私は泣いていた。
人生にはふたつの道しかない。と誰かが言っていた気がするけれど、確かに空港で号泣する人生か、しない人生か。
そのふたつしかないと思うし、当事者しかわかりようのない経験が海を超えた道に連れて行ってくれることは確かだと思う。
4月の終わり。
友だちのカズキ・オカモトから「いまの生活の生々しさを記事にしたいんだ」とオファーをもらった。
そう、私はいま、信じられないほどに生々しい生活を送っている。生きている。すごく生きている。
この文章を読んでいるということは私の友達か、サッカーが好きか、タイトルに惹かれたか、いずれにせよ何らかの関心があってタップした先の文章だろう。
はじめましての方にも詳しく説明すると、僕はロサンゼルスにいる。
田代楽。
人生を楽しんでほしいと名付けてもらったこの名前を持って、皮肉にも楽でない道を進むことにした26歳の成人男性は大学卒業後、約5年間プロサッカークラブで働いた。
自分のルーツとは異なるそこで、僕は多くの尊敬する大人に出会い、緊張なんてありふれた単語では言い表せない感情を押し込んで、多くの人が目にする仕掛けを打った。
「順風満帆だね。」
その言葉に危機感を感じた。だから僕はいまここ、LAにいる。
4月12日 LAX
僕は泣いていた。もうそれはそれは泣いていた。
32度くらいの絶妙に寒いシャワーを浴びながら、なぜこんな思いをしなければならないのかと深い悲しみに包まれていた。
空港に降りたった僕を待っていたのは、空港まで迎えに来てくれる友だちでもなく、UberでもなくLinkedInの求人を知らせる通知だった。
「Angel City FC 地域貢献スタッフ募集」
まじかよ。なにを隠そう僕はLAのサッカークラブで企画の仕事をするために日本を離れたのだ。
神様はいるとかいないとかそんな問題じゃない。神様が目の前で両手をひろげて待っているじゃないかと思った。
急いで履歴書と職務経歴書を提出して、追い討ちをかけるべくAngel City FCの事務所をGoogleで検索した。
Uberで30分、近い。金額は60ドル、高い。高すぎる。
この信じられない物価高かつ円安の中なか、200万円の貯金しか持ってきていない無職の僕にその選択肢はなかった。
どのサイトをみても警戒を施されているバスとメトロに乗っていくことにした。
パンパンのスーツケースに綺麗めな服装。僕は絶好のカモである。
それから1時間後、スーツケースを持ったカモはまだ空港にいた。
バスがこないのである。
最寄りのメトロ駅までいくシャトルバスがいつまでたっても来ない。
しかも空港からちょっと離れている場所に停留所があるから電波もない。
まだSIMも契約してない情弱カモはクラブの所在地までの行き方を空港で完璧に覚えて向かう戦略をとっていたもんだから、まさかバスがこないなんてトラブルに対応できるわけがなかった。
「いったいバスはいつくるわけ?」
蛍光ベストを着た係員っぽい人に尋ねるひとに聞くと「俺はしらねぇ」と一蹴された。
じゃあ、お前は、なにを知っているんだ。、だいたい、1時間も一緒に隣にいるお前の仕事は、なんなんだ、と思ったけどそういう国だと思って諦めた。そんなことを考えていたらバスが来た。
ギュウギュウのバスにスーツケースを持って乗り込むと、早速マリファナの匂いがした。
マリオでいう残り100秒でBGMが早くなる”あの時間”と同じように、もはやそれは身の危険を感じさせるには十分だった。なぜかブチギレている運転手と、ビリビリの服をきている老人、そして大音量で聴いたことないHIPHOPを爆音で流している超デカい黒人をはじめとした乗客がメトロ駅に向かう。
10分たったくらいだろうか、突然直通のシャトルバスが止まり、ドアが開く。
「メトロ駅の手前で工事をしているからここまでね。」
蛍光ベストをきたアイツが「F**K!!!」と叫び、乗客は若干キレながら降りて歩いて行く。
いや、お前、普通に乗客だったんかい、と思ったけど、そういうファッションもあるかと思って僕も歩いた。
まだLAについて1時間半くらいしか経っていないのにこんな感じなのだから超疲れるのである。
とはいえ空港からメトロに乗って、危険といわれていたバスに乗り換え、クラブ事務所はすぐそこまで来た。
道中で起こったアレコレも、ある意味でいい思い出と切り替えて荷物をギュッと握りしめる。
LAXを出発してでて約2時間、ようやく電波のないGoogle Mapが示す建物に辿り着く。
そこにはひとりのおじさんが座っていて、若干の緊張を抑えて話しかける。
「たったいま日本から来て、どうにかしてここで働きたいと思っている。スタッフを紹介してくれない?」
『日本からきたの?やばいね。ちょっと待ってね。』
おじさんが建物の奥に誰かを呼びに行く。勝ったと思った。平本蓮がドミネーターの足関を切ったときよりも勝ったと思った。
ミルクボーイのネタ中に関心している松本人志が映ったときよりも、仕事でハンパなく疲れたその日に松屋がバターチキンカレーのフェアをはじめたときよりも勝ったと思った。
『ごめん、ここはオフィスじゃないんだわ。ただの荷物保管場所で俺はスタッフの誰とも繋がってないよ』
その時そのとき、LAの気温が東京よりも寒いことに気がついた。
そんなことにも気がつかないくらい気分が高揚していたんだと思う。
すでに夕方になった異国の地で、今夜の宿がないことにも気がつく。
冷えた身体ですら冷たく感じるシャワーを泣きながら浴びる。
Booking.comが無邪気におすすめしてきたLAで一番安いドミトリー(5,000円)は部屋でマリファナを楽しむことができて、部屋の隅を見つめて一晩中独り言をいっているやつがいる場所だった。
ただ、唯一2段ベッドの下に泊まっていたおばさんは優しくて、延長コードを僕に貸してくれた。
昨日寝る時は恋人と最後の日本を噛み締めていたのに、一夜にしてこれである。
しかも昨夜の宿よりこっちのほうが高い。
もう本当に、名前が愉快なやつも号泣するくらいやばい環境だったのだ。
4月13日 LAで1番安い黒人宿
意外にも熟睡して目が覚めると、下で寝ていたおばさんがおじさんになっていた。枕元に見覚えのある金髪のカツラと初めて見るデカいナイトブラみたいなものが置いてあった。
とにかく環境に落ち着く前にコネクションを掴みたく、LAFCのグッズショップに脚を運んだ。
信じられないほどフランクな店員に唆され、LAFCのウェアを買った代わりにマーケティングチームの連絡先を手に入れた。
メールかぁと思ったけど、何かに繋がればいいと思い帰宅。
ちなみにLAは今日も曇りだった。
4月14日 あからさまにクソな家。
起こりうるカオス(良発音:ケィオス)にも慣れてきた。
昨日の夜に買った3ドルのパンが盗まれていたけど、もうそんなこともどうでもいい。
ちなみにそのパンは寝る前に枕元に置いてあったはずだから普通に怖いけど別にどうでもいい。
実は今日と明日、Angel City FCのボランティアに登録している。
今日はLGBTQセンターでアッセンブリの手伝い、明日は道路を綺麗にする活動らしい。
とにかくALL NEED IS CONNECTIONなのだ。
集合時間にLGBTQセンターにいくと、誰もいない。
iPhoneのカレンダーにはしっかり記載がされているが、誰もいない。
施設の受付のおばさんに尋ねると、その活動が昨日だったことを知る。
これはシンプルに私のミスである。
Google Mapを見ると、現在地がハリウッドに近いことを初めて知った。
ということでハリウッドの映画館で「AIR」を観た。
正解はいつも現場にある。
みたいな特大自己都合解釈をしてクソな家に帰る。
4月15日 はじまり
男はLAにきて、犬小屋のようななにかを作っていた。
道清掃のボランティアと聞いてきた場所は、行政管轄の農園のようなところで、なぜか木材を切りまくって小屋を作るイベントだった。
とにかく結果を出さなければ存在価値がない私は参加者のなかでも特筆して木を切った。
お昼ご飯のサンドイッチをみんなより2つ多くもらえた。
そして渡米4日目にしてはじめてAngel City FCのクラブスタッフに出会う。
地域団体とのコミュニケーションを担当するクリスに対して、日本から来たこと、日本のクラブで経験があること、たくさん木を切ったことを話した。
彼は真剣に聞いてくれて、今夜行われる試合会場でまた会おうと連絡先をくれた。
大きな、大きな一歩だ。
観戦の準備のために家に帰ると、住人がマリファナを吸いながら髪を三つ編みしていたけど、そんなことはどうでも良くて、シャワーを浴びてスタジアムに向かう。
遠藤純さんに招待いただいた電子チケットが携帯にあることを確認し、マリファナ臭を纏いながら家をでる。
2万人ほどで埋め尽くされたスタジアムは、大半が女性。熱狂があり、煌びやかであり、発展途上であり、人を惹きつけるには十分だった。
純さんはなにかを食べながらヘッドホンをして、ひとり、アップをしにフィールドに出てきた。
まじかよと思った。
試合後、純さんに直接お礼をすると「仕事やめてLAにいるのやばすぎますね。笑」と言われたけど普通にあなたの振る舞いのほうが”いい意味で”やばかったですよ。
4月16日 Veniceベニスは曇り
クソ家の風呂にジャグジーがあることを発見した。住めば都とはこのことである。
観光客がひしめくベニスビーチにサッカーコミュニティーがある。
昨年8月にLAを訪れた際に知り合ったカケルくんとVB(Venice Beach)FCにいく。
そこには本当に多種多様の人種がボールひとつで心を通わせる時間があり「サッカーは言語のひとつ」を地で感じることのできる場所だった。
日本の自由のほとんどがここに吸収されているんじゃないですかね、と思うほどにみんな自由な場所がベニスビーチだった。