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森本貴幸 | #世田谷ユナイテッド

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photo by Kazuki Okamoto / text by Kazuki Okamoto

「岡元さん、来週の練習にモリモト君が来るんですけど、どうですか?」

サッカー選手で「モリモト」と言えば思い当たる選手は一人しかいない。

『”あのモリモト”選手ですか?

「そうです!今日本に帰ってきているみたいで、世田谷ユナイテッドの練習に来てくれるみたいなんです」

7月11日

品川南ふ頭公園の練習場に行く際はいつも地頭薗選手(以下ゾノ君)に中目黒駅でピックアップして頂いている。この日の車内には世田谷ユナイテッドの選手も何人か同乗していた。

「今日森本選手が来るんですよね!」

私と同い年のムードメーカー亀井大地選手(以下亀井君)が話を切り出す。

ゾノ君、亀井君、私の3人はモリモト選手のデビュー当時の懐かしエピソードで話が盛り上がるが、若手選手たちは話に付いてこない。いや、「付いてこれない」が正しいのかもしれない。

2000年代に生まれた若手選手たちはあの衝撃のデビューを知らないのである。

そっか、じぶんも、もう若くはない。

森本貴幸

森本貴幸選手は2004年3月13日に「15歳10ヶ月6日」でJリーグデビューを果たした。
当時はまだ8歳か9歳か、日韓W杯の影響でサッカーの虜になっていた私は、デビュー戦でみせたブラジル代表のロナウドを彷彿させる「右サイドのシザース」は今も記憶に残っている。

あれから19年が経ち、現在35歳となったあの森本貴幸が、品川南ふ頭公園、通称「コンテナ」のグラウンドにいる。なんて不思議な感覚であろうか。

その風貌は、僕がイメージしていたものとは少し異なるが、確かに森本貴幸である。
Jリーグが開幕して今年で30周年になり、その30年の間には、さまざまな記録も生まれたが、「J1最年少得点記録」はいまだに破られていない。
イタリア、UAE、ギリシャ、パラグアイといった世界中のクラブを渡り歩いた森本は、今年台湾の「台中Futuro」を退団し、次なる移籍に向け、この日は世田谷ユナイテッドの練習で汗を流していた。

インサイドキック、ロンド、パス回し。
この日の練習でも世田谷ユナイテッドは変わらず「止めて・蹴る」を入念に繰り返す。

「プロでも『止めて蹴る』を確実にこなせる選手はそこまで多くはない」というフレーズは、プロサッカー選手の口からも聞くようになった。その度に「川崎フロンターレの練習はちょっと違う」というフレーズが必ずと言っていいほど出てくる。

数々のクラブを渡り歩き、かつて川崎フロンターレにも在籍した森本選手でさえも、「川崎の練習のクオリティはかなり高かった」と話す。

先日拝見した宇都宮徹壱さんが執筆された記事「勝つだけなら「いずれ忘れられる」独自の技術論を提唱、風間八宏がセレッソ大阪で追求するもの」は世田谷ユナイテッドが目指す理想のフットボールに通ずるものがあると感じており、是非ともご覧いただきたい。

そして、報道にもある通り、森本選手の新天地はイタリア・セリエD(イタリア4部)のアクラガスに決定した。アクラガスはカターニアと同じシチリアを本拠地とするクラブである。
セリエAでは通算104試合に出場し、19ゴールを記録。10年ぶりとなるシチリアへの帰還は日本でも話題となっている。

15歳でプロデビューし、今年で35歳となった男の挑戦はまだまだ続きそうだ。

Date:07.11.2023
Location:Shinagawa,Tokyo

PROFILE

世田谷ユナイテッド
世田谷ユナイテッド
2022年に設立した世田谷を舞台とするローカル・イノベーション・フットボールクラブ。

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