼくよりも少しだけ背が高い黒人が大きなリュックを背負って立っていました。「Yo what’s up bro」とハグをしたその男はアンダース。サッカーカナダ代表の映像を司っている人物です。
話は少し戻って3月下旬、以前の連載でも書いたバンクーバーFCのフォトグラファーからの縁でぼくたちは知り合うことになります。彼と話をしているうちに「カナダ代表の映像クルーに正式に参加できる権利」が舞い降りてきました。それはやばいと思いました。早速パシフィックFCのボスに話をすると『それはやばい』(的なる英語)と快諾。特になんのしがらみもなく参加することが決まりました。この話の早さがとても好きです。
代表チームのスタッフはなにをしているのか問題
気になりますよね、これ。
ぼくは映像チームとして今回の試合に帯同したわけなのですが、もちろん試合の運営を司るスタッフ、ソーシャルメディアを担当しているスタッフ、スポンサー企業とコミュニケーションをとるスタッフなど、さまざまなタスクをそれぞれ配置でこなしています。そのなかでも全員に共通していたのは「ちょっと浮ついている」ことでした。なんていうんでしょう、なんかみんながそれぞれヘラヘラしているんですよね。
ぶっちゃけこんなことは2年前からずっとわかっていましたが、この地域(北米)のクラブスタッフはもれなく日本の企業なら上司に即嫌われる態度で業務を遂行しています。サングラスをかけ、ポケットに手を突っ込み、やたらデカい炭酸飲料を飲みながら、ガハガハ笑う。多分それはサッカークラブにおけるファンとのコミュニケーションが接客ではないと定義しているゆえだと思うのですが、それにしても北米式です。実際にビジネスサイドのスタッフはピッチ上で選手が練習しているにもかかわらず、己のソーシャルメディア用の写真を撮っていました。時にベロを出しながら。
自由。まさに自由。犬井ヒロシ。
映像とフットボール
試合開始前のアンダースについていくと、中継車にケーブルを繋ぎ映像の録画、各所へGoProの設置、スタビライザーを取りだしてファンの様子を撮影していました。
後述しますが、これらの素材はソーシャルメディアに細切れのコンテンツとして掲載されるだけでなく、チーム全体の方向性を示すドキュメンタリーの構成要素として記録されています。西海岸太陽燦々サッカークラブことパシフィックFCで行っている露出設計とそこまで大きく変わらないものの、単純に使っている機材の数が数倍あり、ということはそれにかかる編集の時間も数倍かかる。これは試合の間隔が担保されている代表ならではだなと感じました。
しかもこれをアンダースひとりで行っている。だから今回ぼくが入り込めたわけなのではありますが、それにしたって大変なことです。話をきくと基本的に2名の映像スタッフで男女の試合を網羅しているらしいのです。よっぽどこの2名にセンスがあるのだなと感じた理由は下記のとおりです。
角度をつけることに臆しない、とは
この島で働きはじめてからというもの、そういえば映像・コンテンツ・写真的なるワードはぼくの生活の近くにあります。それはぼくが唯一といっていいほどこの世界で勝負できるかもしれないと感じたジャンルであり、外国人である不利が露呈しがちなリアルタイムのコミュニケーションがそこまで重要でない役割だからです。それは機材からなる質の高さや経験が伴う編集の力長であるのですが、それ以上に評価されている要素が角度(アングル)です。
ようするに自分たちをどう魅せたいのか、どう見てほしいのかを制作物を通して感じてもらう一貫性(コンセプト)のことをずっと考えていて、それを面白がってくれているわけです。実際にやった例を持ち出すと、昨年行われたホワイトキャップスとの大一番では「このクラブにとって本土の強豪との試合はどういう意味なのか」を伝えるべく角度をつけられる人選で短いインタビューを複数だしました。数年前から世界的に流行っているチームの裏側を撮影したものをそのまま出す “受動的の映像” ではなく、言葉に意味があり、歴史であり伏線であるような、ピッチ上の事象に補助線を引くことのできる “能動的な映像” が必要なんだとJMMAが好きなぼくは思っています。
上記の記事には2段落前に記載されていることが詳細に載っているわけですが、もれなくこのスタンスそのものをカナダ代表チームに受けいれてもらえたことがこんな縁に繋がったようで、光栄なことだなと思いました。
TikTokが普及しなかったら
こんなにもコアラの赤ちゃんが体重測定をしている映像を見た人生だったのでしょうか。知らんアイドルの知らん楽曲をこんなに浴びた人生だったのでしょうか。
だれもが「いまこの時間、どう考えてももったいない」と思いながら、指を下から上にスクロールしている時代です。そこに流れてくる1080×1920の動画は閲覧数の大きさに相関してアルゴリズムをハックしたような構成をしており、やれ最初の数フレームでインパクトを与えましょうとか、離脱を防ぐために過激なことをしましょうなんて意図があるわけです。
つまりぼくらが日常で見るコンテンツの多くは「オチ」ばかりになったと思うんです。ドラマでいえばラスト2話、映画でいえばラスト15分、漫才でいえばラスト20秒、前段があるからこそ盛りあがるなんてお作法は現世で最もひとを集めることのできるプラットフォームでは求められておらず、そのわずか15秒で満足感を得られないと価値がないとされています。ようするにじっくり時間をかけて「フリ」を作ることにリソースをかけるなんてもったいないみたいな風潮を肌で感じることが増えました。多くの人に見られることが価値があるとの評価は広告的に正解だとして、主観的に価値があるものが多くのひとに見られているとは思いません。つまり実際にお金を出してクリエイターを雇う側に「数以外の価値で自らを評価できるか」が如実に問われているゲキ怖時代が来ているといえます。肌感です。
今回、アンダースの隣で仕事をしていてなんとも勉強になったなぁと思ったのは、彼が “フリ” に時間をかけていることでした。たとえばビクトリアで行われた試合のゲームキャプテンは初めてマークを巻いた4番のZadorsky選手だったわけですが、我々は彼女の素材を可能な限りいろいろ場所から捉えつづけました。上記の映像にあるように多角的な面からチームの状況を伝えることに必死です。そもそもの映像のクオリティが高いことがなによりも心地よいのですが、この映像を通して “なにを伝えるか” に必要以上のアンテナを張り巡らしているのだなと感じました。この映像でのオチは特になく、カナダサッカーがもつ長期的な物語のフリとして機能しているに過ぎません。最後のクレジットで煌びやかに浮かびあがる「GAKU TASHIRO」の白文字ですらぼくのキャリアのフリでしかなく、次は熱帯雨林に生息する毒のある昆虫みたいな彩度のグミの色で記載してもらおうと心に誓いました。2年とはそういう月日です。
収穫するなら種を撒け的な話
こう書いていて、なぜか接続してきたのが前職の上司および先輩の言葉だったりします。ぼくがいたクラブの環境は国内でも相手がほとんどいないような競技的な強さで、創設からの歴史をみても完全なる全盛期でした。それでも地域と連携した施策やクラブカラーがよく出た企画において新しいものを仕込みつづけ、まだ見ぬものを開拓していることに厳しかったことを覚えています。この仕事を農業に喩えたがるひとが多かったのはいまだになぜかわかりませんが、とにかく「ここで楽して(過去の積み上げを)収穫したら数年以内に俺らは終わる」という雰囲気があったことは事実です。一方その話をされた当時のぼくは、白いマスコットと共に麻生区の畑で蕪を収穫する企画の真っ只中で比喩と現実のハザマで酸欠になっていました。
映像制作の話にもつながりますが、オチであり収穫であるものにはもれなく収入がついてきます。それが広告収入なのか、切符によるものなのかはわかりませんが、短略的な収入と結果をみればみるほど刈り取りが進む。わかりやすいものにお金がつくって発想でこの流れは多分大きく変わらないはずです。どのスポーツビジネスに関する書籍を読んでも刈り取りの話ばかりでその種まきについては書いていないことが多く、そもそもそこに何十年とあった土壌とか、受け継がれてきた歴史をマネタイズしている例がほとんどです。ファン以上に内部人材の流動性が高かったりすると、こういう施策が乱立するのも道理が通ります。短略的には結果がでない歴史をつくる事柄より目の前の昇給と考えれば不思議なことではないはずです。ましてや転職社会だし。
だからこそ、いまクラブでぼくのチームが取り組んでいることと、カナダ代表の映像チームが大切にしていることがリンクして個人的に心地よかったわけです。よく頭を使えばフリにだってお金はつけられる世の中じゃないですか。サッカークラブなんてものは興行として技術を売るよりも地域と物語をつくっている時間と関係性に価値があると思うんです。それはいつだって思った通りにいかないからこそ生み出せる物語であります。だから興行軸で他アリーナスポーツと比べられて不条理に落ち込む必要なんてなくて、自分たちはなにが面白いのかを足元から探して発信する、それに共感してくれるファンを少しずつ増やしていく。そして競技的に、興行的に成功したとき、一緒に泣いて喜べるひとをひとりでも増やす。そんな仕事なんだと再認識しました。世界的に発展途上とされるカナダ代表がこのスタンスなのであれば、数年後にどのようなファンがスタンドにいるか楽しみです。
アンダースにRAWデータを渡し、このあとの段取りの話をしてお別れのハグをしました。鼻の奥を香水の匂いがツンと刺激して、そういえばこの匂いを嗅ぐと外国に住んでいる感覚になっていたなと記憶が蘇ります。彼は「もしも次に西海岸で試合があると知ったとき、1番さいしょに思い出すのはガクだよ」となんともオシャレなセリフを言い残し、チームバスに乗り込んでいきました。
祭典は1年後。
「みなさんそれまで楽しみにお待ちください」と脳内のマスパンが語りかけるとともに、なんとも刺激的な1日が終わるのでした。
PROFILE
田代 楽(Gaku Tashiro)
