FOOTBALL | [連載] ビクトリアで就職中。

【3月】ビクトリアで就職中。/ 文・田代楽

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photo by Gaku Tashiro / text by Gaku Tashiro

激動

働いた。あぁ働いた、3月。

サッカークラブのシーズン前ってなんでこんなに忙しいのだろうか。僕は毎年のように同じことを思い、思い、思いながら結局また同じ時期を過ごしている。

しかし、このカナダという国のサッカーを考えてみると如実に伸び代が見えて面白い。はたしてこの小僧が「経済的な意味でのサッカー発展途上国」からきたやつならばいまこうやって契約できていたかとか、ミトマカオルさんがいなければ僕の国の認知度なんてただの寿司カントリーだったんじゃないかとか、まぁいろんなことを考えるわけではあるけれどこの組織は他者からよく学び、すぐにパクる。このフェーズのプロ組織に入ったことはなかったけれど、もしかして1番楽しいんじゃないのだろうか。いまだに会議で知らない単語がでてくるとフリーズするけれど、挨拶でハグされるとこんなに嬉しいことを昨年まで知らなかった。寿司カントリー(良発音:寿司カンチュリー)には肌接触の文化がそこまでなかったから、サッカーという超人間クサイものを人間と作っている感じがして、イイ。

今月は所属するPFCのユニフォームローンチがあったりして、なんだかざわざわしていた。たかだか5人しかいない部署のなかでも自分の意見を通すにはそれなりに準備が必要で、ましてや知らない単語でフリーズするくらいの語学なので絵で説明しなければいけないことが多々ある。それでも拙い英語と画面に映し出されるGoogle Slideはそれなりにネイティブの心に届くみたいだ。そもそもみんなサッカーが好きでなにがサッカー的な態度として正解か、いや、なにがサッカー的にダサいかを共有できている。逆にいうと「なにがダサいか」を説明する必要がないから、そのコストがかからない。これがどういう意味かは多分、この新興リーグがやや落ち着く十数年後に海を渡って日本にも伝わってくるのだと思う。

日本でお世話になっている方にも大きなヘルプをいただいて、Pのユニフォームは大きなフットボールメディアでとりあげていただき、それなりに売れている。その余波なのか、僕のインスタグラムには謎のラテンスケベスパムアカウントが軍をなしてフォローしてきた。彼女らはひとしきりDM欄にOnlyFansのリンクを貼ったあと、1週間ほどしてプラットフォームの強制退会に沈んだ。だからなんなのか。そう、忙しいとそんなことしか描けなくなってしまうのだ。

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不適切にもほどがある!

ここ数年でかなりの良作。クドカンと阿部サダヲ。いだてん。ケロロ軍曹。中村屋。全10回に渡ってTBS系列で放送されたこのドラマは、昭和価値観をもつ鬼体育教師が令和の世界にタイムスリップして、まぁ色々あって令和の価値観も学んでいくみたいな話である。

このドラマが挑戦的だったなと思うのは令和の時代に可視化される「コンプラ」「ハラスメント」といわれる制作物との相性が1番悪そうで、実際に苦しんでいるひとがいる事象を取り扱ったことである。案の定、社会学者系の方々はドラマを批判していた。主な主張は出演者のセリフが最先端でない。勉強不足である。まぁそんな感じである。

まだまだエンタメ業界は男社会であり、おじさんの価値観であり、ちょっとクサい決裁で物事が進んでいる。それはもれなく僕がいる世界もそうで、たちの悪いことに、じゃあ中年層が一掃されたらクリーンで社会性がモリモリで ”令和の価値観” を持った人間でありふれるかと言われたら間違いなくそんなことはない。我々小僧(少なくとも僕)もまた前時代がつくりあげた暴力的で、ノンストップで、不勉強な制作物に心動かされ、そして憧れたりしていたからである。むしろ突如都心のほうから湧いて出た新しい価値観をすでに持っているとラベリングされ、憧れが死んでいく様をなぜか安全圏から見ていることしかできないことだってある。自分を犠牲にしてまでそれに争うこともできず、それでいて違法アップロードされたかつて憧れた死骸を夜な夜な布団のなかで見てたりする。299円のビールは今日もそんな時代を胃に流す。

怖いなと思ったのは、出演者のセリフがドラマの主張と受け取られていたことだ。

「不適切にもほどがある!」への違和感 すっぽり抜け落ちたものとは
https://digital.asahi.com/articles/ASS3P6G9RS3DULLI001.html?iref=subscribe_done


上記記事(有料ですみません)でも触れられている向坂サカエ(令和から昭和にタイムスリップした吉田羊演じる社会学者)のセリフで『自分がモテないからって女を軽視している。女性蔑視』『そういう男に限ってホモソーシャルとホモセクシュアルを混同して、同性愛に救いを求めるの』との発言がある。これは社会学者であり博識なはずの彼女が将来の旦那がモテず自分の息子にキスを迫るシーン(なにそのシーン)の直後に発せられたセリフで「そんなに知識のある人間でもいざ自分の身に不都合が起こると取り乱して不適切なことを言ってしまう」ことを表現したオモシロ。でもこのセリフがそもそも本当にいま大切にされるべき価値観からズレていておかしいとの批判をされていた。批判自体はとても価値があり議論を前に進めるために大切な要素で間違いがないが、そんな”オモシロ”が正論または正しいとされるいまの価値観で切られることへの恐怖を感じたのだ。

フェミニズムと20代

ここで小見出しがでてきたことがなによりもこの文章がどうやら前のめりで書かれていそうであると感じる要素である。企画の仕事をはじめたときから、いやもっとパーソナルなことからフェミニズムという言葉を知り、詳しく書かれている本(それこそ鈴木みのりさんのも)を多く読み、ときには近しいひとを傷つけ、大卒、男性、その他もろもろ超マジョリティとして ”恩恵” を受けまくっていたことを知り、絶望した。個人的な解釈で言えばもうこのテーマに関して発言権がないんだろうなぁとも思う。し、できるだけ周りのひとのことだけにフォーカスしようと思ったのだ。とにかく恋人、家族、友だちを傷つけない。もしもそんなことがあったのなら反省するしかない。勉強するしかない。もちろん企画を世に出すときはもう少し遠くを見ているけれど、それ以外がソリッドにできる自信もいまのところない。

年末に地元に戻ってみると、そこは砂漠にあるオアシスのよう。それはそれは危険な発言ばかりなのだけれども、それを「やばぁ」とか顔にだしながら時に面白く感じてしまうこともある。そしてその感覚を元に世に出したことが反響をもらったりして、世の中は大きく変わるけれど、個々人はそんなに急には変わることができないんだろうなぁと感じるのだ。だれかマジョリティとしての正しい振る舞いを教えてほしいとも思う。

表現をモラルで裁く未来

ここに対する認識がどうやら世間とズレているなと思うのがここ数年。作中のセリフを切り取り、セリフを作品の主張だと取り上げてしまうこともそうだし、Creepy Nutsが書き下ろした歌詞を抽出し、脚本家の性悪を勝手に妄想し、自分の主張にオーバーレイしている様子も見えた。モラル的に、道徳的に不適切だ!と声を大きくすることは自由だけど、表現を好きか嫌いか以外の要素で裁きはじめたらそれこそ終わりだろう。ここでいう終わりとはそこの説明をしなければ理解されないことに対する面倒くささ、半年ROMれが通用してくれていた時代がまだマシと思ってしまうレベルの悲しさ。そしてそういう人たちの意見のほうが正しいとされ世に拡まるどうしようもなさ。

サッカーの話をしなければいけないことはわかっている。このドラマを一通りみて、サッカーに置き換えるとどうなるかを考えるのはもはや職業病であり、それだけこの球蹴りが社会と、時代の空気感とともにあることを証明しているのだろう。僕はドラマや映画、舞台でも、音楽でもファッションショーでもなんでもいいんだけど、だれかが企画し、世に表現として丸腰で挑んでいるものに関しては礼儀をもってみる必要があると思っている。それは批判すら郷に従うことであり、知らないなら調べることであり、そもそもその場に提出されたことはいかにリアルであってもフィクションであると認識することだ。例えば、サッカーのファンが審判の判定に対して激昂し、中指を立てる。それはサッカー文脈ではおかしいことではないし、ファンの表現としては道徳的に正しくないがフィクションであるから特に問題がない。もちろんそれに対して「欧州っぽくていいなぁ」と思うのも「そんなことで中指?」と思うのも個人の自由だが「人に向かって中指?子どもに悪影響!道徳的にナシ!」との角度で物事を語るのはないなと思う。子どもに悪影響を及ぼすと気がついたのならそれをさせないように教えるのがあなたの役目であろう。

ならサッカーのファンならば道徳的にナシな行動をどこでやってもいいのか。そんなわけがない。そのために上空から見たらミニ刑務所みたいなナリをしたスタジアムが各地にある。その箱の中ではときに暴力的なことばが飛び、感情が表にでてもいいことにとりあえずなっている。例えば中東で女性がついにスタジアムに入ることができましたとか、北欧では子どもウルトラスがいますとか、少しずつだけど環境のアップデートがされていて、正論で捲し立てなくても当事者が本気でやばいと感じた案件は結構急速に変わっている。

【イラン、女性サッカーファンがスタジアム観戦 国内戦は約40年ぶり】
https://www.afpbb.com/articles/-/3420751

正論社会とスポンサー

この業界を話すうえでどうしても語らなければいけないことのひとつがスポンサーである。おそらくどこのドラマでもスタジアムでももれなく企業のロゴや映像が広告として流れており、多くの制作物はその対価としてお金をいただき作業を進めてる。相撲でいうところのタニマチ文化は決してクリーンな金の動きだけではない気がするけれど、そもそも戦後の興行ってそういう人たちによるそういうものが大きく占めているのだろう。そしていま、この在り方が危うくなっている。SNSの発展により、表現に対するリアクションの量と質が伸びた。もちろんデジタルマーケティング、SNSマーケティングに代表されるような空中戦のコミュニケーションで資金調達するケースも増えた分、一夜にしてその関係がなくなることもある。なにか道徳的に悪いことが起きると不買運動が起こり、例えそれが本当の客でない謎グレーアイコンの捨てアカから発せられた正論だったとしても対応せざるを得ない。「不適切にもほどがある!」の8話で『テレビ局がケアしなければいけないのはテレビを見ていないひとだ』というパンチラインがあったけれど、それらに真摯に立ち向かわないと経済活動を続けることができない現実もある。首元に匿名のナイフが突きつけられた状態でなにかをつくる環境が健全とは全く思わない。

日本にはサッカー文化がうんたらと数十年前からずっと繰り返されてきたこの議論に対して、もしもサッカー文脈の成熟を感じられる瞬間がくるならばこれらの声を跳ね返す生命体が完成したときなのだろう。「貴重なご意見ありがとうございます!でもこれサッカーなんで大丈夫です!フィクションなんで!」みたいなスタンスを協会とかクラブとかスポンサーとかがとれる未来を作っていくために仕事したいなとも思う。それが本当の意味でサッカーが文化になっている様子なのだろう。


2024年当時の表現

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すんげぇ仕掛けでやんべぇラストだなと思った。いつかの試合でマグノアウベスのフリーキックを土肥洋一が止めたとき並にやんべぇラスト。

このドラマの最後は2054年に通ずるタイムトンネルが発見されて、市郎(阿部サダヲ)がその時代を覗き込んだと同時にこのテロップがでて終わる。そもそもこのテロップは昭和の時代の今の価値観では考えられないシーンを描く際に掲示されつづけていたもの。つまり30年後からみたらいまの価値観だって不適切と捉えられる箇所があるよとのメッセージだ。逃げもいいところである。

令和の価値観が完全に正しく描かれていたか、それすら若干制作の不勉強があったのではないかとの議論もあるが、言いたいことはわかるけどそれすらフィクションとしてみるしかない。それが制作側の限界なのか意図的なのかはわからない。ほとんどの視聴者はインティマシーコーディネーターの使い方が〜、と言われてもピンとこないだろうし、サカエに対して口うるさいけれど心あっていいキャラじゃんと感じたはずである。それはインティマシーコーディネーターの使い方が不十分だったフィクションであり、社会学者が結構抜けている表現と捉えるしかない、と思う。

僕自身はこのドラマを通して、昭和の時代最高とも令和生きにくすぎて死ぬとも思わなかった。確かにいまカナダで働くなかで感じる人間くさい同僚の所作とかは昭和の方があったかもしれないけれど、バスを降りた渚(仲里依紗)のいう「昭和クサッ」の時点で臭い街に住みたくないし、便利な世の中のほうがいいことだっていっぱいあるはずだ。このドラマは一貫してふたつの時代のキモ正論をぶつけ合ったことによる火の粉を描いているわけで「未来はもっとよくなってるよ」というスタンスがある気がした。そしていろんなことを書いて濾して、手元に残る感想は「仲里依紗の演技マジでいいな」だけだったりする。

最終回

え?最終回?うん、最終回。どう考えても最終回。

本連載の前身である「LAで求職中。」でキラキラLAライフをお届けしていたところ、なぜかカナダ・ビクトリアに移住し、なぜかPacificFCに就職したことではじまった「ビクトリアで就職中。」が終わる。昨年の7月から続いた若造の長文にお時間をいただきありがとうございました。

残念ながら時の流れとは相変わらず残酷で、読者のみなさんは僕が引き続きマリファナ漬けになっていることをたのしみにしていたのだろうし、MLSのキラキラハピハピ裏側ばかりお届けできればよかったのだが、このままだと僕の日常は「朝思ったより寒いけど、昼になると上着いらないな」とか「ポップアップ広告の【×】を一発で押せたことって生まれてからあったっけ」とか「あ、この路地を抜けるとこの道にでるんだ」みたいな粗品にしょうもない人生とツッコまれそうな日常をただ口をあけてアヘアヘお届けするしかなくなってしまう。どうせ証人なんていないわけだから架空の同僚の面白エピソードとか、架空の万引きでつかまった話とかを書いてもいいんじゃないかと思ったこともあるけれど、そんなことを書いたところでバスケ選手のPVは越えられないわけだ。架空の万引き。

自分のことは自分が1番知らないとはよくいったもので、月イチでお届けしているこの連載がみなさんにどのように届いていたのかは僕が1番検討つかない。でもこの間、SNSで飛んできたメンションに「この人の文章って気持ち悪くて好きなリズムなんだよなぁ」と褒めと貶しのちょうど真ん中、赤道ギニア、兵庫県明石市なコメントがきていて普通に落ち込んだ。あぁ僕の文章って気持ち悪いんだ。ムカデとか、すね毛とか、排水溝とかそういう類なんだ。ムカデみたいな文章。

ということで渡米初日からムカデになるまでの涙ぐましい遍歴を面白がってくださったみなさま、カズキくん本当にありがとうございました。チャオ~。

PROFILE

田代 楽
田代 楽
カナディアン・プレミアリーグ パシフィックFC マーケティンググループ。26歳。バンクーバー在住。 大学卒業後、Jリーグ・川崎フロンターレでプロモーションを担当。国内のカルチャーと融合した企画を得意とし、22年、23年のJ開幕戦の企画責任者を務める。格闘技団体「RIZIN」とのタイアップを含む10個以上のイベントを企画・実行。配信しているPodcast「Football a Go Go」はポッドキャストランキング・スポーツカテゴリで最高6位入賞。Instagram:@gaku.tashiro

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