ひとは言う。
「世界は狭い」
本当だろうか。この街で車を持っていない僕はそう思わない。
なぜ車で10分のところが、バスとメトロを使うと50分もかかるのだろうか。
なぜUberは、10分の乗車だけで35ドルもするのだろうか。
なぜ人は、早く目的地につくことだけを目指しているんだろうか。
しかしこの国は広い。
4月17日 イサク
朝起きると携帯が電波を失っていた。と同時に朝から葉っぱでブリっている青年が叫ぶと同時に宿のWIFIが止まったことを知ると同時に隣のやつのいびきがうるさすぎて一夜中流していたYouTube「ニートと居候とたかさき」の再生に伴い契約した15GBのsimがすべて消費されたことを知ると同時に下のおじさんがおばさんになる身支度をしていた。
まだ朝8時である。
Booking.comのレビューでただ唯一WIFIの欄だけが相応の評価を受けていたこの家のWIFIがなくなることはすなわち閉業である。もう終わり。住んでもクソ家であった。
泣く泣く追加でsimを契約し、イサクに会う。
彼は先日LAFCのグッズショップを訪れた際に日本語で急に話しかけてきたナイスガイで、日本でサッカーをしたいらしい。あと日本の女の子はかわいいから好きらしい。
彼はナイジェリアとイギリスのルーツがあって、色々あってここにいるようだ。アメリカでもプレーをしているようだけど、日本でプレーすることがひとつの夢なんだと熱く語ってくれた。それにしてもなんで日本なの?と聞くと「だってイナズマイレブンもブルーロックも日本のサッカーじゃないか」と返してくれた。
頑張ってほしいと思った。
4月18日 繋がる
とにかく、企画をつくることしかやれることがない。
ということで、在ロサンゼルス日本大使館にアポ無しで来た。
受付の女性に話しかけると当然怪訝な顔でIDチェックを求められ、なぜか担当者を紹介してくれた。そこでこれからアメリカのサッカーチームに企画を投げ込むこと、日本の魅力紹介をするために尽力するから協力してほしいことを話して了承をいただいた。もうなんていいひとなんだろうか。
客観的にみても普通に変質者なんですが。
その後、知人経由で繋いでいただいた方に日本食料理屋をご紹介いただいて早速ご飯を食べに行った。某五輪選手も行きつけのお店のマスターは昔サッカーをやっていて、連絡先を交換した。
なんというか、人のありがたさが染みた1日だった。
4月19日 サポーターとして
ここにきて1週間が経った。長かった。本当に長かった。
引き続きこの家のWIFIは止まっている。理由は料金の払い忘れらしい。速攻でレビューを☆1にした。
ミッドウィークにもサッカーは開催されているので、Angel City FCの試合に向かう。
水曜日開催だけあって閑散としたスタジアムだったが、せっかくならばとサポーターシートを購入して純さんを応援しに行く。チケットを購入して3分後に純さんから怪我で今日は出場しない旨の連絡がくる。
Life goes onである。
スタジアムに着くとすでにキックオフ直前で、熱狂的な団体から少し離れたところで試合を観ているとひとりのアジアンアメリカンが近づいてきた。彼女は名前をエミリーといい、ひとりでリズムにノっていた日本人が珍しかったらしい。
エミリーの誘いで無事に応援団の仲間入りを果たした。そして応援団のインスタに手拍子ウキウキジャパニーズこと僕の写真が載っているので、時間がありあまっていたら探してみてほしい。
4月20日 記憶なし
なにをしていたのか、全く記憶にない。カメラロールにはなぜかこの写真だけ残っていた。
4月21日 ウォルターとの出会い
物語は大きく前に進む。
この日、鎌倉で出会ったアレックスに紹介してもらったウォルターに出会う。
彼は日本のルーツを持つ日系人で和太鼓の演奏とインストラクターをしている。なんとLAFCの太鼓も担当していて、スタジアムに和太鼓を持っていくこともあるらしい。なにそれウォルター、かっこよすぎないか。
そしてこのウォルター、もうむちゃくちゃに優しいのである。私の渡米目的を完璧に理解してくれて彼の持っているすべての情報をくれるナイスガイなのである。
彼とリトルトーキョーでお茶をした後、仲間を紹介してくれて少し周囲を探索した。
そこには全米日系人博物館があって、ここアメリカで日系人がどのようにコミュニティを形成したか、そして戦時中になにがあったのかが記録されているらしい。ちなみに韓国ルーツのアメリカ人は韓国語を話すことができるのに対し、多くの日系人は日本語を話すことができない。そこにも私たち日本で生まれ育った日本人が知り得ない歴史的背景があるのだ。
夜、ウォルターは妻のジェイミーを紹介してくれた。
そしてもれなくジェイミーも最高に優しい女性で本当にこのふたりのことが好きになった。
ちなみにウォルターは、Travis Japanのファンのなかで有名なおじさんらしい。そんなこともある。
4月22日 さらばクソ家。
歴史的な日である。そう、ついに家が決まったのだ。
サンタモニカからメトロで10分の立地に居を構えることにした。快晴の日だった。
入居し、ルームメイトに一通り挨拶をした後にパサデナ方面へ向かう。サッカーコミュニティ、Saturday Footballを見に2時間の小旅行である。途中シルバーレイクのフリーマーケットによって富士フィルムのデジタルカメラを買った。このカメラが随分と良くて、いままで白黒だった景色に色がついた気がした。
それにしてもこの街は平日と週末で随分と異なる印象を受ける。なんとなく耳にした海外では週末にしか娯楽がない。日本は娯楽が多すぎる。っていうのはあながち間違いではない感じがした。仕事終わりに飲み行くこともあまりないし、駅周辺に娯楽が集まっているわけでもない。日本にいたとき、仕事終わりに平日から出かけまくってたことの偉大さをシルバーレイクの強い日差しに照らされながらジリジリと感じるのであった。
4月23日 初タコス。
ベニスビーチでサッカーをしたあと、ウォルターに誘ってもらいタコスを食べに行く。
そこでウォルターの妹夫婦も紹介してもらい、タコスパーティが開かれた。日本にいたときは苦手だったパクチーも問題なく食べられるようになっていたんだから適応能力って凄まじい。あと、タコスを食べて感動するくらいに感性が豊かになっていることにも気がついた。
ウォルター曰く、外国人がこの国でスポーツの仕事を掴むのは超難儀らしい。そもそもこちらの大学を卒業したエリートの”アメリカ人”がドシドシ書類選考で落ちるらしい。むしろ書類選考で受かったらほぼ合格らしい。
しかも完全にタイミングとコネのゲームらしく、「明日連絡するね」は「数ヶ月以内に連絡するね」らしい。かといってしつこすぎるとそれはそれで嫌われるらしい。
OK、THE END